第六話 過去の諸時代は七重の封印をした書物なのだ。
「書物の真贋……」不穏な響きだな、とルファルは表情を曇らせた。
ルファルの――あるいは矢倉文也の――経験上、「あちらの世界」の図書館で市民から図書が、ないしレコードや地図などの郷土資料が寄贈されることは珍しくない。だが、図書館がそれらのすべてを受け入れるわけでもない。道理といえば道理である。
その年次の予算が定められ、さらには図書館そのものの規模が制限されている中で、見境なしに寄贈を受けるのは望ましくないとされる。学術的に見て、あるいは利用者のニーズから見て、本当に必要なものとそうでないものとが混淆してしまう上に、資料の重複がたびたび起きてしまうのだ。実際、廃棄もできず、かといって図書館に受け入れることもできない本が図書館の倉庫に大量に置き去りにされるといった事案も耳にする。
だからといって、おいそれと図書を廃棄するのも危険だ。学者なり、大量の資料を有するアマチュアコレクターなりの蔵書の中には、専門家から見たときに喉から手が出るほど欲しいものが混ざっていることもある。もしもそれらを責任者の一存で古紙回収に出したとでもなれば、図書館の機能を十分に果たしているのか、という疑念の目線を向けられるのは明らかだ。
そのような事案は、「こちらの世界」で
「真贋判定となると、時間がかかりそうだな。それに、下手をすると先方が難癖付けて引き取りを強要してくることも有り得る」
「今回はかなり……それは有り得ないでしょう。依頼自体もからかいのような気がいたします」
「なぜ、そう言えるんだ」
「その……依頼主が、子どもでして」
「子ども……」
ルファルは目を細めた。子どもに『書物の真贋』という発想があるとは思えなかった。いや、あるいは――
「とはいえ、念には念ですからね。諍いが発生した時に備えて、第三小隊は簡易装備の上で待機させています。先方は一応、四階の書記室が空いていましたので、そちらに通しました」
「わかった。――准尉、少し早いが、
「えっ……少しどころか、まだ閉館の二時間以上前ですよ。さすがに一人の子供相手でそのような対応では、クレームが来るのでは……」
「利用者に何か聞かれたら、『責任者に優先事項が発生した』と伝えるように。責任は私がとる。准尉はその後、書記室に」
「……わかりました」
こうなった大尉は止められない、ということをメイリアはよく知っていた。マグに残ったコーヒーを飲み干すと、ルファルは机の抽斗から羽ペンと紙の束を取り出し、足早に事務所を出た。
*****
「大変お待たせいたしました、司書官の――」
ドアを開けたルファルは、名乗りかけて言葉を止めた。一人の子供が窓際に立ち、こちらに背を向けていた。思った通りだった。服装からするに、庶民ではない。
「
「あなたが司書官の方ですか。わざわざご足労おかけしてしまい申し訳ございません」
振り向いてぺこりと頭を下げたのは、齢十四前後になろうかというほどの少女であった。長いブロンドの髪をうなじの付近でまとめ、大きな襟飾りのついた白色のブラウスに、濃紺のハーフパンツにはひざ丈の白い靴下が縫い付けられた、簡素な服装である。端正な顔つきと服装のために男子にも見えるが、胸部のふくらみが、目の前の人物は間違いなく女性であることを物語っている。
それにしても、とルファルは目の前の少女をまじまじと眺めた。
礼節を弁えた言葉遣いと立ち振舞いを何のためらいもなくこなせる者はこの国においてそうそういない。よほど教養のある両親に育てられたのか、あるいは単に良家の娘といったところだろうか。
「――あの、司書官さん、わたくしがどうかいたしましたか?」
「……いえ。ずいぶんしっかりしたお方だと思いまして」
「あら、そうかしら? 叔母様に手厳しく躾けられたものですが、その名残かしらね」
「……ところで、あなたのお名前は」
「失礼いたしました。いちばん肝心なことを忘れておりました。フィリア・ゲルリッツと申します」
フィリアは両手を重ね、深く礼をした。作法自体は丁寧なのだが、子どもがやるとどこか不格好だった。ぴょこんという音が似合う子だ。
「ゲルリッツさん、早速ではありますが、お持ちいただいた資料を見せて頂けますか」
「はい、こちらに」とフィリアは小走りで机の上に置いてある風呂敷包みに駆け寄り、程いて見せた。彼女の半歩後ろに立ったルファルの眼に、背中越しに木箱が映ったが、それも単なる木箱ではなかった。
箱の表面は木目によって波打つことはなく、今しがた切り落とされたかのように滑らかである。退色や剥落があるものの、よく見ると全面にわたりつる状に植物が描かれている。所々夕陽を受けて虹色に淡く発光しているのは、
蓋の周囲は金属のようなもので囲われていたが、古いのか錆びてしまっている。留め具が長編に二か所、その反対側は蝶番が当てられていた。
とにかく、それなりに歴史的価値がありそうだな、とルファルは一目見て判断した。
彼は持ってきた紙の束と羽ペンを箱の隣に置き、代わりに懐から取り出した布手袋を両手にはめ、そっと木箱の蓋を開けた。金属製の留め具は予想通り、開けるのに少々力を用した。
箱の中には、一冊の本が丁重に革ベルトで上下を留められ、折れ曲がったり破損したりしないように納められていた。表紙には縦に木目が走っている。くすんだ水色で彩られたその表紙の中央に、ビリングスの言葉が金箔で短く刻まれている。
――『カデンツ王家全史』
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