第四話 ただ、いかがですか、この人間界の修羅の有様は。
ルファルこと矢倉文也が一時間程揺られた後に馬車の扉を開けると、目の前に灰色のレンガ造りの壁が高く聳えていた。
石畳が敷きつめられた広い道に降りて周りを見渡すと、同じように堅牢そうな、大きな倉庫のような建物が四方を囲っており、所々にビルのような張り出しがある。
後ろを振り返ると、紅葉した木々を両脇に控え、角砂糖を敷きつめたような石畳の先に、簡素に装飾された門がある。その雰囲気は聖堂というよりは、城塞であった。
遠くに響いている鳥の声に合わせるように、二人を降ろした馬車がガタゴトと音を立てて城の奥へと滑って行った。マハルの家で御者とマハルの会話を聞いていたルファルは、この国の言葉で馬車を「カルス」というらしい、と理解していた。
「ここはアスター・レノックス城。ここビリングス王国の知識と政治の中枢を担う組織のすべてが詰まっている――と言いたいところだが、実は一つだけそうではない部分がある」
ルファルの背後で御者と二言三言交わしていたマハルが、彼の隣に立ち、抑揚のない声で言った。正式な場所だからね、と言って家を出る前に耳に下げた
「一つだけ?」とルファルはマハルを見て尋ねた。「そう、その一つはこの城の奥にある。そして、そこがこれからの君の持ち場になる」
「そういえば」とルファルは思いついたように言った。「ほとんど流れと決断した勢いでここまで来てしまったけど。ここがどんな場所か知らないし、前世というか、ルファルだった時のおれの仕事や役職も知らない。おれはこの国で何をするんだ?」
「おっと、そういえばそんな話はしていなかったね――ふむ、ここで色々立ち話をするよりも実際に連れて行くほうが良いかもしれないな……」
マハルは腕を組んでしばし考えていたが、ついて来たまえ、と短く言うと、踵を返して馬車が走っていったのと反対側の入り口に向かって歩いた。ルファルは弾かれたように、慣れないヒールを鳴らして後に続いた。
「この国はね、君が予想する以上に危機に瀕しているのさ」
「後継者の問題とか、民族問題とか?」
こういった中世じみた雰囲気の「王国」が抱える問題と聞いて真っ先に思いつくのは、そういったものだろう。仮にこの国が「あちらの世界」と同じ文明レベルを享受していたとしても、「王国」という体制に後継者問題はつきものの筈だ。
民族問題も同様である。オーストリア=ハンガリー二重君主国という国が、かつて中央ヨーロッパに存在していた。ドイツ人、ハンガリー人、ポーランド人、チェコ人などの多くの民族と、イタリア語やウクライナ語を含め約十種にわたる言語をその広大な地域に抱えながらも、数々の歴史家・政治家に「多民族を統治する国家モデル」といわしめるほど、うまく回っていたらしい。とはいえ、そのような国家がいつの時代にも存在しうるとは限らない。
しかしマハルの口をついて出てきたのは、ルファルの思いも寄らぬことだった。
「いや、もっと
「図書館と、教育レベル……」
「そう。わが国は元々、大陸東部に存在する七つの諸侯連合を、利害関係で綺麗に丸く納め上げた国だ。恥ずかしながら、それも殆ど外交とは言い難い方法でね。何しろ、『
「カルス……なんだって?」
「
教育とか図書館というワードが出た時点でこれから国家の根幹を担う役職に行くような雰囲気がしているにもかかわらず、そんな語彙力で大丈夫か? とルファルは冷や汗をかいた。しかしそれを横目に、マハルは滔滔と続けた。
「我が国の軍事力は強大だが、他国に誇れるような文化的土壌には乏しい。数千年の前に、この国の母体となる『
『国-町-集まり』という聴き慣れない単語があったが、おそらく『都市国家』と言いたいのだろう、とルファルは解釈した。ビリングスの言葉はある程度名詞の複合が自由であり、その中から別の意味を導くらしかった。
「今のビリングス王国は」とマハルは半歩後ろを歩くルファルを眼だけで仰ぎ見つつ言った。「先々々代の国王、豪傑公と呼ばれたバリエル二世の時代に成立した。およそ百二十年前の話だ。それ以降、諸侯とのいざこざを経験しながら、いまの王国がある。そして約七十年前、第四次東部戦争が終結してからは平和を享受している。あるものを代償にね」
「……それが、古文書?」つながりはわからなかったが、何かしら関係があるのは明白だった。満足げにマハルの首が大きく振られた。
「そう。終戦時に結ばれた条約で、本来の
「……その
「話が早いのはいい。聡明な人間は嫌いじゃあないよ……着いた、ここが君の持ち場だ。詳しい内容はこれから中で話そう」
そういってマハルは、錆び付いた扉を押し開けた。重たく、湿った、ほんのりカビのにおいの混じった空気が鼻腔に流れ込み、一筋縄ではいかぬ仕事の片棒を担がされたな、とルファルは直感した。
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