第32話「晃仁さんの連絡先を教えてくださいってことです!」

 そのあと気を取り直した俺たちは三人揃って再び服を見に回ることにした。ミコの分は既に購入していたので、今度は志穂の分を。

 お返しと言わんばかりに張り切るミコ、それに触発されて志穂も以前よりも生き生きとしているように見えた。


「志穂ちゃん、このもこもこにしましょう! わたしとお揃いですよ!」


「お揃いかぁ、それならウチも心強いかも……」


 ミコはいつの間にか志穂の名前を呼ぶようになっていて、いっそう距離感が縮まったように思える。「九原さんも名前で呼んでくださいませんか」との直球を貰ったときは心臓が跳ねた。ミコと共にいる時だけはそう呼ぶようにするとの条件付きで了承し、何とか事なきを得た。いや、得たとは言えないかもしれないが。


「……まあ、楽しそうだったらどっちだっていいけどな」


 所詮は無駄に年を重ねただけの身。周りがどう思おうが関係ない。少しずつ零したものを拾い集めていけばいいのだ。


「あの……晃仁さん、流石にお金を払ってもらうのは申し訳ないというか……ウチが着るものですし」


 紙袋を大事そうに両手で抱えていた志穂が目を伏せる。慣れない名前呼びがむず痒いが、今さら提案を白紙にするのは恰好がつかない。


「いいんだよ。ミコが調子に乗ってあれもこれもって選びやがるから、予定より多く買う羽目になったんだろ? せめてその分は払わせてくれ」


 仮ではあるがミコの保護者でもある。その勝手気ままに付き合ってもらったのだからこうでもしないと面目が立たない。

 隣であざとく舌を出すミコにチョップしながら、そのことを志穂に再三告げる。


「そういうことでしたら、ありがたく」


「そうですそうですっ。晃仁お兄ちゃんはいっつも一人ですからお金が有り余ってるのです! だから……はうっ!」


「ったく、勝手なことを。最近はお前にかかってるっつの」


 調子のいい発言が目立つようになったミコ。新たに生まれたこの関係が楽しくて仕方ないようだが、これ以上好き勝手やられて暴走されるのは困る。

 今度は軽くデコピンをお見舞いして咳払いを一つ。


「本当に気にしなくていいからな。それでもどうしても借りを感じるなら、帰ったあとにでもいい土産話を聞かせてくれればいい」


「それ、わたしも聞きたいですっ! どこに行かれるのか分かりませんけど」


「えっと、行き先は京都なんです。メジャーなところなんであまり土産話は期待できないかもしれないですけど……」


「京都か。出張でたまに行くこともあるが、この時期なら桜が間に合うかもな。こっちよりも自然が多いからなかなか壮観だぞ」


「わあ……! 晃仁さんお詳しいですね。流石です……!」


 情景を思い浮かべたのか志穂の表情が華やぐ。頻りに頷いていたが、ふと何を思ったのか彼女は照れたように胸の前で両手を組んだ。


「あ、あの……ウチ、一つ思いついたことがあるんですけど」


 勿体ぶったような前置き。緊張が伝わり、俺の顔も強張る。


「その、晃仁さんは京都に関してもいろいろとお詳しいようなので……よければもっと、話を聞きたいなぁと。旅行の計画を班ごとに決めなくてはいけないので、その予習に」


「あ? ああ、そりゃもちろん構わんが。今日はまだ時間に余裕もあるし、どこか落ち着ける場所にでも……」


「いえ! できれば今日ではなく、その、明日……? いや明日でもなくて、もっとこう長期的に? 断続的に? アドバイスを頂ければと……」


 覚束ない口調に抽象的な語彙が重なり理解が追いつかない。俺はきっと苦い顔していたのだろう、対する志穂が必死の様相で叫ぶ。


「ですからっ! 晃仁さんの連絡先を教えてくださいってことです!」


 それはモールのない通路を歩く人が視線を投げるほどの大音量だった。内容を思うとより恥ずかしい気持ちが湧いてきて、声が間抜けに裏返る。


「は……? れ、連絡って、俺の携帯のか!?」


「他にはないです!」


「いやそうじゃなくて、なんでだよ!?」


 旅先について教示することと連絡先の交換に何の関係があるというのか。繋がらない会話がなおも焦燥を加速させた。


「……はあ。まったく晃仁お兄ちゃんは。そんなの決まっているじゃねえですか」


 呆れたようにミコが肩をつついてくる。その場で屈めと言いたいらしい。ろくな思考も結べぬまま言われたとおりにする。


(仲良くなりたい人の連絡先を知るための建付けですよっ)


 建付けではなく建前であると思うが、ミコに言われてようやく思い至る。

 しかし友人とはいえ未成年の、女子高生の連絡先を酷く個人的な事情で交換しても良いものだろうか。

 社会人生活でつちかわれた倫理観が歯止めをかける。


「……うぅ」


 しかし、志穂の縋るような視線は力強い。俺と同じく人間関係でつまずきかけていた彼女の、その精一杯の行動を跳ね除けることは、今の俺には出来なかった。


「……クソ」


 諦めてポケットから携帯を取り出す。俺のその仕草にすら志穂は本当に嬉しそうに相好を崩していて。


(敵わねえな……)


 胸の内に仕舞っていた秘密を打ち明け合ったその同日に、なんと連絡先まで交換してしまった。


「えへへ……晃仁様の連絡先……」


 その恍惚の表情には未だ踏み込む勇気はなかったが。我ながら色々なことを受け入れてしまったものだと自覚せざるを得ない。

 買い物を終えた俺たちはそれぞれの家路につくことにした。


「ああ、そうだ」


 別れ際になって、俺は一つ言い忘れていたことを思い出した。


「余計なお世話かもしれないが、ご家族とは話しておいた方がいいぞ」


 モールを出て茜がかった空の下、俺は志穂が自身について語っていたときのことを思い出していた。


「少なくとも学校での孤立は話してなかったんだろ。今後はそういうの、出来るだけ言っといたほうがいい」


「晃仁さん……それは、確かにそうですけど……」


「お前の家がちょっとごたついていたのは知ってる。だから家族に対して甘えたくないという思いもな」


 納得を引き出すために、志穂が考えることにあらかじめ共感を示す。それでもなお伝えたい言葉を紡ぐ。


「それでも親っていうのは子供の話を聞きたいものだ。それが辛いときであってもな」


 親父のことを思い出す。妻に捨てられ、俺を一人で育てなければならない重圧に苦しんでいた当時を。逆境に立たされ、人生に失望していたときであっても、俺の話に耳を傾ける親父の顔は本物だった。心のどこかで俺を憎んでいたとしても、それでも愛してくれていたのだ。

 死に際の安らかな顔がその証左だったと、今の俺ならば信じられる。


「……困ったら相談くらいは乗ってやるから。都合のいいことに連絡先も知っちまったわけだしな。だから志穂……どうか諦めないでくれ。そして腐らないでくれ。落ちぶれたおっさんからの忠告……いや、願い、だな」


 最近こういった役回りが多いと思う。他人に積極的に関わって、切実な思いを吐露して。

 少し前までは考えられなかったことだ。しかしそれでも、自分の言葉が上滑りしているように感じないのは、俺が正しく変わることができているということなのかもしれない。


「……初めて……」


 驚きのせいか、声は掠れてしまっていたが。俺は彼女の答えを決して聞き逃すまいと耳を澄ました。


「初めてです、そんな必死な目で……怒ったような、泣き出してしまうような顔で話してくれたの……願いを込めて名前を呼びかけて貰ったことも……」


 初めてとは俺に対してなのか。それとも彼女の人生を通してなのか。それは分からない。だが。


「分かり、ました。ウチいい子でいようとしすぎたのかもしれません。家でも、学校でも。本当に今日はありがとうございました、晃仁さん」


 その晴れやかな顔を見れば、俺の真意が伝わったかどうかはっきりと理解できた。

 志穂は丁寧にお辞儀して挨拶を述べると夕暮れの中を歩き出していった。その様が見えなくなるまで見送っていると、それまで黙していたミコがそっと寄り添ってきた。照らされる銀髪が眩しい。


「……良かったですね、晃仁様。これでもう、志穂ちゃんは大丈夫だとおもいますよ」


「ま、俺が大袈裟おおげさに捉えすぎているだけかもしれねえけどな。案外俺が何もせずとも上手くいっていたんじゃねえか」


「またまた、ご謙遜を。絶対ああして言葉をかけたほうがよかったですって!」


 志穂の背が見えなくなったところで、俺たちはきびすを返す。


「あっ……そう言えば」


「何だよ」


「志穂ちゃんが言っていた携帯? というものをわたしも使ってみたいです! 晃仁様だけお話するのはずるいと思いますっ」


「はあ……ったく、最後の最後で台無しにしてくれやがって……」


 下らない会話を交わしながら帰り道を行く。一応、あとで子供用の携帯について調べることを視野に入れながら。


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