第31話「九原さんってエスパーかなにかですか?」
七井を含めた三人で改めて店内を見てまわる。こうしてプライベートな時間を共にして分かったことだが、彼女はかなり服飾に対して
あるいは俺が無知なだけだったのかもしれないが、少なくともミコの服を選ぶ彼女の目は的確だった。
可愛らしい服を次々と試すミコは楽しそうで、それにつられた志穂にも笑顔が多くあったように思う。
「美子ちゃん、こっちの黒っぽいのはどう? チェックのスカートと合わせたらいい感じかも!」
「わ……! なんか大人っぽいですね! これなら晃仁お兄ちゃんもわたしを軽く扱えないはずです……」
「扱いが軽いの?」
「そうなんですよー、昨日だって晃仁お兄ちゃんはわたしを置いてカフェで寛いでいたんですっ」
「それは、お仕事中だったんだと思うよ……」
仲良くなったのは結構だがこれ以上はボロが出るかもしれない。少し離れていたところで休憩していた俺は自然な流れで輪に戻る。
「ああ、まったくもって七井の言う通りだな。お前は仕事のしんどさを分かってねえようだ」
「ほら、こんな感じですっ。もう少し優しい言い方を考えてくれてもいいですのに」
「ふふ……仲がいいんですね、お二人は」
「こいつが妙に馴れ馴れしいんだよ。ま、今日に限ってはそれが功を奏したがな」
「え……?」
ミコがいたおかげで今日の志穂は本当に楽しそうに見える。カフェでバイトしているときも笑顔ではあるが真剣さが混じっていたし、話をちらと聞く限り学校ではあまり心安らぐこともないだろう。
そのことを指摘すると、彼女は恥ずかしげに俯いた。
「そうですね、こういう風に買い物するのって、あまりなかったかもしれないです。あたし、学校の人たちに馴染めなくて」
「なんでですか? さては悪い人たちなんですか?」
「ううん、違くて。悪いのはきっとあたしの方なんだ……」
遠い目で答える志穂。ミコはどうすればいいのかおろおろとしてしまっている。楽しませようと思っても言葉が見つからないのかもしれない。
一つ息を吐く。ここは少し踏み込んで話を聞いてみよう。他人に心を傾けることは、幸せに慣れていくことにも繋がるだろうから。
「七井ってもしかして地方の出身か?」
「え、どうしてそれを……」
「前に何度か自分のことをあたしではなくウチって言ってただろ。言葉を遣いを矯正しているのかと思ってな」
些細なことだが、読みは当たっているらしい。目を丸くしていた志穂が頷く。
「生まれは九州なんですけど、お父さんの仕事の関係でこっちに」
「なるほどな……大方、こっちの奴らに合わせようと力みすぎたのか」
今度は声も出ないらしい。驚く志穂に、ミコですら信じられないといった目でこちらを見る。
「ぜんぶ勘なんだけどな。さっきの言葉遣いもそうだが、ミコに見繕ってくれた服もいまお前が着ているのも、ずいぶん都会の流行を反映したものだ。加えて引っ越しという環境の変化、カフェで見せる真面目さもそうだ。諸々合わせて俺なりに予想してみた結果だ」
「……凄い、です。九原さんってエスパーかなにかですか?」
「ただの会社員だっつの」
美少女二人に畏敬の眼差しを向けられるのは、まあ悪い気分ではなかったが。もはや和やかな買い物ムードはすっかりと消えてしまっていた。このまま話し続けるのなら場所を移した方が得策だろう。
志穂の買い物は後にしてもらうとして、ひとまず会計を終えて店を出る。俺たちは目立たない隅の方のベンチに並んで腰を掛けた。
「実際、九原さんの言ったことはほとんど合っているんです」
俺とミコを挟んだ中央に座る志穂が言葉を紡ぐ。
彼女が幼い頃、父が働いていた地酒製造業者が経営不振によって倒産したこと。彼女の将来の進学と父の新しい勤め先を見つけるため都心に引っ越してきたこと。
「お父さんだけは先に家と仕事を探しに行って、あたしの受験が終わったタイミングでこっちに越してきたんですけど」
父の失敗によって気負った部分もあって、志穂は入学時、あらゆる勉強をしてから臨んだ。勉強の傍ら話し方や容貌など馴染む努力を怠った。しかし相手は三年間を共にする仲間だと思うと緊張が抑えきれず、結局まともに会話できなかったこと。
「上手く話せなかったのが恥ずかしくて教室で好きな本ばかり読んでいたら、気付けば友達と言える人はほとんどできてなくて。バイトを始めたのも学校以外の居場所が欲しかったからで」
「そんな暗い顔をしないでください志穂様。カフェでは他の人たちや晃仁お兄ちゃんと楽しそうにしていたじゃないで……していたと聞きましたっ!」
「ああ、俺から見てもそれは間違いないが」
特定の環境においてのみ話せなくなるという場合もあるだろう。それに遅れたものを取り戻すのには、そうでない時と比べてとても勇気が必要なことだ。
余計なことは口にせず、あくまで聞くことに徹する。
「バイトの人たちはマスターも含めて年上の方ばかりですから。それに失敗してもいざとなればいつでも関係を終わらせることができます」
「……」
驚いた。人間、明るく振る舞っていても実際は暗いものを内に隠しているものだ。とうの昔より知っていたこと。今まで人間に対しどこか見限っていた節があったのも、やはりその闇を忌み嫌っていたからだ。
しかし今しがた志穂が曝け出したモノは俺の心に影を落とすことはなかった。
「こんなこと、家族にも話せなかったのに今さら……ウチって変ですね……あはは」
なぜならそれは悪意で以て隠されたものではなく、そうせざるを得ない状況に陥っていただけだから。過去の自分が目の前の志穂と重なる。
「……いけないですよね、あたし」
だからその問いにもすぐに答えを返すことができた。
「ああ。いけないな、それは」
「ちょっと晃仁さ……お兄ちゃんっ! 志穂様のお話ちゃんと聞いてましたよね!?」
それまでしんみりとした表情で話を聞いていたミコが叫ぶ。相変わらず単純な奴だが、他者の幸せを想うこいつの心は買っている。
なるべく角が立たないように優しくそれを制し、俺はそのまま続けた。
「俺が言ったのは、あくまでも常識的な話だ。わざと人との関りを断って孤独になるのは少なくとも褒められた行いではねえよ」
「はい……」
「だが、俺は別にそれが悪いことだとも思わねえ。俺もそうやって誤魔化しながら今まで生きてきたからな」
「えっ……九原さんも?」
「言っただろ、しょうもない奴だって。ガキの頃から人間って存在が気持ち悪くて……この年になるまで落ちぶれたままだった」
ちらと志穂越しに映るミコを見つめる。返ってくる誇らしそうな視線が眩しい。
「……でも、今はきっとそうじゃないんですよね」
「ああ。だが変わったのは全く偶然によるものだった。俺自身が何かを変えようと努力したわけじゃない」
必要なのは自覚することだ。素直になることだ。最近になってようやく気付き始めたことを志穂にもまた伝える。
「修学旅行でも何もなかったかのように話せばいい。無理ならそれでもいい。いつも通りバイト先や別の所で頑張ればいい。それに……」
情けなくも羞恥心を感じてしまうが、ぐっとこらえて言葉を継ぐ。
「さっきはミコとだって仲良くなれてたし、俺もまあ……一応お前の事情に理解は示せる。だからそのままでいい。俺らや他の奴らと過ごすうちにいつしか変われるさ」
「そうですよっ!」
ぴょんとベンチから立ち上がったミコが、志穂の前に歩み寄ってその両手を握った。
「わたしはもう志穂様のことお友達だと思ってますよ! わたしもお友達がいた経験がないので嬉しいですっ!」
「美子ちゃん……」
触れ合う手に力が籠って志穂の瞳が潤む。それからゆっくりと、今度は俺の方に視線を向けてきた。
「……九原さんは?」
「はあ?」
「あたしのこと、友達だと思ってくれますか……?」
そう来たか。意図せず顔が硬くなってしまう。純粋なのは結構だが、この年になると正面から受け止めるにも苦労する。
視線を右に左に細かく動かして言葉を探る。
「……俺は社会人だからミコのようにはなれない。だが休日に付き合う程度ならいくらでもできる」
仕方ないことだが、どうしても曖昧な言葉になってしまう。無駄に年を重ねてしまったことを恨めしく思う。
「晃仁お兄ちゃん、それはどうかと思います」
「そうです。ウチは友達になってくれるか聞いているのに」
いや、あるいはその無駄を、俺は取り戻したかったのだろうか。だからこそ、わざわざ志穂の事情に踏み入るような真似をしたのだろうか。
「……はは」
馬鹿な考えに乾いた笑いが出るが、気分は晴れ晴れとしていた。
「ああ、きっとそうだ。どこまでも馬鹿馬鹿しいが、確かに俺もお前に親近感を感じている。友達と言っても差支えない程にな」
あくまで歪んだ物言いになってしまうのを、再び二人から笑われる。
それでも俺は、この奇妙な関係の誕生に確かな満足感を感じていたのだった。
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