第29話「あのウィーンと動くのがいいですっ!」
一風変わった朝の時間を過ごした俺は、ミコとの約束通り買い物に出かけることにした。
首都圏から少し外れたことに住んでいるとはいえ、大抵のものは少し歩けば手に入る。だから普段買い物をするときはわざわざ遠出をすることもないのだが。
「では出発しましょう晃仁様! いえ、晃仁お兄ちゃんっ!」
こいつがいるとなると事情は異なる。てっきり指輪の状態で付いてくる算段かと思っていたが、どうやら人の姿で出かけるつもりだったらしい。
そんなミコを否定するのも、それを連れてご近所を歩き回るのも嫌だった俺は、泣く泣く足を延ばして都心に近いショッピングモールに赴くことにしたのだ。
「わぁー……凄い人だかりですねー……」
入口に入るなり足を止めて周りを見渡すミコの気持ちは理解できるが、人通りの多いこの場所にたむろするのはよくない。
ミコの小さな手を引っ張って通路を歩き、観葉植物やらベンチやらが設えられた広間に移動する。
「うわ、広い……広いです、広すぎます! 天井がこんなに高いですよ!?」
片手を大きく掲げてぴょんぴょんと跳ねるミコ。背中にまで伸びた長い銀髪が揺れ、ワンピースの裾がはためく。
それを見て近くを歩いていた小学生と思しき子供は指をさし、その親と思しき女性が子供に注意していた。
「分かったからはしゃぐな。こっちが恥ずかしくなるだろうが」
俺の言葉でようやく注目を浴びていたことを自覚したのか、ミコの頬が紅潮する。
「こほん……でも本当に広すぎませんか? たくさんお店があるとは聞いていましたが」
「そう感じるのは最上階まで吹き抜けになっているからだな。解放感が増して上の階まで目指したくなるって寸法だ」
「へぇ……確かにわたしも今、高みを目指したくなってきました! 流石は晃仁様、お詳しいですね」
「調子がいいな……購買者の心理も理解しとけって散々言われた結果だっての」
悪態をついて思い浮かべるのはあの一条蓮太郎の
新人時代に色々と教育を受けた記憶が人ごみの煩わしさと相まって頭を重くさせる。
余計な思考に、さっそく休日でだらだらと家で過ごす日常が恋しくなったが、あいにく何も目的は果たせていない。
頬を叩いて気合を入れ直し、なおも目を丸くして辺りに目を向けるミコに向き直る。
「布団とかは通販で買うとして、取り敢えず選ぶのに時間のかかりそうな服類を見に行くぞ」
「分かりましたっ。さっき手に入れたこの紙によると、お洋服を売っている場所は上にあるようですよ。ということは、あの黒くて動く階段に乗るということですね!」
「別にエレベーターや階段でも行けるぞ」
「嫌です! あのウィーンと動くのがいいですっ!」
ただでさえ高いミコのテンションが、モールパワーで手の付けられない領域にまで達してしまっている。
余計な刺激を与えるのは得策ではないだろうと、俺は真っ直ぐに売り場を目指すことにした。
「うわぁ……乗ってるだけでどんどんと上に……。これが、エスカレーター……!」
ゆっくりと流れる景色を目で追いかけるさまはまさに子供。
三階に辿り着いて通路沿いを眺めていると、色とりどりの服を着たマネキンが整列しているのが目に入る。目当ての店舗で間違いないだろう。
「レディース用の店か、入るのに気が引けるな」
「え、なんでですか? 捕まっちまうからですか?」
「別に捕まりはしねえよ!」
「なら早く行きましょうっ。わたし、晃仁様のエスコートっぷりに期待が高まってます!」
まったく必要のないハードルを設けて、意気揚々と店内に入っていくミコを渋々追いかける。
華やかな色のトップスや薄手のスカート、ゆったりとしたネグリジェに布面積の小さな下着。
歩を進めるにつれて居た堪れない気持ちが沸々と湧きたつが、先を行くミコはどこ吹く風といった様子だ。
「あ、この色可愛いですっ! こっちは大人しいですね……晃仁様、どっちがいいと思います?」
「お前ならどっちだって似合う」
「嬉しい言葉であるはずなのに、恐ろしく感情がこもってない……! どうしたんですか、もう」
「どうしたもこうしたもなあ……馴染みがなさ過ぎてだな……」
「……なるほど。そこまで思い詰めた青春時代を送られていたのですね……。でも大丈夫ですっ! ミコがしっかりとお役目を果たしますので!」
「うるせえ。お役目もいいが、先に用件だけ済ませようぜ。いま着ているワンピースとは別に、寝る時用のルームウェアがあればいいんだけどな」
下着売り場へ片足を突っ込んでいるところを引き返し、ミコが着るパジャマを見繕おうとするが。
当の本人は呆けたような顔をして、慌てて後をついてくる。
「どうしたんだよ」
「え!? いやー……その、ずいぶん熱心に見てくれるんだなぁ、と」
「そりゃお前のを買うために来たんだからな。つってもいまいち何がいいのか分かんねえけどな……って、なんでにやにやしてんだよ」
「……いーえ? 別に、ふふ」
跳ねるように俺の傍まで寄ってきたミコは、それから真剣な眼差しで服を見定め始めた。
その凝りようは凄まじく長時間待たされることも覚悟していたのだが、女性用の服とはいえ流石にパジャマは品数もさほど多くないようで。
「じゃあこの白いもこもこのやつにします!」
ミコのさっぱりとした性格も手伝って決まるのに大した時間はかからなかった。
「じゃあそれと……他になにか必要なモンはあるか?」
「んんー、そうですね……ってちょっと待ってください、あれ!」
「気になるのがあったのか?」
「気になるっていいますか……とにかく見てくださいっ!」
会計に向かう途中、辺りを見渡しながらそう訊ねてみたのだが。ミコの様子がおかしい。目新しいものを見つけた時とはまた違う、この高揚感。その瞳が捉えているところに、俺もまた目を向ける。
「ふう……これも、違う。ああもう、ウチには分かんないよ……」
見覚えのある黒髪。着ていたのはカフェの制服ではなく、普段着だと思しきブラウスとロングスカートであったが。いま目の前で頭を悩ませる彼女は、記憶の中のそれと確かに一致していた。
「七井……?」
足を止めて名を呼んだことを後悔する。いまは人の姿のミコと行動していたことに気付いたのだ。
けれど覆水盆に返らず。
「え……九原、さん?」
後ろで結わいた髪を揺らしながらこちらへ方向転換してきた七井――志穂と視線が交わる。
片手に女物のパジャマを抱え、銀髪の美少女と行動を共にする俺は、果たして彼女の目にどう映ったのだろうか。
空白で埋めつくされていく意識の中、ふとそんなことを思った。
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