第28話「これは晃仁様にとって幸せの味だってことですね」
その日の覚醒は唐突だった。眠っている人間というのは得てして自分が起きたことをあらかじめ知るわけではないと思うが。とにかく、穏やかな目覚めではなかった。
「おはようございますっ! 気持ちのいい朝ですよ!」
布団をかぶる俺に馬乗りになったミコの、無駄に
締め切っていたはずのカーテンはいつの間にか全開。寝ぼけた眼に沁みるような陽光が窓から注がれていた。
「……んで」
「はい?」
「なんでお前が腹の上に乗ってんだっつの」
上手く声が出ない。それでもふり絞れば、窓からの光と似通った透き通る輝きが二つ、俺を不思議そうに捉える。
「なんでって、今日は何の日かお忘れですか?」
「……買い物だろ。知ってる。聞きたいのはこのダイナミックな起こし方についてだ」
「それは、マンガ? と呼ばれる読み物にこうすると良いって書いてましたのでっ」
おおかた俺のタブレットで電子書籍を読み漁ったのだろう。好奇心が
決して重くはないが、このままでは動くことすらままならない。退くようにミコを諭し、熱が
「ちっ、変な汗がでてやがる……」
「ならお風呂を追いだきしますよっ。わたしが入ったお湯があるはずですから」
「え、お前いつの間にそんな」
慣れた調子で給湯器のスイッチを押すミコに驚く。まだここで暮らすようになって一週間と少しだというのに、予想以上に馴染んでいる。
「というかいつの間に入ったんだお前……」
「そんなの晃仁様が起きる前ですよ。いつまで経っても起きねえので、先に準備をと思いまして」
ずいぶんと早起きな上に、手際がいいものだ。
取り敢えずミコの助言には乗っかることとして脱衣所に向かう。お湯が温まる前に身体を洗い、頃合いを見て浸かる。朝はシャワーで済ましがちだが、贅沢にも湯船に入ることでそこはとない休日感を感じた。
だがそれでも朝っぱらから熱いお湯に浸かるというのは慣れない。
そうそうに切り上げてリビングに戻るが、どこか部屋の様子がおかしい。
「ふーん、ふふーん……」
下手くそな鼻歌を歌いながら、ミコが台所をちょこまかと移動していた。あちこちの棚が空いているし、コンロには火がついている。
「な、なにしてるんだお前」
「あ、晃仁様お帰りなさい! 今は見ての通りお料理をしていますっ」
「り、料理だぁ?」
これは、あれか。代わりに朝食を作ろうとしてくれている健気さか。
その心遣いは嬉しいことだが、沸騰して音が鳴っている鍋やまな板に散乱した何かしらの破片の醜悪さを目にしてしまうと、素直に感謝を述べる気にはならなかった。
「……はあ」
「ちょっと!? なんで火を消しちゃうんですか!?」
「この部屋を火の海にしたくねえだろ」
全く危なっかしいことをしでかしてくれる。ミコの眉間に軽くチョップをお見舞いし今度は破片を片付ける。
取り敢えずこれを処理しないことには、朝飯を作り直すこともできない。
「うぅ……すみません。お料理作戦、失敗です」
「作戦ってなんだよ?」
すっかり項垂れて俺の隣で片付けを手伝うミコに訊ねる。昨日のことといいまた何か企んでいたのか。
「ご飯を作ってもらう人がいるのって、とても幸せなことなのではと思って」
恰好がつかないのか顔は赤く、言葉も尻すぼみだったが、言わんとすることは理解できた。
俺が変わってるのだとすれば、ミコも間違いなく変わっている。以前までは湧いていたであろう怒りの感情も、今では感じることもなかった。
「ま、そうかもしれねえが。お前にはまだ早かったな」
「はあ……見よう見まねでやろうとしたわたしが馬鹿でした。危うく晃仁様の住まいをぶち壊しに……」
ひとまずミコと一緒に掃除を終えるが、消沈した気持ちまでは中々治らない。やけに色褪せて見える銀髪をくしゃりと撫でつける。
「それはとりあえずいい。それより慣れない奴が火とか刃物とか無理して使うなって話だ。アニマが怪我するのか知らねえけど、万が一があったらと心配になるだろ」
「……! 晃仁様……!」
万華鏡のように双眸を輝かせ、両手を胸の前で合わせて感激を表すミコ。そこまで極端な反応を返されると心配したのが恥ずかしくなる。
料理に興味があるなら暇なときに練習に付き合うと約束し、改めて俺は簡単な朝飯を拵えることにした。
「朝なんてトーストとかで適当に済ましがちだが、せっかくならもう少しまともなものを作るか」
昨日の米の余りを温め直し、冷蔵庫から納豆と卵を取り出す。
「あ、卵ならミコも割れますよっ。納豆も任せてください!」
これくらいならどうにかなるのか、ミコの動きに危ないものは見られなかった。
黄身の中に殻が入ってしまっていたり、納豆のパックにあるシートを剥がすのに汚してしまったり、不慣れな点は目立ったが。
料理を作ってもらうという一種の幸せを俺に与えようとするミコの心を思うと、それほど気にはならなかった。
「完成しましたね、納豆と卵の丼!」
「そのまんまだな」
スクランブルエッグに納豆を落とし込んで火を通し、米に乗っけただけのもの。
素朴なミコの感想以上にこれを適切に表す言葉もないし、俺にとってはとっくに見慣れたもの。
手を合わせてからいそいそと食べ始める。
「美味しいですね、晃仁様っ!」
「そうだな」
「わたしも愛情を込めた甲斐がありましたっ」
「そ……ああ、まあ、そうだな」
「むむ、返しがテキトーです」
一応は本音のつもりだったのだが、やはりほとんど俺が作ったようなものなので気持ちは大して込められなかったかもしれない。
「でも本当に美味しいです。もしかしたら晃仁様の愛情のおかげ……!?」
「どうだか」
愛情、と聞くと思い出さざるを得ないことがある。以前までなら絶対に口にしないことだったが、自然と俺は言葉にしていた。
「この料理は、俺がガキだった頃に家族三人でよく食っていたモンだ。いま思えば簡単に作れる手抜きな料理だが、それでも俺と親父は気にいっていたな」
「……ということは、これは晃仁様にとって幸せの味だってことですね」
口に米粒をつけながらミコが慈しむように目を細める。少しシュールだが、気分は悪くない。
「なら晃仁様のお相手が見つかったら、その時はぜひこれを作ってもらいましょう!」
「気が早いっつの」
「えぇ、でも想像するだけならいいじゃないですか。晃仁様の身の回りの方を思い出してください。彩萌様か志穂様か……まあ玲奈様でもいいですけど。この中だったらどなたが一番魅力的ですか?」
「どうって、なぁ」
気は乗らないが、雑談を拒むのもそれはそれで気が引ける。俺は少しだけ本腰を据えて考えてみることにした。
まず彩萌はあまり料理をするように見えない。お抱えのシェフの料理を毎日食べているだろうという下らない想像が頭をよぎるのみだ。
玲奈は一応一人暮らしだと聞いている、というより無理やり聞かされているので、料理のスキルについては申し分ないだろう。
だがあいつに何かを頼むという愚行は、たとえ空想の上だけでも気が引ける。
「となると七井だな。あまり詳しくないが、家庭的な所作が見た目から滲み出ている」
「なるほど志穂様ですか。確かにあの綺麗な黒髪でお台所に立たれると、絵になりますよねー」
「そうかもな。だからお前が言った中だと七井がいちばんだ」
「はい! 志穂様が、ですね!」
譲らない姿勢を見せるミコに勘弁してくれと願う。名前を口に出すのを習慣にしてしまうと、いざという時に暴発してしまうかもしれない。
「もう、晃仁様も初心なんですからっ」
「お前なぁ……」
ミコの揶揄いから逃げるように飯を一気にかきこむ。
近しくなった距離に戸惑いながらも、どこか気分は晴れ晴れとした、そんな朝食時であった。
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