第2部「九原晃仁の懊悩」

6章「ショッキング・ショッピング」

第27話「女児じゃないです。レディです」

 ミコと和解したころにはすっかり夜も更けてしまっていて。風呂に入って夕食を終えて、微睡まどろみに任せて布団に潜ろうとした矢先のこと。


「あ、そうだっ! わたしたちの仲も深まったことなので。どうでしょう、今日は一緒に寝るっていうのは」


 ミコが何を言っているのか分からず掛け布団をめくった姿勢のまま固まる。

 長らく独りで暮らしてきたので当然だが、寝具の類は一人分しか持ち合わせていない。だから一緒に寝るとなると、それはこの俺の布団をおいて他にないわけで。


「どうした、まだ何か俺の態度で嫌なとこがあったのか? もしそうだった謝る、だからどうか気を確かに……」


「なんでそんな可哀想な目を向けるのですかっ! もうそのことは気にしてませんから!」」


 気にしていないのだったら足で布団を踏んずけるのはやめていただけないでしょうか。

 しかし俺がそう訴えかける間もなくミコのたまのような目が俺を射止める。


「これを機に親睦しんぼくを深めたいということです。わたしと晃仁様の物語が第二部に差し掛かったことを祝して」


「……なんでか分からねえけど、その言葉からは単なる比喩以上の何かを感じるぞ」


「むっ、惚けようとしても無駄ですからね。それともわたしにくれたあの感動的な言葉は嘘っぱちなのですか? だとしたら大した演技です。主演男優賞受賞ですね」


 俺の態度が想定と違っていたことが不満なのか、ミコは露骨に唇を尖らせる。


「それに今は感じませんけど、晃仁様のわたしへの扱いは少し雑です。わたしが言わなければご飯もお風呂も与えてくれなかったじゃないですか!」


「はあ……飯と風呂の次は柔らかい布団ってことか」


 確かに出会った当初はそんな風に接してきた気がするが。というより親睦うんぬんより自分の扱いに不満を覚えていたのか、こいつ。

 だからといって人間ではないとはいえ、少女の容貌を備えたこいつと同衾するのは気が引ける。


「今までどおり、指輪のまま寝てくれよ。誰の目もないとはいえ、俺は真っ当に生きると決めたばかりなんだよ」


「一緒に寝ないことが真っ当ですか」


「ああ」


 それはそれ、これはこれ。俺は布団に潜り込もうとしたが、布団を踏むミコの力は衰えない。

 そして低くしたこの体勢からでは、ミコの着ているワンピースは少し下の布面積が心もとないのが非常に俺としては困ることで。

 ひらひらの裾が万が一にも捲れて内側が御開帳ごかいちょうしてしまったらどうするのだ。


「くっ……その服でそんなとこ立つな!」


「これは晃仁様が買ってきたものでしょっ!」


「そうだったな!」


 ミコが最初に着ていた銀のドレスでは不便だろうと、仕方なく何着か動きやすい服を買い与えていたが。ここではそれが裏目になってしまっていた。


「ああ、クソ。女児用のパジャマなんか持ってるわけねえっての……」


「女児じゃないです。レディです」


 求めてもない訂正に無視を決め込んで、ミコを説得する方法を考える。

 前提としていまこいつと一緒に寝ることはあってはならない。ミコと同じほどの年齢の普通の人間ならそれくらい分かるものだが、生憎とアニマに常識は通じないことが多い。


「なあ……要はお前も俺と同じように布団で寝たいってことと、軽く扱われたくないってことだろ?」


 ミコの心に寄り添うように、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「だが隣とかならまだしも、同じ布団に入るってのはよくない。そこで、だ……」


 あえて次の言葉を溜めると、ミコは固唾かたずを飲んで視線を向けてくる。


「これを機に色々お前に必要なもんを買いに行くぞ。明日からちょうど仕事も休みだし、必要最低限以上に買い足しておくのもいいだろ。服とか布団とか諸々な」


 もちろんミコと一緒に見繕うことも言い添える。そうすればこいつが最初に言っていた目的も一応果たせるだろう。

 その証拠に不満で膨らませていたミコの頬はゆるゆると元に戻り、瞳には星空のような輝きが宿っている。


「それって、つまり……一緒にお買い物に行こうというお誘いですか?」


 妙に嬉しそうに訊ねるミコへ頷き返す。輝きが満天になる。


「よく考えればお買い物もいいですね。わたしとしたことが事を急ぎ過ぎました……」


「は? なにがだよ」


「晃仁様の幸せへの一歩です。今までわたし結婚とか恋愛とか色々と急かし過ぎていたので、まずはゆっくりと女性に慣れていくところからと思って……」


「ああ……」


 俺の過去を考えたのだろう。両親と過ごした記憶と、それによって芽生えた情への忌避きひ

 それを汲み取ってこいつなりにアプローチを変えたつもりのようだった。それが同衾に繋がるのだから実に残念なことだったが。


「とにかくそう言うことだから、今回は勘弁してくれよ」


「えぇー……じゃあせめて指輪になったわたしを身につけて眠ってください」


「はいはい、分かったからいい加減にどいてくれ」


 辛うじて説得を終えると、ミコの身体が淡い光の粒に塗りつぶされる。布団の上にちょこんと落ちた指輪を拾い上げ、もはや定位置となった右小指に嵌める。

 照明を落とし念願の布団に潜り込む。淡い闇の中でミコの声が響いた。


(これから一緒に頑張りましょうね、晃仁様)


(ああ)


(まずはわたし以外の女性を照れずに名前で呼ぶところからです)


(照れてねえから)


(それなら今夜は羊の代わりに彼女たちの名前を唱えてみましょう!)


 想像するだけで気持ち悪くなる。親しくもない女の名前を寝る前に呟く奴がどこにいる。

 馬鹿馬鹿しい提案は程よく俺から思考を奪い去って、睡魔すいまが意識を満たした。


(まあ、心を開くためには名前を意識するのもいいのかもな)


 もはや無意識のうちだったが、そんな柄でもない思いを、確かに俺はその胸に抱いていた。

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