第26話「これからはわたしをもっと頼ってください」

「結論から言うとな、俺はお前に感謝してるんだよ」


 雫が溜まった目を丸くするミコに続ける。


「今日、俺は多くの人から変わったと言われた。それも飽きるくらいにな。俺自身は信じられなかったが、そいつらの口ぶりはどれも迫真で、それに好意的な感情に満ちていた」


 七井も、八重樫も、蓮太郎も。自分では分からない俺の変化について触れていた。

 なかなか実感は伴わなかったが今日一日を終えてようやく分かったのだ。


「俺が変わったのだとしたそれは……ミコ、おまえのおかげだ」


「でも、わたし……ずっとはしゃいでばかりで」


「ああ、そうだな。でもそれは言い換えればお前が無垢むくで、純粋な奴だったってことだ」


 馬鹿正直に結婚が俺の幸せに繋がるのだと宣って、事あるごとにはやし立ててきた。

 それは確かに俺の古傷を刺激したが、それとは別の収穫もあった。


「お前は俺の願いの象徴だって言ったよな。温かな家庭を築きたい、あの頃が、親父と母さんと三人で家族だった時こそが、俺の願いだった。俺が憧れて、目を背けていたことでもあった」


 ミコが現れたとき、正直戸惑った。そして俺の心が急に剥き出しにされたような気がして気持ちが悪かった。今さら認めたくなかった。


「けど一条さんの時計を見つけた時、彼女があれに懸ける願いを聞いて……ツァイトが、アニマが生まれるのを見て気付いた。過去の願いは今も俺の中に変わらずあるって、お前がそれを証明してくれているんだって」


 思い起こされる彩萌の言葉。彼女のことは昔から知っているだけあって、なおさら心に響いたものがあった。


「俺が俺自身を受け入れるようになったのは、お前が生まれてきてくれたおかげだ」


「晃仁様……」


「だからな、まあ……俺が言いたいのは、これからもよろしく頼むってことだ」


 むなしい過去を塗り替える、眩い光に満ちた未来を、再び夢想するために。それに向かって歩んでいくために。ミコの力が必要だと思ったから。

 今までの不誠実を省みて、しっかりとその瞳を見据える。


「……ぐすっ、晃仁様……!」


「うおっ!?」


 不意に温かい衝撃が身体を包み込んだ。

 ミコの顔が近い。細く華奢きゃしゃな腕は俺の首筋に巻き付いていて、垂れる銀色の髪がくすぐったい。


「なんなんだお前、急に抱きつくな……!」


「だって……晃仁様が昔のことを話してくれて、またわたしのことを必要としてくれて……! それが、わたし、嬉しくて……!」


 しゃくりあげて、涙が流れるのを堪えながら語るミコに言葉をせき止められる。

 そして改めて理解した。昨日俺がミコを認めるといった言葉は、こいつになんの安心も与えられていなかったことを。


「わたし、頑張ります……晃仁様が幸せになれるように、辛いことぜんぶ忘れられるように……わたしが」


 腕に込められる力が強まり、ミコとの距離がさらに縮まる。温かい体温はその意思を表しているようにも思え、なにやらいい匂いが鼻孔びこうを刺激する。

 これはミコの発する香りなのか、あまり近づく機会がなかったら今まで感じる機会がなかったなと、そんなことを朧気に感じながら俺の意識は徐々に遠のいていき。


「わあーっ!? 晃仁様、目が白くなってますっ!?」


「……はっ!?」


 絶叫に意識が引き戻される。だが引き戻されるというのはどうも変だ。俺はいま自分がどうなっていたのか頼りない視線で探る。

 身体に触れる柔らかい感触、熱、かかる息、芳香。それから首に添えられた白皙はくせきの腕を見て悟る。


「お前が首を絞めるからだろうがぁ!」


「ぎゃああっ!?」


 幸せを謳う精霊に命を奪われかけた怒りと一抹の羞恥に、ミコの両肩を掴んで俺の身体から引っぺがす。

 ミコはそこでようやく自分がしていたことを自覚したのか、申し明けなさそうな、それでいて照れたような甲高い声を上げた。

 耳をふさぐ俺と、先ほどから数歩離れたところで口をまごつかせるミコ。言葉で埋めつくされていた部屋がしばし沈黙で満たされる。


「……す、すみません。感極まって、つい」


 流していた涙も、ばつの悪い心地も呑み込むように、ミコは澄ました態度で切り出した。


「これでやっと、わたしは本物のアニマになれて……晃仁様はようやくご自身の人生を真剣に生きる気になったのだと思ったから」


 ミコは正座の姿勢のまま足を引きづって俺に寄り添うと、俺の片手を自身の両手で優しく包み込んだ。

 先ほどより苦しくなく柔らかいそれは、あらゆるものを解きほぐすかのような力を秘めているように思えた。


「わたしはミコです。あなたを幸せに導く愛の使徒。だから、これからはわたしをもっと頼ってください。わたしも頑張りますのでっ!」


 潤んだ瞳を細めて笑うミコは本当に輝いて見えて、俺の心すらも照らしているかのようだった。


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