第25話「どうしてそんな他人事みたいに言うんですかっ……!」

 長かった一日も終わり、俺とミコはようやく愛しき我が家へと帰ってきたわけだが。もちろんそのまま寝支度整えご就寝とはいかない。

 床に敷いたクッションに揃って座り、俺とミコは向かい合っていた。


「その、晃仁様は……女性がお嫌いだったのですか?」


 申し訳なさそうに切り出してくるミコの瞳が複雑に揺れる。思い起こしているのは蓮太郎との会話だろうか。


「だからわたしにも最初から冷たく、八重樫様に苛立ってたのですか?」


「……それはお前らが不審だったり、妙に馴れ馴れしかったりで、一概には言えねえが」


 それでも多少はそうした俺の先入観が関わっていたのかもしれない。それに七井との俺の話しぶりを見れば、どっちにしろ自明のことだったが。

 頷きを返すと、ミコはますます項垂うなだれた。


「……ごめんなさい」


 重く発せられた謝罪を咄嗟とっさに否定しようとしたが、できなかった。ミコの頬を静かに伝う透明な雫が、俺から言葉を奪ったのだ。


「わたし、ワガママでした。単なる指輪だった頃にも晃仁様の想いには触れていたはずなのに。アニマとして生まれたことに舞い上がって……会う人会う人を散々勝手に祭り上げて。不快でしたよね」


 七井と会ってから沈んでいたり、彩萌と会ってから少し怒っていたり、きっとこいつは困惑していたのだろう。不安だったのだろう。自分のしていることについての正しさと、俺が腹のうちではどう思っているのかが。


 流す涙は、その不安定な感情からできた結晶だった。


「……確かに、さっき社長と話した時にも言ったが最初は不快だったさ」


 ミコに散々口うるさく言ってきたが、泣かしてしまったのはこれが初めてだ。だからこそ、俺には今一度きちんと向き合う責任があった。


「お前がどこまで知っているのか分からねえが……その指輪は俺の親父、九原正仁くはらまさひとが恋人だった四宮晃代しのみやあきよに贈ったものだ」


「四宮って……」


「笑えるよな。散々嫌ってきた苗字をよりによってお前に付けるなんてよ」


 決して恨みから名付けたわけではない。むしろいま思えば俺は願っていたのかもしれない。

 忌々しい記憶を輝きで塗り替えてしまいたかったのだろうか。


「俺が四歳のガキだった頃、あいつは第二子を身籠みごもった。親父は俺に妹ができるぞと嬉しそうに話してくれたな……」


 当時の俺は、純粋に家族が増えることを喜んでいたが。


「でもその子供っつうのは親父との間に出来たわけではないってことが、その後すぐに判明した」


「え……そ、それって」


「四宮晃代は浮気をしていたんだ。家では良妻を演じていたが、自分の欲に溺れた挙句ずっと親父を裏切っていた。俺が生まれる前からな」


 泣き喚く女性の声が、俺の脳内にやかましく響き渡る。結婚の前にはそういった縁は切ったこと。それでも脅されて不本意に関係を持ってしまったこと。その一度が、決定的な過ちを引き起こしてしまったこと。


 それが真実であるかどうかなんてどうでもよかった。婚姻は破棄され、俺は親父の元で暮らすことになった。


「……それで、晃仁様の家族は、今はお父様だけ……いえ、それも」


 相槌を打っていたミコが言葉を切った。来ていたワンピースの裾を両手で握りしめ、何かに耐えているようにも見えた。

 蓮太郎も既にほのめかしていたことだが、やはりこれも俺の口から言うべきことだ。


「ああ、もう逝っちまった。アルコールだか、過労だか、ストレスを溜めこんでそのままぽっくりとな。まあ、育ち盛りのガキを一人で育てるのはどうしても無理があったってことだ」


「……っ、どうして、どうしてそんな他人事みたいに言うんですかっ……!」


 しまった。鋭く睨むその瞳にいっそう涙が溢れてしまったのを見て、思わず苦い顔をする。

 だが、それでも今さら聞こえのいい言葉で心を飾りたくはなかった。


「すまん……だが実際そうなんだよ。離婚後の親父はいつも疲れていて、あまり満足に会話もできなかった。それでも俺は親父を慰めたくて、学校であった楽しい話をたびたび聞かせて、その時は親父も笑って過ごしてくれたが……」


 その言葉を吐き出すときは、少しだけ胸が痛んだ。


「ある日夜遅くに目を覚ますと、親父は明かりも付けず台所で酒を飲んで泣いていたのを見た。子供を生まなければよかった。彼女と結婚しなければよかったって。いつも辛そうに愚痴を零していた」


「で、でも……! そのお父様は晃仁様の話を楽しそうに聞いていて……!」


「分かってる。俺も親父を恨んでないし、逆もきっとそうだろう。ただ人の心ってのは一色で塗り固められてるモンでもねえんだ。愛を貫けなかった四宮晃代も、一人で子供を育てた九原正仁も、もちろん俺もそうだ」


 それは法やルール、常識という枠を、時に容易くはみ出してしまう。


「親父が死んだときはもちろん悲しかったが、それ以上にした。安らかに眠ったような顔はあらゆる苦しみから解放されたみたいでさ、それを見たときは悲しみとは別の涙が止まらなかった」


 その時は胸のつかえが取れたような心地だったが、それは同時に俺の生きる意味をも持ち去ってしまった出来事だったように思える。

 喪失感にすっかりやさぐれ、暗い青春時代を過ごした。

 いつか死ぬその日のために、死んだようにただただ生きてきた。親父の遺産と、適当なバイトで一日を暮らすカネを稼ぐだけで、それ以上を望む暇もなかった。

 だが転機というのは、そんなどん底に生きる者にも訪れるようで。


「そんな俺を見かねて、一条社長が色々と助けてくださったってわけだ。ろくな学歴もなかったがこうして満足に働けるくらいにな」


 蓮太郎や彩萌とはそれ以来の付き合いで、働くうちに七井や八重樫、そしてミコに出会っていった。

 聞いていて楽しくもないであろう話を、ミコは黙って時には前のめりになって耳を傾けていた。

 そして言葉が途切れたのを見計らって、落ち着いた声音でおずおずと訊ねてくる。


「それじゃあ、晃仁様は自分の幸せについてどう思っていますか? やっぱり、その……わたしの言うようなことは迷惑だったり……」


 続く言葉は出てこない。それもそうだろう、俺の話を聞いてミコは思ったはずだ。ああ、やはり自分の使命感は無駄なことだったと。俺の両親に紐づく自分の存在は決して幸せをもたらすものではないと。


 ミコと出会ってから俺もずっとそう感じてきた。独りで生を終えることが正しいことだと、九原正仁と四宮晃代の二の舞になるのだけはごめんだと、ずっと自分に言い聞かせてきた。


 だが――。


「おい、まだ話は終わってねえからそんな顔するなって」


 勘違いしているミコの頭を軽く小突く。これで話が終わりなら、俺は弱っているミコに追い打ちをかけただけの鬼畜野郎になってしまう。


「いいか? これから言うことをよく聞いておけよ」


 ここからが本題だと言い聞かせるように、俺は一段と低い声で言葉を紡ぎ出した。

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