第17話「社長令嬢への助太刀は体のいい言い訳なのでしょうかー?」

「それでは一条さん。そのぬいぐるみのポーチを購入した時からここに来るまでどんな道を通ったか、もう一度よく思い出してみてください」


「んー、そうですわねー……今日は午前授業だったので少し遠くの方へと足を延ばそうと、外れの雑貨屋さんに行ったのですわー。購入した品を軒先で見せ合いっこしたりして……そこでそのまま解散しましたの」


「ということはいきなり店に置き忘れたということはなさそうですね。それからは?」


 彩萌は一瞬考え込むように手を顎に当てて、それからその手をぽんと合わせた。


「ええ、思い出しましたわー。家に帰ろうとしていたところで、その途中にある公園から、ぽーんと何かがわたくしが歩く道の方へと飛んできて――何でしょうと思って見ていたら、サッカーボールが転がっているのだと分かりましたの。それから子供たちの声が聞こえてきて、気がついたらそこで彼らと一緒にサッカーに興じていましたの」


「……は?」


 それはここまで順調に渡っていた橋が次の一歩で崩れ落ちてしまったかのような、そんな裏切られた感覚だった。


「サッカーで、遊ぶ? その飛んできたボールを返してあげたとかではなくて?」


「もちろん返しましたわ! その上で一緒に遊んだのですっ!」


「いや、遊んでいたのを咎めているのではなくて……理由が知りたかったんです」


 やはり彩萌はどこか抜けているようで、ぷりぷりと顔を膨らませて怒ったような表情を浮かべる。俺の方は頭を抱えたくなる気持ちを懸命に堪えて、必要な質問を重ねた。


 こちらの意図が伝わったのか「ごめんあそばせ」と怒りとは別の赤に頬を染めて、彩萌は態度を取り繕う。


「私の通う黒原学園くろはらがくえんでは、男女で体育の授業内容が異なりますのー。ですから女子であるわたくしはサッカーの経験が乏しく……これを気にやってみたいなと。あの子たちも見ず知らずのわたくしの誘いに快く応じてくれましたのよ? 素敵なことだと思いませんかー?」


「……そう、ですかね。まあ事情はおよそ分かりました。きっとその時に購入したという猫のポーチを外してしまったんですね」


 運動するならば当然かばんの類は邪魔になる。十中八九、その最中は外していたはずだ。

 簡単な推理。この程度ならひとりで想像できるだろうし、彩萌もとっくにその可能性を潰しているものだと思ってたが。


「……なんと、まぁー……九原様はたいへん賢いのですわね。ホームズの子孫なのでしょうか、それともポワロ?」


(……大丈夫なんですか、この方?)


 心の中で響くミコの声に便乗したい気持ちをぐっと抑える。

 この一条彩萌、裕福な家庭で大切に育てられてきた影響からか、やはり世間の人々からは大きく外れてしまっているようだ。

 簡単な可能性に気付かないばかりか、俺を創作の世界の住人と勘違いするとは。


 まあそうでなければ、彩萌も今頃は探しものを見つけてとっくに帰宅していたことだろう。

 湧いてきた頭痛を首を振って誤魔化し、俺は気合を入れ直す。


「でしたら、その公園とやらに案内していただけると」


「はいー、参りましょうか」


 そう言うと彩萌はごく自然に俺の横に並び立った。肩が触れ合ってしまいそうな距離で。


「あの、すみません」


「どうかなさいましたかー?」


「人は普通、こんなに近づいて歩いたりしないものだと思うんですけど」


 動き出してしまった歩を止めることも、あからさまに嫌がって離れることもできず、弱々しい主張しかできない俺。

 こんな曖昧な言葉で何ができるというわけもなく、彩萌は可愛らしく小首を傾げるばかりだった。


(やりづれえなあ……)


(いいじゃないですか、別に。何をしたのか知りませんけど、随分と懐かれているようですし。晃仁様も美人に迫られてドキドキしているじゃないですか)


(それは恋でも何でもねえって。こんな光景が社長とかに見られたらどうなるかと思うと気が気じゃねえんだよ)


 相変わらずの色ボケ加減にうんざりしながら返すが、すぐにミコの様子がいつもと違っていることに気付く。


(もしかしてミコ、お前なんだか怒ってるのか?)


(……いえ? そ、そんなつもりはねえですけど……?)


 どことなく暗い雰囲気を漂わせているようにも思えたが、ミコの反応は俺が想定していたものではなく、感じた不穏さも今では鳴りを潜めていた。

 それについて追及したい気もあったが、横を歩く彩萌が不意に声を漏らした。


「あらあら、九原様。なにか別のことを考えていらっしゃるようなー?」


「い、いえ、そんなことは」


「本当ですの? もし不都合があるのなら、ここでお別れでも構いませんのでー。もうお仕事も終えられているのでしょう?」


「成果を考えばそう言っても差し支えないかもしれないですが。しかし早く帰り過ぎても、新たに仕事を押し付けられるかもしれませんし」


「まあ、面白い人ですわ! 社長令嬢への助太刀は、体のいい言い訳なのでしょうかー?」


 不意に飛んできた皮肉めいた言葉に内心どきりとさせられる。確かに彼女は性格も呑気で世情に疎い面があるが、人を見る目は一級だった。


 上に立つ者の血筋の影響か人間関係を俯瞰して見ることに妙に長けているようだ。


「こちらのほうが急を要すること、って意味ですよ」


(なんだ、晃仁様にもそんなホーベンが言えたのですね)


 まったくミコは俺をなんだと思っているのか。

 流石に言ってもいいこととそうでないことの分別は、俺でもついている。今朝の八重樫のような件は、近頃の心の不安定さが関係しているとはいえ反省すべきことだが。


 と、今は過去を省みるより、彩萌に確かめなければならないことがあったのだった。


「それに一条さんがあんな風に道に目を凝らして探し物ってのも、なんだか珍しいような気がしまして」


「…………それは、どのように?」


 いつもの彩萌らしくない少し冷たい声色。俺は手伝いを申し出たことが正しい判断だったと悟った。


「社長令嬢ともあろう方が、周りの好奇の視線に一切気付いていなかった。いや気付いていたとしてもそれに対して配慮できるほど余裕がなかった、というのがまず一点」


 俺が内心でミコと会話していたのを、何も知らないであろう彩萌はその微かな違和感に気付いていた。

 周りの視線に敏感に反応し、相応に振る舞うことには彼女も本来は慣れているはずなのだ。


「あとはいつも世話をしている執事にすら連絡をしていないということですかね。先ほど携帯を見させてもらったとき、メッセージアプリのプッシュ通知が目に入ってしまいまして。定時の連絡が来ないことを心配しているようでした」


「……もう、乙女のプライバシーを盗み見るだなんて。いつも素っ気ない九原様が妙に優しいと思っていましたら、そういうことでしたのね」


 会った時の間延びした口調はもう完全になくなっていた。どこか気怠いような、落ち着いた態度で彩萌は息をほうと吐いた。


「ふう、お父様が社長職に就任なさって五年。あれからわたくしも成長できていると思っていたのですけど。なかなかお姉さまたちのように上手くいきませんわねぇ」


 彩萌がこんな愚痴を吐くなんて珍しく、俺は少し驚いてしまった。


「ああ、ここですわ九原様。わたくしが遊んでいた公園というのは」


「……そうですか。ならとにかく探しましょうか」


 いつもとは違う彩萌の様子も気にかかったが、目的地に着いたというのなら無理に会話を続ける理由もない。


 誰もいなくなって余計に寂しく見える夕焼けの公園を、俺たちは手分けして探すことにした。

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