第14話「あたし、九原さんに聞きたいことがあって」

「いえ。数分ほどですので、お気になさらないでください」


「ほっほっほ、なるほど。そう言えば仕事人の君に会うのはこれが初めてか。中々様になっているようじゃが、そう固くされるとやり辛い。いつもみたいに軽く接してはくれんか?」


「……分かりましたよ、マスター。じゃあ、ここに座って。始めましょう」


 少し砕けた敬語交じりで促すと、六道マスターは柔和な笑顔で応じる。


 彼を訪ねることが、俺が今回ここに来た目的であった。決してここで珈琲を飲んで寛ぐためではない。どうだ、ミコ。参ったか。


 心の中で大人げない勝どきを上げながら、携帯している鞄からタブレット端末を取り出す。


「おや、また君は砂糖をこんなに……君もそろそろ年なのだから、糖分は控えたほうが良い。身体を壊してから後悔しても知らんぞ」


「雑談の話題としてはあまりよくないですね……まあいいですが。そうは言ってもマスター、俺には食ぐらいしかこれといった趣味がないんですよ。そのために生きている節はあるので、だから例えそれで死期が早まっても――」


(……そんなことは……)


 明らかにいつもより悲しげなミコの声にはっとする。ついいつもの癖で自分をないがしろにするようなことを口走ってしまったが、幸せ云々うんぬんを謳うこいつの前ではご法度だろう。


 俺は慌てて言葉を飲み込んだ。


「……まあ、そうですね。確かに再三言われていますし、少しは控えることにします」


「おお……! 是非そうしなさい、その方が彼女も喜ぶじゃろう」


 すぐに訂正すると目の前のマスターも、脳内のミコも安堵したように声を漏らした。


「……俺の事はこの辺でいいでしょう。そろそろ本題に移りませんか」


「ああ、そうじゃったな。それで、この店で打ちだそうとしている新商品デザートの件――君のところに考えがあるそうじゃないか」


「はい。こちらですね」


 俺はタブレットを操作し画像を表示させる。


(これって、昨日食べたケーキに似ていますね……)


「ほう……ベリーのチーズケーキか」


 一条製菓で開発したブラックベリーを用いたチーズケーキ。ミコに食わせたのはその試作品のうちの一つだった。


「華やかな見た目ながら、落ち着いた上品な味わい。ここのターゲット層を考えると人気を集めることは間違いないと思います。参考にですが、弊社の既存商品の年代別の売り上げがこちらに――」


 用意してきた資料を駆使して売り込んでいく。

 ここに連日通っていた俺は、最近の純喫茶六道の動きを察知することができていた。

 急に仕事の変更を明示されたときは焦ったが、その甲斐あって順調に交渉を進めることができた。


「――それならば、契約の方向でまた次回よろしくお願いします」


 一時間は経っただろうか。すっかりと外が茜に染まった頃、挨拶を終えたマスターが奥へと帰っていく。


 その姿を見送り、俺はほっと息を吐く。さすがに受注確定とはいかなくとも、いい形で次に繋げることは出来た。これで文句は言われないだろう。


(晃仁様、とてもかっこよかったですよ)


(……あっそ。まあ、邪魔してくれなく助かったぞ)


(ふふ、素直じゃないですね)


 あれほど口を酸っぱくして言ったからか、本当に心から俺を気遣ってくれたからなのか、すっかり従順な態度のミコに俺はぶっきらぼうに返した。


(あ、また珈琲飲むんですか?)


(定時までそれほど間もないし、きりもいいからな。今日はここまでだ)


(はあ……いいんですか、それで。まあともあれ、先ほどの件は分かってますよね?)


(糖分は控えるって)


 きっぱりと言ってのけると、俺の様子を遠くからちらちらと窺っていた七井に声をかける。

 俺が呼ぶや否や、嬉しそうに後ろに縛った髪を揺らして駆け寄ってくる。まるで子犬だ。


「は、はい。ご注文ですか……?」


「ああ。カフェオレを一つ」


「あれ、いつものブレンドコーヒーではないんですね」


 七井が注文を取る指が止まる。その栗色の瞳は丸く、さながらどんぐりみたいだった。


「糖分を控えろって、マスターに言われてな」


「……それはいつも言われているような……? あと、九原さんもしかして……砂糖を沢山入れているのは、そうじゃないと飲め――」


「カフェオレ一つ。ミルク多めで」


「くすくす……はい、分かりました。そういうことなら、あたしが誠心誠意でお作りしますねっ」


 今日の七井は少しテンションが高い。俺の注文を承ると、軽い足取りでキッチンの方へ向かってゆく。


「あいつ、ウエイトレスじゃないのか」


(まあまあ、乙女心を察してやってくださいよ、晃仁様)


(……お前に俺らの何が分かるって言うんだよ)


 カフェオレを待つ最中は、当然手持ち無沙汰になるわけだが。ミコがいるとこうやって他愛のない雑談に興じることができていい。


 退屈する間もなく、七井が戻ってくる。


「はい、お待たせしました。こちらカフェオレになります」


「ああ――ってなんで二つ持ってるんだ?」


「えへへ……マスターに休憩に入れって言われて、折角ならご一緒して来いと……」


「休憩はいいが、客と談笑していていいのかよ。一応営業時間内だぞ」


「え、えーと……それは。でも、九原さんだって、まだお仕事の時間なのに、こうして飲んでいますよ?」


「……マスターがそう言ったのか? クソ、余計なことを」


 予想外の援護射撃に、俺はわざとらしく天を仰いだ。

 それを了承と受け取ったのか、俺の分のカップを机に置くと、すぐ隣の席に着いた。


(おお、見た目の雰囲気のわりに積極的ですね。これは好都合です)


(お前にとってはな。俺からすると困るだけだ)


 懲りないミコにはにべもなく。俺は湯気を立てているカフェオレに口をつける。旨いが、やはりまだ熱い。息で冷ましながらちびちびと飲み進める。


「……あの、九原さん。あたし、九原さんに聞きたいことがあって」


 俺と同じくカフェオレを手に七井が尋ねてくる。普段よりも一つ落ちた声のトーン。ぱたぱたと忙しなく動く脚。顔を見れば、薄っすらと赤く色づいているのが見て取れ、緊張しているのだと分かる。


 どんな質問をしてくるんだと内心突っ込みたかったが、健気なその態度に無言で頷いて了承する。

 まあ、大人しい七井の事だ。何気ない雑談でも緊張するものなのだろうと、高を括っていたのだが。


「そ、その……九原さんの右手にある指輪って、どんな意味なんですか……!?」


「ぐほぉあぁっっ!?」


 想定する限りの――いや想像の範疇を優に超えた最大火力に、二度目となる粗相をしてしまったのだった。

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