3章「奥ゆかしき乙女」

第12話「いや、JKは無理だろ」

 ラーメン屋高本を後にした俺とミコ、あとついでに八重樫。

 昼休憩が終わりそろそろ会社に戻るという段になって、午後の仕事内容が三浦課長によって変更されたことを思い出した。


 新規開拓。こんな思い付きのように取ってこれるようなものでもないはずだが、どうにも我らが一条製菓は緩いというかお気楽な気質がある。

 社長がだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、振り回される身としては中々に辛いものがあった。


 まあ、命令に背いて悪目立ちするのは避けたい。俺は決定に従うのみであった。

 しかしこのことを八重樫に告げたときは心底うんざりしたものだ。「私を捨てないでくださいよぉ!」などと往来で騒ぎ立てるものだから、宥めるのに苦労させられた。


 今日の一件で俺は八重樫の評価を少し肯定的に改めることになったのだが、ミコの方は違うらしい。未練がましく会社へと帰っていく八重樫を舌を出しながら見送っていた。

 ついさっきまでは「お相手候補ですね!」なんて持て囃されていたというのに、とんでもない勢いで株を落としたものだ。八重樫・ショック。


 さて、俺の方はと言えばミコを指輪に戻した後、課長の命令通りに新たな取引先を探しに行ったわけだが。

 当たり前のことながら上手くいくはずもなかった。


 そもそも一条製菓で扱っているのは洋菓子が主なもので、かつ値段が高いものが多い。置ける場所も自ずと限られる。その上で相手の都合を考え、如何いかにして製品を推すかのトークスクリプトを考えなくてはならない。


 有り体に言ってしまえば、行き当たりばったり過ぎてすぐに結果を出すのは難しい状況であった。

 まあそんなのは分かり切っていたことだし仕方のないこと。大事なのは、それでも焦らずにじっくりことに当たる図太さだ。


(だからといってこんな所でサボってていいんですか?)


 と、半ば現実逃避をしていたところ、俺の右手に戻っていたミコに痛いところを突かれてしまう。


(サボってねえだろ。カフェで珈琲を飲んでいるだけだ)


(仕事中ですのに?)


(仕事中ですけども)


 ことんと、今しがた口に付けていたカップをコースターに置く。

 カップに並々と注がれた黒には、白い粒が浮いている。俺がこれでもかと入れた角砂糖が溶けきれなかったのだろう。


 ここのカフェ、『純喫茶・六道ろくどう』のマスターからはいつも身体に悪いと窘められるのだが、知ったことではない。

 ただでさえ苦い現実だ、ここだけでも甘えさせてほしいと思う。


 ぼうっと店内を眺める。マスターが立つカウンターの隅っこにある席。全てを見渡せるその位置からは、ダークブラウンの木目調の内装も、吊り下げ式の裸電球はだかでんきゅうも、行ったり来たりのウェイターも、仄暗ほのぐらい室内に映える観葉植物も全てを見渡すことができた。


 ずずっともう一口啜る。


(ずるいですよ晃仁様。一人だけ寛ぐなんて)


(なんだ、そっちが本音か。珈琲なら家にインスタントがあるだろ)


(ぶぅ……そんなの店で高いお金を払って飲む方が美味しいに決まってます。どうせサボるならわたしもご一緒させてください。一人で楽しまねえでください)


(だーかーら。サボってるわけじゃねえって――)


(お願い、晃仁お兄ちゃんっ)


「ぐふっ!?」


 甘い声を出して懇願こんがんするミコに、危うく珈琲を零しかける。

 最初はあんなに嫌がっていたくせに、もう使いこなしていやがるとは。

 それになんだその声は。まるで八重樫の霊を口寄せしたみたいな気色の悪い猫撫で声だった。


(巫女だけにということですか、晃仁様?)

(やかましいわ)


 会話だけでもこれだけエネルギーを消費するというのに、人間の姿で連れまわすなんて滅多にしたくない。

 それに今は仮にも仕事中だ、「親戚の頼みで」なんて言い訳も役に立たない。


(……でもやっぱり一人だけ指輪でいるのは嫌なんです。晃仁様とお出かけするの、ちょっと楽しかったのに)


(……そうか)


 今度は少し怒ったような口調。確かにミコからすれば今までの塩対応が軟化したと思った矢先にこれだ。「珈琲を飲んで仕事してますー」といっても信じられないだろうし、突き放されているようにしか思えないのかもしれない。


(分かった。今度の休みにでもまた付き合うから。今回は勘弁してくれ)


(……! 本当ですか!?)


(ああ。まあ、ここじゃあないけどな)


(やったあぁぁ! ありがとうございますっ!)


 俺の譲歩に色めき立つミコだったが、すぐに何かに気が付いたように唸り始める。


(どうしてここじゃないんですか? お洒落で素敵だと思いますけど……)


(……直に分かるさ)


 ここをあえて除外したのにはもちろん理由があった。しかし、それを説明するよりも早く、俺の視界に迫りくる影があった。


「あ、あ、あの……! 九原さん、宜しければこちらもいかがでしゅか……って、ああ、噛んじゃった……!」


「……またか? 別に頼んでねえぞ」


 いつものようにおずおずと声をかけてくるそいつに、俺はなだめるように言う。


 純喫茶・六道の店員バイト、七井志穂なないしほだ。後ろに一つに結んだ黒髪に、前にはピンクの髪留め。紺色の制服に身を包む彼女は、正にカフェ店員で働く女性のある種の理想形だ。しかも女子高生。見事な役満だ。


 しとやかな雰囲気を漂わせる七井の両手は、珈琲が入ったポットに添えられている。

 時折、いや毎回と言っても良いほどの頻度で、彼女はこうしてサービスしてくる。

 個人経営とはいえそこそこの人気店なのだから、少しは控えたほうがいいと思うのだが、ここで働く人間はどうにもお人好しが多い印象だ。


 まあ、そんなこんなで、毎回やんわりと断っているのだが。


「い、いえ……九原さんは常連さんなので。そ、それに、何だか難しい顔をしてたから……」


「そうなのか」


 難しい顔をしているのは、うるさい奴が脳内にいるから。もしくは距離感がおかしい部下がいるからなのだが。

 どちらも一般の女子高生である七井に話すことではない。その気遣いはありがたいが、やはりここは断るべきだろう。


(……はあ、晃仁様。これはいけねえです……)


(は? なんだよ、いま話しかけんな)


 今まさに言葉を紡ごうとしている俺に、構わずミコが割り込んでくる。邪魔をするなと牽制するも、「いけねえ」とはどういうことか、その続きを待っている自分がいた。


(本当はここにいたんですね! 晃仁様のお相手候補!)


「いや、JKは無理だろ」


 ミコの突拍子もない発言にもいい加減慣れてきた。これを短くを切り捨て待たせている七井の方に視線を戻すが。


「あっ……」


 顔を青ざめる彼女に、俺は初めて自分の過ちに気付いたのだった。

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