第11話「可愛いねぇ君……お姉さんと仲良くしない……?」

 八重樫に怪しまれないうちに急いでミコへと視線を送る。「話を合わせろ、余計なことを言うな」、視線だけでその意図を汲み取ったのか、ミコは硬い表情で頷く。


「あ、ああ。八重樫か。こんなとこで奇遇だな」


「私、高本のラーメンが大好きなんですよねー」


 知らなかった。知らなかったし、知ってたらここへは足を運ばなかった。

 引き攣った笑みを浮かべて八重樫に答える。


 ミコにはああ言ったが、八重樫にこいつの存在が気付かれないのならそれに越したことはない。

 俺はこのまま注意を惹き続けようとしたが。


「あ、そうそう。で、先輩が困っているという話でしたけど――と、おや?」


 流石に入社一週間にして会社に馴染んだ女は違う。会話をする俺を隔てた先にいる、見知らぬ銀髪少女に目聡くも気が付いたようだ。


「こちらのお人形さんみたいな子は一体誰です? たまたま並んでいるという訳にも見えませんけど」


 意図していたかは分からないが、八重樫は俺の用意していた言い訳を先んじて潰して尋ねてくる。

 やはりをするしかないようだ。微かに諦めを滲ませ、俺は隣のミコを指し示す。


「あーこいつは、とある親戚の娘さんだ。最近になってこの辺に引っ越してきたんだが、今この時間だけは保護者の都合がつかず、こうして俺が面倒を見てるってわけだ」


「はい、四宮美子といいます! あの、晃仁お兄ちゃんの勤め先の方ですよね? いつも彼がお世話になってます!」


 与えられた役割をしっかりと演じてくれるミコ。その様子はいたって平常であり、きっとこれならば八重樫にも怪しまれないだろう。

 そう踏んでいたのだが――。


「な、ななな……」


 そんな彼女はミコが挨拶するや否や、酷く吃驚きっきょうしたように声を震わせた。

 しかし無理もない。俺にこんな親戚がいるとも、それがこんな現実離れした美少女などとも、どちらも到底信じられるようなことでもないのだから。というか俺だったらまず信じないだろう。


 やがてその目は潤み、頬が紅潮する。

 見え透いた嘘を言う俺に怒ったか。


「なんという、愛らしさ……!」


「…………はぁ?」


 違った。

 聞き返す俺に目もくれず、八重樫は席を立った。それから俺の身体を横切って、ミコの方へとずかずかと歩いていき。


「可愛いぃぃぃ! お人形さんみたい! うわっ、髪さらさら、肌もちもち、まるで人とは思えないよぉ……!」


「ぎゃあぁぁぁ!? な、なんですかぁ急にぃ!?」


 ちょこんと座るミコの隣に近づき、物凄い勢いで揉みくちゃにした。およそ成人女性が初対面の相手に取る行動ではない。

 その急な変貌に、俺は圧倒される。


「ぐへへへぇぇ……可愛いねぇ君……お姉さんと仲良くしない……?」


「ひ、ひえぇ!? 嫌です離してください八重樫様! た、助けてください晃仁お兄ちゃん……!」


 だがどんな刺激的な光景も、慣れれば麻痺してしまうもの。

 八重樫のあまりの堕落だらくにかえって冷静を取り戻した俺は、その肩を鷲掴みにして二人を離れさせる。


「ここ店内だぞ、八重樫! 社外で醜態を曝すのは止めろ!」


「……はっ!? わ、私は今何を? なんだか急に意識が……」


「ったく、なんなんだよお前は」


 惚ける八重樫を席に返し、俺は嘆息する。

 ただ俺に舐めた態度をとる失礼な女だとでも思っていたが、どうやら違うらしい。


 はっきり言って変態だ。変人奇人変わり者だ。まったく、思わぬ形で再びこいつの教育係になってしまったことを後悔させてくれるとは。


「大丈夫か、ミコ?」


 流石に同情し、左で呆然とするミコの安否を問う。ミコは「ニンゲン……コワイ……」と、御伽噺おとぎばなしに出てくる人間嫌いのモンスターのようなことを呟いていた。

 いつもの輝かしい瞳も光沢を失い、酷く虚ろに映っている。


 とにかく、これでは暫く話にならない。ならば先にもう一方の馬鹿を対処するべきだろう。


「お前なあ、急に来てこれはねえだろ。怖がってるぞ……アイツ」


「ほ、本当にごめんなさい! 美子ちゃんもごめんね? なんか美子ちゃんを見てたら私の中のオタクが囁いてきて……」


「オタクだぁ……?」


「あー、いえ! 何でもないです、はい!」


 それから八重樫は何度も何度もミコに対して頭を下げ続けていた。精神が幾ばくか回復したミコは、その謝罪に力ない笑みを浮かべながら応じる。


「ああ! そうでした、晃仁先輩。そもそも私が声をかけたのはそのラーメンについてです。何だかお困りのようだったので……」


 ああ、そう言えばそんなものもあったなと、色々と失礼な感想を抱きながら。依然としてカウンターに鎮座するそれをミコと共に一瞥いちべつする。


 一口しか食べていないのでまだまだたっぷりと入っているが、正直これを完食できる自信はなかった。

 そうだ、そんな訳で悩んでいたのだと、丼を眺めるうちに記憶が戻ってくる。


「見たところ晃仁さん達は初心者のようですし……店員さんに頼んでお酢を貰ってみてはいかがですか? 辛さが中和されます。それか追加トッピングでバターを入れてみるのもいいかもしれませんね」


「そんなことができんのか……」


 再び暗くなる俺の顔を察し、八重樫がつらつらと案を述べる。どれもこれも的確な内容。

 どうやらこの女、無礼で変態なだけではないらしい。


「あと美子ちゃんを怖がらせてしまったこと、先輩への今までの態度のお詫びも兼ねて、ここは私に奢らせてもらいませんか?」


「気持ちはありがてえが、流石に初任給もまだの新人にそこまでさせる訳には……」


「あ、じゃあじゃあ。私が初めて給料を頂いたら、その時に何かご飯を奢らせてください。その時は美子ちゃんも一緒に」


「つってもなぁ……ミコはどうだ?」


 今回主に被害を被ったのはミコの方だ。だからここは彼女の意見を聞いてみようと委ねてみたが。


「……どちらも却下です」


「え……」


「お……?」


 明るく純粋なミコにしては珍しいその声に、誘いを断られた八重樫はおろか、俺でさえ驚いた。


「八重樫様に借りをつくられると晃仁お兄ちゃんが迷惑を被るかもしれねえので。あとわたしにあんなことをしておいて、ちゃっかり晃仁お兄ちゃんを誘わないでください」


「誘う……って、私はまだそんなつもりじゃないから! そんな下心じゃないからっ! 純粋にお詫びしたかっただけだからぁっ!」


「つーん」


「美子ちゃぁん……」


 がっくりと項垂れる八重樫。時を同じくして、彼女が注文したと思しき丼が彼女の前に置かれる。俺の頼んだよりもよっぽど赤く、吸血鬼の供物改め地獄の大釜のような様相を呈している。


 見るだけで舌がひりひりするようなそれを、「こうなりゃ自棄よっ!」と八重樫は豪快に啜った。一言で言うと凄まじい食べっぷりだった。丼を手渡した店員が呆れたような笑みで見ていることから、彼女はそうとう通い詰めた常連かつ真の上級者とでも言うべき存在なのだろう。


「と、俺の酢もきたことだし、とりあえず腹ごしらえするか。ほい、ミコ。酢使うか?」


 八重樫の事は後に回すとして、早く食べなければ折角のラーメンが伸びてしまう。

 初めての体験を汚すのも忍びないと思っての提案だったが、対するミコは手を顎に当てて何やら考え込んでいた。


「使わないのか?」


「……そうですね、一旦は。八重樫様の思い通りになるのも癪ですし、何よりこれも一つの経験ですから!」


「うぅ……そこまで言わなくても……ずるるっ」


 わざわざ聞こえる声で言い放ち、慣れない手つきで箸を摘まむミコ。本当に大丈夫かと心配しなくもないが、ひとまず見守る。ミコが八重樫に対して冷たくなっているのが面白いというのもあるが。


「では、手を合わせて……頂きます」


 律儀に手を合わせて慎重に啜る。


「むっ……うん? お、美味しい……んですか?」


「聞かれても分からねえけど……って辛くねえのか?」


「はい……いつも食べてるようなものと比べても、そこまで…ずるずる。うん、美味しいです、これ!」


 俺のものと等しく赤いそれを何ともなしに食していくミコ。これが普通なのかと思って八重樫の方を見れば、「美子ちゃん、恐ろしい子……」と目を丸くしていた。


 人間ではないからなのか、ミコは辛さに異常に耐性があるようで、俺が一口で断念した激辛ラーメンをあり得ない早さで食していく。


「ったく、俺だけがまともに食えねえとか……」


 たかが辛さに少しばかり耐性があるくらいのことで、それほど気に留めるべくもないのだろうが、何だか負けているような気がして面白くない。


 酢ですっかりと中和されたラーメンを勢いよく啜る。


「クソ、相変わらずうめえな……だが次は勝つ」


 物言わぬラーメンに対し大人げない闘志を燃やしながら、八重樫の協力もあって何とか昼休憩が終わる前に完食することが出来たのだった。

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