第10話「お代が変わらないのに量を二倍にできるなんて!」
「げげげ……何ですかこの赤さは、吸血鬼への供物ですか」
「……そんな例えどっから引っ張ってくるんだよ、お前」
また一つミコの知識の偏りが心配になるが、その感想じたいには共感を覚えていた。
店のカウンターに並んで座る俺とミコの目の前には、二つの丼が鎮座していた。もちろん吸血鬼の供物などでは決してなく、注文したラーメンには変わりないはずなのだが、どうにも様子がおかしかった。
もやしと肉のような塊が赤いスープに浮かんでいるだけで、肝心の麺が見えてこない。
その原因というのも、馬鹿かと突っ込みたくなるほど
「こんなにあからさまに辛そうって感じでしたっけ? 写真ではもう少し色が薄かったような気がするんですけど」
「ああ、そうなんだが……ミコ。おまえ食券を渡すとき店員になんか言ってなかったか?」
「はい、『二倍にしてください』って言いました」
「は……? なんで」
「え? それは近くの方が言ってたからです『二倍で』って。ご飯のお店には量を増やす『大盛』というシステムがあるらしいんですけど……ここはとても素晴らしいですね。お代が変わらないのに量を二倍にできるなんて! これでわたしも……お兄ちゃんもお腹一杯満たすことができると思って」
思い起こされるのは我先にへとカウンターに向かったミコのことだ。その後を追いかけるように俺は席に着いたのだが、その時には既に食券が店員に渡っていたのだ。てっきりそのまま渡したのとばかり思っていたが――。
「……あのな、二倍っつうのは量のことじゃねえ。辛さのことだ」
「ええぇぇー!?」
口をあんぐりと開き、ミコは俺と赤い粉末がかかったソレとを交互に見やる。それから申し訳なさそうに再度俺の方に向き直ると「申し訳ありません」と頭を下げてきた。
「うう、なんてことを……それじゃあきっと食べられませんよね……わたしったら、せっかくのお昼休みを無駄にしてしまいました」
まるで全てを自分の責任だと思い込んでいるかのような落ち込みようだった。しかしこの店を選んだのは俺が決めたことで、ミコをしっかりと見ていなかったからこそ生じた事件でもある。
なんて、以前の俺だったらどう足掻いても至らない思考で結論付け、丼にかかっていた箸を摘まむ。
「あ、晃仁さ――お、お兄ちゃん!?」
「別に大した問題じゃねえだろ、これくらい。見た目は強烈だが、あくまでも店で提供されている食べ物だ。普通に美味しくいただけるだろ、いやそうでなくちゃ許されねえ……」
赤いスープが絡んだ太麺を掬い、意を決して啜る。が、通常のラーメンと同じ要領で勢いよく吸引したのが良くなかった。
「ぐほおぉっっ!!?」
「きぃやああぁ!?」
ふんだんに香辛料を含ませたスープの辛みと粉末の粉っぽさとが同時に咽頭を刺激する。
耐えきれず咳きこんでスープが少し散ってしまうが、流石に全てを丼にぶちまけてしまうわけにもいくまい。どうにか箸で麺を支えて、今度は慎重に啜る。
口内を刺すような痛みとともに、にんにくと味噌由来のスープの濃厚な旨味がしっかりと伝わってきた。
味はかなり濃い目で、俺の好みにも合っている。激辛好きをはじめ多くの人に好まれているのも頷けるが。
「……流石に辛すぎて、最後まで持ちそうにないな」
セルフサービスの水に口をつけて、唇と口内粘膜を浸す。
一瞬辛さを忘れることはできたが、やはり焼け石に水といったところ。
しかしそれでも俺の身体は冷感を求めた。ちびちびと少量の水を口に入れながら和らぐのを待つ。
「というかそもそも悠長に食っている時間もねえんだよなぁ……」
「うう……」
止まらないぼやきはミコをさらに縮こませ、その姿を見るてまた胸が痛くなる。正に悪循環。どうしたものかと、ただただ赤く染まる丼を見つめていると。
「ふふん、お困りのようですね、先輩!」
「っ、なに……!?」
やけに聞き馴染みのある声が耳を打ち、俺は肩を上げる。声は俺のすぐ横から聞こえた。
視線を向ければ、やはりというべきか八重樫の顔があった。
どうしてここにと聞く間もなく、慣れた手つきで店員に食券を手渡した彼女は颯爽と俺の隣の席に着いた。
左にミコ、右に八重樫。二人の女性に囲まれた俺だったが、悲しいかな全く嬉しい気持ちにはならない。
(まずいことになった……)
ミコと行動している最中に知り合いと遭遇することを考えないわけではなかったが、こうも簡単に実現してしまうとは。
しかも相手はあの八重樫だ。一番気の抜けない相手の出現に、辛さとは別のべっとりとした嫌な汗が俺の額から吹き出てきた。
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