第9話「ほ、本当にアレで呼ぶんですか……?」
陽が高くなった街中を俺はげんなりしながら歩いていた。
急に仕事を振られこともそうだが何よりも――。
「うわあ……これが太陽の光なんですね! 暖かいなぁ……」
原因は言うまでもない、隣を歩くミコのことだ。
目立たない路地裏で隠れて変身したミコは、白のワンピースドレスに身を包み、大層嬉しそうに辺りを見回している。
その様子に微笑ましく思いながらも、やはり気を張ってしまうのは避けられないわけで、目的のラーメン屋に付く前にへばってしまいそうな勢いだった。
「晃仁様、あそこの
「ああ。結構辛いのもあるみてえだから少し敬遠してたが、中々評判が良いらしい。初心者だがこの機会に試してみようと思ってな」
「辛いってどれくらいですか? 晃仁様が作ったマーボードーフと同じくらいですか?」
「さあな、あれよりは辛いと思うが……と、それより――」
店内に足を踏み入れようとしたミコを手で制し、人の通りが少ない端っこに寄って声を抑えて告げた。
「外で晃仁様はやめろって。万が一聞かれてたらどうするんだ。ここに来る前に言っておいたはずだろ?」
「……え? あ、はい……それは、そうですけど」
指摘されたミコは露骨に眉を歪めるが、この呼び方の問題は俺にとっては死活にかかわる程だと言ってもいい。
年の離れた銀髪の少女に晃仁様だなんて呼ばれている姿は、俺たちの関係を知らぬ者からすれば「そういうプレイ」だとしか見られないだろう。
そんな輩に通報されたくはないし、何より自分自身をそのような変態だと公言したくはないので、事前に策を練ってきていたというわけだ。
少女、
多少の無理があるのは承知だが、これに乗っかってくれなければ俺が困ってしまう。
懇願するようにミコを、いや美子を見ると、彼女は頬を染めて狼狽えた。
「ほ、本当にアレで呼ぶんですか……?」
「ああ。このままじゃ万が一の場合言い逃れもできなくなる」
「うう……じゃあ、その……あ、あき……」
(頼む、耐えてくれ)
「晃仁……お、お兄ちゃん……」
「…………くっ」
白い肌を真っ赤に染めながら絞りだしたその呼び名に悶える。
勘違いしてくれるな、決して萌えているということではない。
外見年齢十四、五の少女に妹の振りをさせるという行為。
年齢差で誤魔化せる手だとはいえ、これじゃあ「お兄ちゃんプレイ」だった。紛うことなき変態であった。
その悔しさだけが、俺の胸中に突き刺さっていたのだ。
「あの、やめません? これではお互い損ですし、何より恥ずかしいです……」
「仕方ないだろ、お前を連れていく以上、知り合いに会ったときの説明がいるんだからよ」
「親戚の妹的存在なら、呼び捨てとかさん付けじゃダメなんですか? わたしには親戚がいないんで分からねえですけど……」
「…………あれ?」
渋い表情から一転、美子の思いがけないその言葉に、俺は無様にも間抜けな声を上げてしまう。
え、そうじゃん。全然それで通用するじゃん。どうして俺はわざわざ恥ずかしい方を選んでしまったんだ? 気が狂ったのか?
それともあれか。元が「晃仁様」とか「ご主人様」で、普段の日常生活では呼ばれないような呼び名だったから、思考回路がおかしくなってしまったのかもしれない。変態的思考を無意識に宿してしまったのかもしれない。なるほどそれなら確かに情状酌量の余地もあるかも――ってミコさんそんな顔で見ないでください、俺を蔑んだ目で見つめるのはやめてください。
と、言葉にできない謝罪を噛みしめていると。
「……でも、まあ……いいですよ?」
「え……?」
「ですから、外で一緒の時は……そ、そう呼んであげますっ!」
「でも、お前の言う通り、別にそこまでしなくても――」
「呼び捨てやさん付けだと普段の呼び方が無意識に出てきてしまうかもしれませんし……お、お兄ちゃんの方は逆に意識しすぎてそんな心配もなさそうですしね! 私たちの兄妹設定もより強調できますし、いいんじゃねえですかね!」
早口で捲し立てて俯くミコに、俺も気恥ずかしさが抑えきれない。二人して沈黙し、気まずい雰囲気が流れる。
「ほ、ほら、早く行きましょう! もうお腹と背中がくっついちゃいそうです」
それを吹き飛ばすかのように、ミコは荒々しい足取りで先に向かう。常識に疎いミコを店に先行させるのは好ましくない。だから先回りして収めるべきなのだが、どうにも今の俺は鈍くなっている。
その原因はもちろん先の出来事だった。
(さっき、ミコにお兄ちゃんで構わないと言われ……なんでこんな心臓が脈打ってるんだ……? まさか、お兄ちゃん呼びに萌える変態ロリコン野郎だったというのか、俺は!)
多分、過度な緊張のせいだろう。
そう結論付けるほかない。それ以外の理由を探すことは、今の俺には恐ろしくすらあった。
そうして突っ立てるうちに、店内の方が少し騒がしくなる。案の定ミコが不慣れゆえに戸惑っているのが見えた。
「……昼飯を食うだけなんだから、もう少し落ち着かせてくれよ……」
ミコと過ごすようになってから、感情の振れ幅が大きくなっているように思える。
そのことに確かな疲労と若干の高揚を感じながら、俺はミコの後を追った。
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