第7話「お前、もしかして今までわざと俺を煽ってた?」

 俺の性格を知るものからすれば意外に感じるかもしれないが。俺は朝礼という文化はそこまで嫌いではなかった。むしろ好きな方だともいえる。


 これは一条製菓の「人に安らぎを与えるのならまずは自分たちが穏やかに」という社風が関係しているのだろうか、変な同調圧力をかけられることがないのだ。

 そればかりか、為になる小話やそこそこ面白い体験談などを聞くことができるので、八重樫のせいで荒んだ今では殊更ことさらありがたかった。

 まあ、自分が話す立場になると途端に面倒に感じてしまうのだが。


 今日は我らが三浦みうら営業課長の番だった。物腰柔らかい禿頭とくとうの中年といった出で立ちの彼が、最近アロマにハマっているという話は中々笑いを誘った。

 しかし、香りを周囲に撒くためのディフューザーの紹介の話は周りの社員からの印象もよく、ミコなんかは興味津々と言った様子で「お仕事が終わったら買いに行きましょう」と頭の中で騒ぎ立てていた。


 だがそんなところに金をかける気があるのなら、俺は今頃とっととあの狭苦しいワンルームから引っ越している。

 当然俺はこれを却下。ミコは大層不満そうだったが。


 そうこうしているうちに束の間の安らぎは過ぎ去って、午前の仕事に取り掛かる時間になる。

 いつもの俺なら一営業マンとしての外回りやら応対などの内勤やらが控えているのだが、今日は生憎と別の仕事だった。


「それでは先輩、早速やっていきましょうー!」


「お前が仕切ってんじゃねえ」


 新人社員、八重樫玲奈。俺が教育担当を受け持つ女だ。大学から上がったばかりのこの抜かした態度も、そろそろ矯正してやらないといけない。こいつのためではなく、俺自身の心の平穏のために。


「まあいい。昨日までは内勤での仕事内容を中心に説明したが、それは覚えてるよな?」


「もちろんですよ、私が九原さんの言う事を忘れる訳ないじゃないですかぁー」


「……ほーん、なら示してもらおうか。復習がてら俺が昨日教えたこととその要点を言ってみせてくれ」


 八重樫に教えたのは電話の取り方やメールの打ち方、文章でのプレゼンテーションでの方法などのごく簡単なものなのだが。


「…………えへへへへ」


「あははは」


 目を泳がせて愛想笑いをする八重樫に、俺も笑い返してみる。きっと目は笑っていないだろうが。


(これは……確かに大変みてえですね)


 同情するかのようなミコの声が頭にこだまする。余計に惨めな気持ちになる。


「なあ、お前忘れたな?」


「……はい」


「なんでだ、俺は教えたし、お前も分かったと言っていたよな?」


「えーっと、それはそうなんですけどぉ。後から振り返った時に、なんて言ってたか分からなくなっちゃいまして……」


「うん、だからメモを取るように予め注意したよな? それでも分からなければ直接聞けとも。お前は大丈夫だとかほら吹いてたけどよ」


 肩を縮こませる八重樫をここぞとばかりに詰る。人を馬鹿にしてばかりで碌に仕事を覚えない奴には、少しやり過ぎなくらいがいいだろう。

 そうしてやれば、俺の心も少しは晴れるというものだ。

 さてどんな風に言ってやろうかと、俺が内心ほくそ笑んでいると――。


(……晃仁様、それはダメですよ)


 らしくもない低い声で、ミコがぴしゃりと制してきた。いつもの幼さを感じさせる態度とは異なるそれに、俺は一瞬度肝を抜かれた。

 しかし、よく考えればこいつに俺の行動をどうこうできる権限などない。俺は気を改めて指輪に念を送る。


(うるせえな、文句を言われる筋合いはねえぞ)


(いいえ。今の晃仁様は相手のために怒っているのではなくて、自分が怒りたいから怒っているだけ。わたしに対してならまだしも、他の方にまでそうでは、幸せが遠ざかってしまいます)


(はっ、いっちょ前に役目を全うしようってか。八重樫の事をお相手候補だとか何とか言ってたが、そのためか?)


(晃仁様)


 知ったような口を利くミコに反発するも、彼女は硬い態度を崩さない。どうにも居た堪れなくなって、八重樫を睨んでいた視線をずらすと、こちらを心配そうに見守る三浦課長と目が合った。

 遠くの方で何やら口パクで伝えようとしているのが見て取れる。


 あまりやりすぎるな、ということらしい。どうやら頭に血が上っていたようだった。


「ちっ、何やってんだ俺は……」


「九原先輩……?」


「……お前に仕事を覚えさせるのは俺の務めであって、それが達成できないのは俺に責任がある。お前に文句を言うのは筋違いだ、悪かったな。この件は本当にすまない、気分を害してしまったのなら担当を下りることも辞さない」


「え!? い、いえ、問題ないですけど。そんな急に――」


 頭を下げる俺に八重樫は酷く驚いたようで、胸の前で両手を左右に振って謙遜する。


「元はと言えば私の態度のせいでもあったわけですし、気にしないでください!」


「そうか……」


 この件に関しては俺のミスであるというのに、柄にもない殊勝さを見せる八重樫。

 快く許してくれたことへの感謝と同時に、こうしてみると案外普通に話せるじゃないかと、今まで彼女に対し抱えてきた怒りが急に嘘のように消えていくのだが。


「お前、もしかして今までわざと俺を煽ってた?」


 どうにも聞き捨てならないような言葉があったように思う。俺の指摘に八重樫は今度はより露骨に視線を彷徨わせた。


「そ、それは気のせいですって! 先輩の事を煽るだなんて……ただ、先輩が……」


「気付くって何にだよ」


「……! 何でもありません! さあ、お仕事お仕事。今度は反省を生かしてしっかりメモを取ろうと思いますので、今一度お願いします、先輩!」


 急にやる気を出した八重樫に、さらに困惑が深まってしまう。今の彼女からはこちらを揶揄うような態度はすっかり消えていた。

 彼女も言っていたが、それは自覚した上で振る舞っていた言わばつくられた態度であり、だからこそ彼女の意図が分からないのだ。

 最初は俺のことを嫌っているのかと思ったが、そんな素振りは今のところない。


(気になるならアタックしてみればいいじゃねえですか。人となりも分かるしお仕事も捗ると思いますけど)


(アホか。そんなこといきなりできるわけねえだろ、この色ボケ精霊)


 ミコの提案を一蹴し、俺はこれ以上の詮索を止める。

 目障りな奴から、変な奴に評価が変わっただけの事だ。あまり気にすることでもないだろう。

 それよりもやっと八重樫とまともにやり取りができたのだから、この機に仕事を進めるほうが先決だ。


 でないと、今なおこちらをちらちらと盗み見る課長殿から、どんな小言を言われるか分からないからな。

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