第5話「本当にこれに乗るんですか!?」

(この鉄の箱の行き先は一体どこなんですか? 人が人ではない何かのように詰め込まれているようですが……大丈夫なんですかねこれ、何か大きく間違っている気もしますけど、本当に乗るんですか!?)


 信じられないというミコの声が脳内に響く。

 よかった。何も知らぬ者から見れば、確かにこれは異常な光景であるようだ。虚しい反復を経て擦り切れた心が、その無垢さに洗われる。


 予定よりも数分遅れでアパートを出た俺たちは、駅のホームにて出発する電車と、それに群がる衆人とを見ていた。

 いつもなら俺が乗るはずだったその便に、人々が押し込められていく様には、少し笑いを誘われたものだ。


(ああ、この数分後の電車にな。それより、始業時間にはギリ間に合いそうでよかった)


(はあ……電車。始業時間。そう言えば晃仁様が常々そんなことを仰ってたような……)


 俺からもたらされた単語を反芻はんすうし、ミコは何かを思い起こすような呟きを残す。主に俺の個人用のタブレットを使って多分な知識を蓄えているとはいえ、生まれて一週間でそこらのひよっ子には理解できないことも多かろう。


 数分の空白を埋める慰みに、ミコに色々とこの世界について教えてやるのも悪くない。


(電車ってのは移動手段だ。細かい仕組みは省くが、人が歩くよりもずっと早く移動できる。まあ決められたレールの上しか走れねえがな)


(へぇ……なら、あんなに人が溢れかえっているのはどうしてですか? 今も周りにたくさんいますけど……)


(俺と似たようなものだ。みんな自分の檻に向かい、鎖に繋がれにいくんだよ)


(晃仁様のお仕事は鎖なんですか? じゃらじゃらと巻き付いちまってるのですか?)


 指輪精霊に風刺は通じない。分かっていながらもつい言葉にしてしまう。

 別に特段いまの仕事を嫌ってはいないが、それでもこの光景を前にすると意地悪い気持ちが押さえられなくなるのも確かだった。


 とにかく、共感は得ることはなかったものの、おかげで胸の奥が軽くなったような気がする。


(つうか、お前……その指輪の姿で周りが見えてんのか? 目も何も付いてねえのに)


(そんなの当たり前じゃないですか。外界のことを感知できないなんて、それは生物としての欠陥ですよ)


(はあ……そう)


 もともと指輪は無機物なんだが。しかし生物の欠陥とは、随分と大きなスケールで返されてしまい、少々面食らう。


 そうして他愛のない話を重ねているうちに、次の電車がホームへと入ってくるのが目に留まる。


 来る事態に備え、俺は気合を入れるようにふっと鋭く息を吹いた。


(さて、そろそろだな。すまんが、暫くお前の話に付き合ってやることはできなくなるぞ)


(え、なんでですか――って、いやいや、乗るって本気だったんですか!? 止めましょうよ! いくら檻と鎖だからって行動まで動物になる必要ないですって! ああもう、あんなに人が入っているのに――って突っ込まないでください晃仁様危ないです! ああー! 今あの人晃仁様にわざとぶつかりましたよね!? どうします、やっちゃいますか!? わたし許せません!)


(やるって、何をだよ……)


 ただでさえ騒がしいラッシュアワーだというのに、こうもやかましくされるとわずらわしいことこの上ない。

 既に人間の入る空間など残されていない車内へ押すように入り、乗客の間に自分だけの世界を築き上げる。


(うぅ、わたしまで圧迫感を感じます。それに視界も暗くて……晃仁様、晃仁様? そこにいますよねっ!?)


(ああ、いるから。それと電車を下りるまで俺に話しかけても無駄だからな)


(え、なんでですか!?)


(俺は今から人間をやめるぞーってヤツだ)


 慣れない空間に詰められ動揺するミコに別れを告げ、俺を自分の意識を深い深いところに押し込んでいく。


(あの、晃仁様? おーい、返事してくださいって! こんな所で一人にしないでくださいって! もう、晃仁様の薄情者ー!)


 聞こえない聞こえない。これ以上口を開くことに神経を消費したくない。ミコの悲鳴を自分の中で勝手に他人ごとにして、俺は到着の時を静かに待つのだった。

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