第4話「晃仁様の言動を審査して差し上げます!」
ミコを認めた翌日のことだった。
俺がいつものように出勤準備を整えているその視界の端で、何やらぴょこぴょこと影が動き回っていた。
銀色の髪に俺の腹の高さしかない背丈のそいつの動きは、明らかに俺の気を惹きたいようだ。周囲をぐるぐる回ったり、自分を指さしてみたり、未だ敷きっぱなしの布団に潜り込んでは顔だけ出してみたり散々である。
「おい、うろちょろしないでじっとしてろミコ。あと、布団には勝手に入るな、アニマとはいえ傍から見たら中学生かそこらの女子なんだぞお前は。何か用があるっていうなら聞くから」
ワイシャツに腕を通しながら見かねて声をかけると、再び俺の周囲を駆け始めていたその少女ミコは、珍妙なポーズのままでその場に制止した。それからぴくりとも動かなくった彼女は、どうやら俺の言葉を本気で捉えすぎているらしい。思わず溜息が出る。
「……そこまでしろとはいってねえ。で、何だよ」
昨日までだったらこのノリに疲れて無視していたところだが、一応ミコを受け入れると決めた身だ。
ネクタイを結びながらに尋ねると、ミコはそのダイヤモンドのような眼を一際輝かせた。
「では、お言葉に甘えて! あのですね、晃仁様? わたしから一つ提案があるのですが……」
「提案だぁ?」
「はい! 単刀直帰に申しますと、わたしも晃仁様のお仕事に付いていきたいなあ……と思いまして」
直帰すな。直入しろ。
生まれたての生命ゆえか、この狭い部屋で過ごしてきたからか、ミコの言葉遣いはかなり怪しいものだった。
だが、そんなことは問題ですらなくて。
「仕事に付いてくだと?」
こいつは俺が外に遊びに行くものだとでも思っているのだろうか。予想外の申し出に、意味もなくおうむ返しして与えられた情報を
「昨日わたしのことを受け入れると言ったじゃねえですか」
「それがなんで付いていくって話になるんだよ」
「……晃仁様がこの前きめえことを仰ったからです」
「あ……?」
言われて記憶を探る。心当たりがあるとすれば、昨夜の『だったらお前が結婚してくれ~』の件くらいだが。まさかミコはそれの事を言っているのだろうか。
「じぃー……じぃー……」
まあ、文脈から切り離して捉えるとかなりの地雷発言だったというのは決して否めなくもないがだからといってここに来て擦られるほど気持ちの悪い発言だっただろうかいや気持ちの悪い発言だったのだろう、うん。
「睨むな。分かってる。要するに俺があの調子で他の奴と会話するんじゃねえかってことだろ?」
「それどころか、もうこの部屋に帰ってこれなくなってしまうのではと心配してました」
「捕まるって言いてえのかよ! こちとら社会人五年目だぞ舐めんな」
失礼極まりない指輪精霊のその眉間を、指でぐりぐりと押し込む。
「痛い痛い痛い! じ、冗談ですってば晃仁様! わたしが言いたかったのは、その調子では女性と結婚はおろか仲良くなることすら出来ないんじゃねえってことです!」
「……まあ無理だろうな」
「ほらー!」
押さえつけられていた指の力を受け流すように、ミコは後ろに上体を反らした。手練れの武闘家にさえ見紛う鮮やかな脱出だった。
「ですからわたしが共に行かなければと、そう思った次第なんです。わたしが逐一、晃仁様の言動を審査して差し上げる所存です!」
「……理屈は分かるが無謀だろ。いきなりお前みたいなのを連れて歩いたら、周りに騒がれるのは目に見えてるっての」
「まあわたしほどの美少女ともなればそのお気持ちも分かりますが……心配しないでください。わたしに考えがありますから」
いとめでたき頭をお持ちでないとその発言はできないだろうな。俺がそれを指摘するべきか悩んでいる間に、ミコの身体は光の粒子と化しており、やがてその姿を指輪に変えた。
ミコが人間ではないことを証明する、唯一にして絶対の証明。
その変身を目にするのは一週間前に出会ったとき以来か。未だ
(こうすれば、心置きなく会話できるでしょう?)
手にした指輪が喋っていると錯覚してしまうほど明瞭な声。紛れもない、普段聞いているミコの声であった。
「まあ、確かに。少なくとも周りを騒がせることはなさそうだが……それでも傍から見れば、指輪に向かって独り言を呟くヤバい奴なのには変わりないと思うぞ」
このままでもミコの要望は満たすことができるが、その度に白い目に曝されるのはごめんだ。
食い下がる俺に、ミコは呆れたような顔で声を漏らす。いや正確には表情なんてこれっぽっちも見えるはずがないのだが、一週間の共同生活がもたらした幻影だろうか。
(わたしがこうして念じて話しているのだから、晃仁様もそうすればいいじゃねえですか)
「念じるって……」
(指輪に触れている感覚に集中して、伝えたい言葉を心の中で強く唱えてください。そうすればきっとできますから)
本当だろうか。理解できるようで理解できない理屈に半信半疑ではあるが、ここでうだうだ言っところで何も変わらない。
一つ挙げるとするなら、ただ時間だけがいたずらに過ぎて俺の社会人としての格がまた一つ下がってしまうのが関の山だ。
こういうのは眼を瞑るのが定石だろう。視界を閉ざし、指の感覚に意識を集中させる。
(これで伝わるか……? 本当に伝わっているのか、聞こえていたら教えてくれこのぐーたらポンコツバカ精霊や)
(あーはいはい。いい感じですねー……って何ですかぐーたらポンコツバカ精霊って!)
ノリツッコミなんてどこで覚えたのか、頭の中にミコの甲高い叫びが響き、思わず耳を塞ぐ。その拍子で手から転がり落ちた指輪が、再び人の姿に変わる。
「どさくさに紛れてわたしを罵倒するのは止めてくださいバカご主人!」
「いやあ、普段口では言えないことをこの際言ってしまおうと思ってな」
「普段言えないことを改まって言うときって、大体感謝とかそういうのじゃねえんですか!? 聞こえが悪いことを相手に伝わるように言っちまうのは、それはもはやただの悪口ですからね!? 傷ついちゃいますからね!?」
「すまん、つい口が滑った。いやこの場合は心が滑ったというべきか……?」
「なーにが『心が滑ったというべきか……?』ですか! そんなのどっちでもいいですよ! そもそもわざと言ったことを滑ったとは言いません。わたしには晃仁様の確固たる意志が見えましたもんね! 『あーまたこいつ面倒くさいこと言ってるよ、なんかだるいしいっちょからかってやるかー』ってね!」
ミコの言うように面倒くさいこと極まりないが、その態度に免じて今回はここで退くことにしよう。
さっさと鞄を取り出して目配せする。
「悪かったって。朝のちょっとした余興だ。昨日の言葉を違えるつもりもねえよ」
「……本当について言ってもいいんですか」
「ああ。外での俺の様子を知りたいんだろ? ならたっぷり見せてやるよ。すぐにお前の心配も消えてなくなるさ」
「……ふふっ、そうですか。余計に心配する羽目にならないといいですけどねっ!」
生意気な言葉を残し、再び指輪形態に戻るミコ。床に鎮座するそれを拾い上げ、俺はそれを鞄に仕舞いこもうとしたのだが――。
(ああ、待ってください晃仁様!)
「何だよ、まだ何か文句でも?」
(わたしは指輪のアニマですよ? 暗くて埃っぽい鞄の中よりも相応しい場所があると思うのですが)
「ミコ……お前まさか、指に付けて行けって言わないよな? そんな恥ずか――」
(もちろんそう言ってます。さあ、晃仁様。早くしないと時間が無くなっちまいますよ?)
正気で言ってるのか。こちとら婚約どころか、交際をしている相手もいないんだぞ。
(ああ……サイズの関係もありますし、左手薬指に付けろだなんて言いません。気にせずお好きなところに嵌めていただければ! でもどうしてもというのであれば、わたしが頑張って少し身体を大きくさせることも――)
「んな事言ってねえだろ!?」
形見の指輪を付けることにすらまだ抵抗があるというのに、何を言っているんだこのぐーたらポンコツバカ色ボケ精霊は。
これ以上好き放題言われてはかなわない。俺は急いで右小指に指輪をはめた。
(なるほど、ピンキーリングですか。どうせなら左手の方がいいかと思いますけど)
「勘弁してくれ、これでも十分だろ?」
(はい、もちろん。ありがとうございます晃仁様、指輪としての本分もこれで果たすことができます!)
朗らかに弾む声。きっと今のミコはとびきりの笑顔を咲かせているんだろうなと思う。
(本分、か。人を飾り、人の願いを象徴する。それに奉仕することがミコの喜びに直結しているのか)
(……! えへへ、はい! そうです、その通りですよ、晃仁様!)
「っ……ちっ、あー慣れねえな、クソ」
つい明確に意識に上らせてしまったのは俺の落ち度だが、誰に語るでもない述懐を聞かれるのは甚だきまりが悪い。
露骨に舌打ちして、やっとの思いで部屋を出る。
しかし、この調子が当分続くのはやはり面倒なのだが、いっとう楽しげに鼻歌を歌うミコに、どこか悪くないと思う自分も確かにいるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます