第3話「そろそろ受け入れてくださいよー……」

「ったく、思い出すだけ理不尽だ」


「……? 何がです?」


 風呂あがり。追憶に浸っていた俺の前で、冷えたケーキを頬張るミコが首を傾げた。口元にはベリーソースの紫が移り、丸机にはスポンジのカスがぽろぽろと落ちてしまっている。

 食べ方が汚ないなと悪態を吐きたくなるが、あとでこいつに掃除させることにしよう。


 俺も倣うように一口に切り分けたケーキを口に含む。程よく膨らんだ生地の口当たりとソースと果物の酸味が冷感と共に味覚を刺激する。

 仕事を続けていくのもこれから先の未来についても考えるだけで億劫だが、この美食が比較的気軽に食えるのは、今の職場を選んでよかったと思う点の一つだ。

 ついでに淹れておいたインスタントのアールグレイも悪くない香りで、先ほどまでの心労が洗われるようだった。


「っ、あちち……何ですか、これは……変な味」


 ミコにはこの渋みが不評らしいが。優越感を覚えながら、もう一口カップに口をつける。それを見たミコはなおさら唇を尖らせるが、すぐにはっとした表情で俺に向き直った。


「――と、そうではなくて、晃仁様のことでした。理不尽とは何がですか」


「お前のこと」


「あらら、慎みがどこかに消えていっちまってるような直球ですね。まあ、いいですけど……それでも、そろそろ受け入れてくださいよー……」


「受け入れてはいる。受け入れた上での感想だ」


「明らかに受け入れているようには見えねえです」


 まあ、正直に白状するならその通りかもしれない。

 住民たちの勘ぐりを躱しながら、部屋に住み着くこいつに食べ物やら服やらを買い与え、事あるごとに「いい人はいないんですか」などどはやし立てられる。

 ただでさえ最近はストレスが溜まりがちだというのに、これでは悪化の一途を辿るのみだ。


 一度本気でこいつを追い出そうとしてみたが、いざ脅してみても「ここの他に行き場がないんですよー!」と目を潤ませたり、「それに行く当てもなくわたしが外に出たらすぐ警察に捕まっちまいますよ? そうなったら洗いざらいご主人様との事を話しちまいますよ?」などと逆にカウンターを浴びせられる始末だった。


「……やっぱ納得いかねぇかも」


「はあ……そんなにわたしのことが気に入らねえのなら、さっさと家庭を築いて幸せになってください。そうすればこの生活も終わりですから」


「それが簡単にできるならこんなことになってねぇしなあ」


「……もしかして、遠回しにわたしとずっと一緒にいたいって言ってます? もう、晃仁様ってば健気!」


 わざとらしく頬を赤く染めて身体をくねらせるミコを鼻で笑い飛ばす。七面倒しちめんどうな二者択一を押し付けられ何とも恨めしい心地だ。


 ミコの言う通りに動くのもしゃくで、彼女を追い出すことも得策ではない。ならば、一体どうしろというんだ。俺は残りのケーキを平らげて深く息を吐いた。


「……ああ、じゃあこういうのはどうだ? 俺とお前が結婚する、そうすれば俺は幸せってことになるし、この生活からも脱却できる。名案じゃねえか?」


「――――」


 半笑いで冗談を飛ばす。自分でも言ってて気色悪いと思うが、出来ればこれでミコが俺に対して幻滅し、自発的かつ円満に出て行ってくれれば御の字という、最後のささやかな抵抗でもあったけれど。


 これまでになく長い時間、ミコは口を閉ざしている。

 流石に気持ち悪すぎて言葉が出ないのだろうか。もしそうならばそれは俺の勝利も同然であり、狙い通りと言えばそうなのだが、何分唐突な態度の変化なので俺としても妙に戸惑ってしまう。


「おい、どうかした――」


「うげぇ……何ですか晃仁様、きめえです」


「……ああ、そう」


「きめえロリコンですか」


 おい。俺はきめえかもしれないが、ロリコンはきめえというのは危ないぞ。その言い方は語弊を生むぞ。


 それにたっぷり間を置いたにしては、返答が予想通りの罵倒で、肩透かしを食った気分でもあった。

 肩をすくめる俺に、ミコはケーキの上に飾られたイチゴを摘まんでから口を開いた。


「発想もそうですが、言葉にしてしまうのもダメダメです! 相手がわたしだったから良かったですが、他の女性との会話だったらもう終わりですから。とんでもないラフプレーですから。ホイッスル、ピピー! からのレッドカード、ドーン! で一発退場ですから! 」


 律儀にジェスチャーを交えて俺を責めるミコの勢いに飲まれる。

「サッカーか? アニマのくせによく知ってるな」と雑に褒めてやると、何とも扱いやすいことにミコは誇らしげにその薄い胸を反らした。


「ふふん、まあこれくらいは。ちょっとばかし晃仁様のお仕事中にこっそりタブレットで動画を見ていただけですよ」


「ほーう……聞き捨てならないな、それは」


「いえ、聞き捨ててください。元はと言えば晃仁様がわたしの言うことを聞いてくださらねえから。いつまで経ってもまともに取り合ってくれねえからです」


 また始まったと、一つ息を漏らす。

 ミコの言うこと。それはこの一週間口うるさく言われ続けたことで、今の今まで思い起こしていたことでもある。

 しかし、ここで適当に流していては以前と何も変わらない。今回はもう少し踏み込んで話をしようと、今日の諸々の出来事を経て心に決めていた。


「結局それに尽きるんだな」


「はい、いつも言っているではないですか」


「本当に。その度に俺にあしらわれて、止めてやろうって思わないのか」


「そんなことはあり得ません。晃仁様の幸せに導く、それこそが私の生まれたですから」


「…………生まれた意義、か」


 軽い調子のミコから発せられた、決して軽くはない言葉。その重みに俺も押し黙らざるを得ない。

 その真剣さに対して迂闊なことを言うのは、いよいよ憚られた。

 代わりに今一度、彼女について考えてみる。


 アニマがどういう存在かについてはまだ把握しかねているが、少なくともミコは俺が幸せになることをとても重要だと見做している。

 そして婚約指輪から生まれたからかは知らないが、誰かと結婚した先にこそ幸せがあると信じており、俺をそこへ導くことに使命感さえ感じているようだ。

 でなければ今のこの問答も、俺に冷たく当たられてなお食い下がるしつこさにも説明がつかない。


「俺に付きまとうのはお前が満たされるためでもあるのか」


「半分はそうです。わたし自身のため。ですがもう半分は、晃仁様に幸せになってほしいという想いからです。晃仁様を幸せな未来に導きたい、あの指輪を大切になさっていたのも、晃仁様自身がそれを望んでいたからですよね?」


「大切になんて――」


「いいえ、していました。モノにも記憶は宿ります。だからこそわたしたちアニマが生まれ、わたしも晃仁様の幸せを望んでこの世界に誕生したんです」


「……これも俺の強い想念のため、ってことか」


 カップに残った冷えた紅茶を一息に飲み干す。やはり味は落ちている。


 そうだ、俺の望んだ幸せも丁度この紅茶と同じ。

 幼少の頃に思い描いた頃は魅力的に映ったものだが、時を経て、多くのものを失って、理想が曇って、次第に輝きがせて、ついには無味乾燥なものとしか映らなくなった。


 今更その輝きを取り戻す気もなく。別の輝きを見つける勇気もなくて。このまま惰性で生きるのが似つかわしいと思っていたが。


 ――これでは俺の方がミコから輝きを奪っているようなものじゃないか。


 流石にそこまでは堕ちたくない。俺は深く息を吐き、意を決してミコに向き直った。


「俺は今さら結婚とかそういうのを真剣に考えられねえ」


「…………」


「けどまあ、そこまでやる気に満ち溢れてるお前を止めるのもなんか違うと思う。だから――」


 今までの態度が頭をよぎり、いざ言葉にしようとすると言葉に詰まってしまう。

 年甲斐もなく慌てふためく俺に、ミコは堪えきれないといったように噴き出した。


「あはは! 晃仁様、顔赤いです!」


「はっ……るせえな。お前のそのしつこさに免じて、本当の意味で受け入れてやるって話だ。笑ってねえで感謝しろ」


「ふふ、そうですね。ありがとうございます、晃仁様。親しみやすい口調に変えてみたり、敢えてサボって気を引いてみたり、色々頑張った甲斐がありました!」


「……あっそ、どっちもそこそこムカついたからこれからはやめるんだな」


「えぇー……」


 ブーブーと不平を垂れるミコを尻目に、俺はさっさと食器を片付ける準備に入る。随分と長い間話し込んだように思うが、明日も変わらずに仕事なのだ。

 話を切り上げた俺に、「片付けですか? わたしも手伝います!」とミコが笑顔で申し出る。


 ずいぶん殊勝だと感じ入るが、本来のミコは良くも悪くも純粋な性格なのだろう。頑なだった以前の自分をこっそり反省する。


 とはいえ、俺もどこまでミコの期待に応えられるかは分からない。この前向きさも、一時の気の迷いに過ぎないのかもしれない。


「……まあ、もしそうだとしても、そん時はそん時だ」


 ともあれ、明日からは今までとは少し違う日常が待っている、そんな期待と不安が俺のくすんだ宝石を照らしているかのようだった。


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