閑話 ネルミル

「‥‥八重」



 私室に置いてある写真立ての中で、変わらない笑顔の5人の姿を見てため息をつく。



 アルスタールの百葉亭で、トモ君から名前を聞いて、鮮明に思い出した記憶が、八重の記憶が、少しずつ薄れていることに気がつく。



 あれから30年。忘れることなんて出来ない記憶。でも、忘れてしまっていた記憶。




「どうしてっ!?八重がここに残らないといけないのっ!?一緒に日本に行こうって、言ったじゃないっ!!」


 若い人間とエルフの男が、泣き叫ぶ少女を止めている。

 ザムセン国召喚勇者の生き残り。忌まわしき『魔の刻』を逃れた、松下礼奈は、主を失った白い空間で、ここまで共に歩んできた親友に対して怒号を上げていた。


 着物を着た狐獣人の八重は、青白い光を纏い、白い中に浮かんでいる。

「礼奈、かんにんな。わかってもうたんや。うちはここに残らなあかんねん。

 これはうちのつぐないや。そないな顔‥‥しいひんでえな‥‥

 みんな、あとは頼むで」


 

 皆、理解していた。神の居ない世界。想いを導く案内人が必要だった。

 親友の望みを叶えるために。



 狐獣人は、優しい笑顔でのまま、白に飲まれていった。




 ザムセン国で6年前に起こった通称魔の刻。国内の人や建物など存在する全てが『魔木に変わってしまう』という怪現象が起きた。

 国内で難を逃れた150余名の内、王族でただ一人生き延びた第4王女の証言により、王都で勇者召喚が行われ、生徒40名、教員1名の計41名という数の勇者が呼び出された事実が明らかになる。

 各国の王が集う天上会議の決定で、即座に調査隊が派遣された。

 しかし、深淵に覆われた地域で、人の痕跡どころか、街の瓦礫ひとつ含めて、何一つ手がかりが見つかることはなかった。

 調査は原因不明のまま打ち切られ、勇者の召喚が関係していると発表された。

 

 私とトラヴィス、ランドグルフは、調査隊のメンバーだった。

 森となったザムセンの1か月に渡る調査の終了後に訪れたルーバルで、憔悴した2人の少女と出逢う。

 1人はザムセン国の転移術師で着物を着た獣人。もう一人は、勇者として召喚された日本の女子高生だった。

 目の前で木になっていくクラスメイトを見た少女。それを引き起こす原因となってしまった転移術師。

 2人は、悲しみ、苦しみを乗り越え、名を変えて生きることを決めた。

 私達も2人を応援することを決めた。

 望みを叶える手段は順調に進んでいった。途中までは。神が消えるまでは。



 トラヴィスは、記憶を失った少女とともに死ぬことを決めた。

 私とランドグルフは別れることを決めた。一人になりたかった。この100年間、ただ生きるだけで、何もできなかった、何もしなかった自分に嫌気が差した。




 これは、世界にかけられた、勇者という不要物に与えられた、枷だ。







「ランドグルフ、トラヴィス、私とメリッサと、‥‥」




「‥‥誰?」





 涙が流れていた。

 忘れてはいけない記憶。でも、忘れていく記憶。


 理解では追いつかない感情。


 想い。


 



 この世界は狂っている。

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