第22話・さいごのいのち
最初は何が起こったか理解できなかった。
赤く飛び散る自分の鮮血と、刀を振り切った凪の姿を順に見て、そこで斬られたことを頭では理解する。痛みが全身を駆け巡る。命に森で与えられた、傷つかない身体を物ともせずに弥生を斬り伏せた凪は、さもつまらなそうに吐き捨てる。
「なんだよ、油断するなよ」
「…な、なんで力が効いていない」
弥生が息も絶え絶えに尋ねると、凪は目も合わせずに答える。
「命、出てこい」
凪の声に反応したように、鈴の音が響く。倒れた弥生の前に、命がしゃがみこんで目線を合わせる。
「命…何故」
「私は目的を果たしてくれる人を探しているだけだから」
にこりともせずに答える命。あとから凪の言葉が続いた。
「弥生の力に対していのちを使って準備をしたんだが」
凪のしていた準備は単純だった。支配の無視と全て斬る事の出来る力。あくまでも、弥生の力に対しての抵抗しか出来ない力で、弥生と対等に戦うためにいのちを支払いこの場に臨んでいたのだ。
凪の執念を感じ、弥生は生を諦めた。そこまでして、自分を殺そうとした相手にかける言葉も何もない。そして、凪に殺されるなら悪くないと考えている自分もいたのだ。弥生は、静かに目を閉じた。
「人間、最期は呆気ないな。…じゃあな、弥生」
『凪、固まれ』
幼い声が響く。弥生にとどめを刺すため、刀を振り上げていた凪は、その体勢でぴたりと動きを止める。まるで、型にはめられたかのように身体を止める凪は、笑いながら声のした方向に目を向ける。
「そう言えば、忘れていたよ」
凪の目を向けた方向に、手を掲げた標がゆっくりと歩いてくる。
「私が従えるのは、自然。あなたはそのまま動けない」
標は、凪の周囲にある空気を支配し、動きを止めた。凪を直接支配できなくても、金型に入れてしまえば動きを取れなくなる事と同じ。本人を支配するよりよほど集中を要する事を平然とやってのけた。
「やっとお出ましか、巫女様。しかし、お前を守るなんて滑稽だと思わないか、弥生」
「…どういう事だ」
「弥生、あなたは何も知らなくていい」
「標、自分を殺した相手を守って楽しい?」
命の言葉に弥生は耳を疑う。標を殺したのは自分?
「弥生、聞いたら駄目」
「記憶を、返してあげる」
標の制止の声も空しく、命は腕を弥生に向ける。響く鈴の音。弥生の頭に、二年前の襲撃の全てが蘇る。
『御魂の巫女』の一揆を静めるために村に居る人間全てを殺した事。散花、石割を斬り捨て、地下牢に幽閉された命を引きずりだし、手にかけた凪。その直後、目から正気の光が消えた。その時に弥生は理解した。村に伝わる神通力を恐れた上部が、もっともらしい理由を付けて罪もない村を滅ぼしただけだという事。そして、標を手にかけようとする凪を止めるために受けた刀。その刀をはじいた時に弥生は標の身体を貫いていた。
「あ…あぁ…。嘘だ、嘘だ!」
「嘘なものか。俺らは殺した。何も知らない人たちを。何の罪もない村人を。俺らの村を滅ぼしたやつらと何も変わらねぇ」
「凪…あなたはこの村に必要ない」
「村?…村なんかどこにある」
動きを止められているはずの凪が渾身を込める。命と腕の動きが重なり刀を振り下ろした。その時、何もない空間にひび割れが走る。ひびは徐々に周囲に広がり、やがて、目に映るすべてにひびが入る。その瞬間、何かが割れた。今まで広がっていた景色は砕け散り、何の変哲もない森が目の前に広がった。
「なんで…なんで村を壊したの?私は、お姉ちゃんのために村を作ったのに」
『御魂の巫女』として祭り上げられていた命は、妹の標が生まれた時状況が変わった。標にも神通力が備わっている事がわかったのだ。しかも、命が発現する力よりもっと強力な力を。二人の巫女を抱えた村長は、災いを恐れ命の事を鬼として地下牢に幽閉した。標とは、神事のあわただしい瞬間の隙間に格子越しに話す、それだけの関係しか持てなかった。それは、弥生たちが村を襲うまで続いた。
命が殺された時、標の力が増大した。命の力までも標に流れ込んだのだ。命の死をその事で知った標は、絶命の際、魂が暮らせる村を作り、命が気にいる人間を呼び寄せた。命と、生きている時に出来なかった、いつでも触れ合えるそんな暮らしを夢見て。
標の言葉を聞き、命は正面から標を見据える。
「あなたの気持ちは知っていた。…でも、あなたが今、私にしている事と牢獄に閉じ込められていたあの時と、一体何が違うと言うの?」
村の外に出られず、同じ人間と顔を合わせる。変化の無い日々。自由の中、生きていた標には想像できなかった地獄に命を捕らえてしまった。死ぬことすら、解放すらなくなった永遠の牢獄に閉じ込められた命にとって生きていた時よりも標の想いが絶望となったのだ。
「あなたの身勝手な想いが、たった一つの救いすら私から奪い去ったのよ」
「そんな…」
命の言葉に、膝を崩す。うなだれ、涙をこぼしながら小さな声で謝り続けている。
『標、俺に抱きつけ』
凪の声を聞き、弥生は目を見張る。凪を見ると関節を揺らしながら刀を標に向けている。うなだれていた標は、立ち上がり凪にじりじりと歩き出す。
「凪、なんで」
「念のための切り札だった。そこの餓鬼が俺を解放するならいのちばかりは助けてやる」
「…餓鬼、凪を解放しろ」
標は俯いたまま、凪の構える刀に向かってにじり寄る。言葉も発さず進んで行く標に、弥生は叫び声を上げていた。
「標!」
標は切っ先が触れる直前に顔を上げ、凪に言い放つ。
「くたばれ」
切っ先が刺さると深く貫くまで時間はかからなかった。鍔元まで刺さった刀を、凪は引き抜き、標を蹴り飛ばした。身体からぎこちなさは消えたが、その表情は歪んだままだった。
弥生は、立ち上がるとふらつきながら、標の元に歩いていく。標は、弥生の頬に手をやる。
「あなたは、あの時も泣いていた。私を殺した時も。あなたはまだ生きている。いのちの使い方を間違えないで」
頬に触れていた小さな手が、力なく落ちていく。標の亡骸を抱きしめ、涙をこぼす。弥生の目に、頭を押さえ息を乱している凪と、命が写る。死を待つだけだと思っていた弥生。
いのちの使い方…。その時、命が弥生に初めて会ったときにかけてきた、繰り返し答えを求め続けたあの言葉が頭の中を駆け巡っていた。
息を整えた凪は、弥生に刀を向けた。
「くだらないおしゃべりは終わったか。動けるくらいに回復したんなら、また殺し合おうじゃないか」
「命。最初に会った時に聞いたな。『生きたいか』って」
「ええ」
凪の言葉をまるで聞いていないように命と会話する弥生に凪は呆然とする。
「弥生?」
「あの状況で、襲われている最中に何故『殺したいか』ではなく、『生きたいか』を聞いた」
「さぁ」
「弥生」
「逃げ続けた果て、選んでみたいと思う。いのちの使い方を」
「何を?」
「お前」
「俺は『生きたい』弥生の名を以てめいじる。俺の願いは『俺の望む生き方だ』」
「お前は俺を無視するな!」
度重なる弥生からの無視に凪が爆ぜた。凪の叫び声をかき消すように、高く、そして澄み渡る声が響く。
「仰せのままに」
命は、消えたかと思うと、弥生の隣に現れて口づけた。力を授ける時に行う儀式。
「感謝する」
命との口づけが終わると弥生は立ち上がった。凪は小刻みに震えながら、喉を鳴らす。
「命…裏切ったのか」
命はまっすぐに凪を見つめながら、笑みをこぼした。
「私は私のために行動している。誰の味方でもない」
「貴様ぁ!」
凪があらん限りに叫びながら、命に突進していく。その間に、弥生は割り込んだ。今度こそ、凪と向き合うために。凪が振るう刀を受け、弥生ははじき返した。
「くそ。お前今度は何を貰った」
命が授ける「力」の強大さをその身で知っている凪にとって、どんな力を貰っているか、その事で、今まで有利に進めていた戦いも一瞬でひっくり返ることを恐れた。しかし、弥生が貰ったものは、凪の予想をはるかに下回る、いっそつつましいものだった。
「何も貰ってねぇ。傷を治してもらっただけだ」
「嘘を、吐くな!いのちを使ってまでそんなもの…」
「そんなものなんだよ。俺の欲しかった物は。人の価値ばかり気にして、自分の声を無視してた」
「なんだと」
「お前はどうなんだ、凪」
「だったら…」
剣撃の最中に響き合う互いの声。凪が弥生の身体を大きく弾き飛ばすと、凪は戦いの最中にも関わらず地面に目を伏せながら叫んだ。
「だったら、なんで”私”たちは殺してきた。なんで裏切ってきた。…生きるためだろ。自由になるためだろ。欲しければ奪う。邪魔なら殺す。こんな世の中で、誰も信じる事が出来ない世界で、それ以外何が出来たって言うんだよ」
凪は、叫びながら、弥生に斬りかかる。最初に人を殺す前、強くなくてよかった村で平和に生きていた時の”私”という名乗り。凪の剣撃に先ほどまでに有った鋭さは無く、持てる力で刀を振るう。感情を乗せるだけのものに変わっていた。
「…お前も同じだったんだな」
弥生は刀を受けながら凪の顔を見た。とめどなく流れ続ける涙。そこに居たのは、自分を守る事に一生懸命で、望まぬ人殺しで生きる事を決めるしか出来なかった、あの頃の凪が居た。
「お前が自由を選ばないと、何も変わらないんだよ」
弥生は、刀をかいくぐり、しゃがみながら凪の腹に刀を付けた。引くだけで、決着が着く。二人は動かない。弥生は、凪の目を見た。
「もう終わりにしよう。凪」
見上げる形になった凪の顔を、弥生は見つめ続ける。凪が弥生に微笑みかけたかと思うと、表情を変え、刀を振り上げる。弥生は、涙をこぼしながら身体ごと刀を引き抜いた。
凪と背中合わせに立つ弥生。その時後ろから、凪の声がする。
「お前に殺されるなら、本望か…弥生」
どさりと。
親友が旅立つ音がした。
溢れる涙を拭う事無く、膝から崩れ、声を殺して泣き続ける。覚悟を決めていたはずだ。凪を止めると決めていた。それでも、同じ思いを抱き続け、ほんの少し道が違っただけの凪を、もしかしたら、自分が歩いていたかもしれない凪の人生を終わらせた。
今の、これまでの自分は泣く事すら罪と分かっていても、その罪を重ね続けるほかなかった。
「勝ったのは弥生。あなたなのね」
顔を上げると、そこに歪んだ笑みを浮かべる命の顔。そのいびつな微笑みに、殺意が湧いてくる。原因は彼女じゃないのかもしれない。しかし、自分に力を与え、凪を巻き込み、標の作った村を滅ぼした鬼、命。その鬼が、さも親しげに話しかけてくるだけで虫唾が走る。
そんな想いを知らぬ命は、ゆっくりと口づけてきた。
「ご褒美よ。願いを一つ叶えてあげる。いのちはいらないわ。さ、教えて?」
目を輝かせながらはしゃぐ命。もはや、抑えきれない殺意が全身を駆け巡る。
もし願いが叶うなら、それは命を殺す事…。
命を殺す。
自然に考えている自分に気付いた時、命の今までの行動、全てが繋がった。
「…この刀に、全てを斬れる力を。一太刀で全てを終わらせる力を授けてくれ」
「仰せのままに」
命は何の躊躇いもなく、刀に力を込める。弥生の刀は白く、月のように輝きを放つ。再び弥生に顔を向けると、笑顔を浮かべながら尋ねてくる。
「ねぇ、こんな力、なんで必要だったの?」
まるで子どもの様に嬉々として話す命。命の目の前で刀を高々と掲げる。命は、逃げない。先ほど思い至った考えが核心に変わる。
「お前の願いに、必要だったんだな。何よりも、『生きたい』と思う人間が」
命の顔を改めて見る。期待に染まった、やっと願いが叶うことに安心した表情。
「分かってくれたのね。私の願い、叶えてくれる?」
ゆっくりと刀を降ろし、切っ先を命に向ける。
これから行なうことが、命の望みならば。
「お断りだ」
命に向けていた刀を返すと、自分の腹にその刃を深々と突き刺した。
「…え?何をしているの?」
命の顔が一気に崩れた。
まるで楽しみにしていた贈り物を目の前で取り上げられた子どものようだった。
「ただの刀じゃ、斬れない身体になってるんでね。苦肉の策だ」
ついこの間、命に貫かれた腹と違い、意識が飛びそうなほどの痛みが走る。
「そんな事聞いていない!私の事が憎いでしょう!親友を、恩人をあなたの手で殺させた私を」
「お前、死にたいんだろ?辛いよな。ちゃんと終わりたかったのに。だから誰よりも生に執着する人間を探してた。追い込んで、恨まれて。最後に自分を殺してくれる人間を探して…」
「そこまで分かってて…なんで殺してくれないの…?」
一人で森をさまよい続け、自分を殺して貰える瞬間を待ちわびながらこの時を迎えたというのに、その事を理解してくれる人間まで現れたというのに、それでも死ねない。殺してもらえない。
救ってもらえない。
弥生は、血の付いた手で、いつの間にかこぼれていた雫を拭ってくれた。
「…『この弥生の、全てのいのちを使いめいじる。命に弄ばれた者、凪に殺された者、そして、弥生が殺めてしまった、全ての魂を救え』」
弥生は、命の手を引き、自分の腹を貫いている刀の柄を握らせる。弥生の意図を理解した命はゆっくりと刀を引いた。
「仰せの…ままに」
「こんなに、温かな思いで死ねるなんて、思わなかった…」
刀を引き抜かれた弥生は、柔らかく微笑みながら旅立った。
命は静まり返った森の中で、刀を握り、眺めている。
「馬鹿な人。こんな事をしても、世界は何一つ変わらないのに…。私があなたの願いなんて聞くとでも思っているの…?良いでしょう。全身全霊全ての力を用いて、あなたの願いを叶えましょう」
命は、刀を掲げると、その場で舞い始める。刀を使い、神に奉納するために。そして、自分の力を全て出し切るために。
先ほどまで触れれば崩れそうだった、か弱い女はどこにもいない。己が全てを捧げ、人の想いを祈る。その姿は、まさに崇められる巫女、そのものだった。
舞の最後、天に祈るように刀を捧げ持つ。その時、真っ暗な森は白い光に包まれた。
「私もこんな優しい願い、聞けるなんて思わなかった。これで、やっと…」
その声は、鈴を転がしたような心地よい響きを持った、美しい声だった。
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