第21話・累々

 散花は凪の後ろに居る柊の顔を見てしまう。かつての知り合いの名を出されたからだ。凪はもう片方の手に握っている刀を腰に対して水平に構えると、散花の手を強引に引いた。柊に意識の向いていた散花は、凪に手を引かれそのまま刀をその身に受ける。

 まるで抱き合うように刀が刺さる散花の身体を凪の後ろから見ていた柊には、その姿が、かつて葵を刺した自分と重なって見えた。思わず目を背け、巾着を握り締める柊。

「残念だったな。俺は斬った相手を忘れない。まして、女を斬る事なんてまず無いからな」

 凪は、散花の身体から刀を引き抜く。刀と言う支えの無くなった散花の身体はよろめきながら後ずさり、木を背にして座り込む。口から血を吐きながら、散花は最期の言葉を柊に向けて発した。

「柊さん、あの子は、ここで待っていたよ」

「訳の分からぬことを…」

 凪は再び頭を押さえ、苦痛に表情を歪める。柊は、強く、強く巾着を握り締める。そんな二人の後ろに、石割が現れる。

「見つけたぜ…散花?」

 勢いつけて走りこんできた石割だったが、散花を見付けるやいなや、二人の間を素通りし、散花の死体に駆け寄った。

「散花。なぁ、散花。冗談だろ、散花…」

 何度も揺さぶり、意識の無い散花に声をかける石割。壊れんばかりに抱きしめ、それでも反応の無い散花の頭を撫でて立ち上がる。

「お前がやったのか」

 目を吊り上げ、喉が割れんばかりの声で叫ぶ石割。その石割の態度に不愉快さを隠そうとしない凪が見下した目をしながら吐き捨てる。

「戦場で、抜けたこと言ってんじゃねぇ。柊、目障りだ。奴を始末しろ」

 凪はそのまま、石割から視線を切ると、柊に歩み寄る。凪の言葉を受け、ふらふらとよろめきながら石割に向き合う柊。一歩、また一歩と徐々に距離を詰め、石割は、全身の毛を逆立てながら柊を睨みつける。

 凪と石割の、ちょうど真ん中に柊が足を進めた時、柊はその場で凪に向き直り刀の柄に手をかけた。

「…何のつもりだ」

「二度目だ」

 柊の言葉に凪が向き直る。歯を食いしばり、唇を血に染めながら、涙を流す男の顔。凪を睨みつけ、止まらぬ涙を拭いもせずに柊は続ける。

「二年前と、今回と。私は二度彼女を裏切った。もうたくさんだ。…私は、自分の生きたい道を選ぶ」


 常に考えていた。もし、二年前の襲撃の時、彼女を連れて逃げていたら。もし、今回凪の指示に逆らってでも村に入っていたら。結果は変わらず、彼女を助けられなかったかもしれない。もしかしたら、もっと悲惨な目に合っていたかもしれない。でも、それでも、自分を殺し生き永らえたところで、何も変わらない。呼吸しながら死んでいるような今の生き方で、愛する者を捨ててまですがりつく生に未練などとうに感じていなかった。

 凪の目を睨み続ける。凪の目の中にほんの少し、本当にわずかだったが、恐れながらも付き従った自分にだからこそ見えたほんの少しの逡巡。唐突に、凪の生き方、凪の心の端に触れてしまった、理解できてしまった。その事に気付いた瞬間、思わず叫んでいた。

「だから…だからあなたも」

「おしゃべりはそこまでだ。…来い、二人まとめて相手にしてやる」


 凪の目に、もう迷いは見えなかった。身構える柊と石割。柊が後ろに下がり、石割と目線を合わせる。そこに会話は無かった。水を打ったような静けさに包まれる。どこかで男の悲鳴が上がる。それが合図だった。

 先んじて仕掛けたのは石割だった。後先考えぬ全力の突進を凪は瞬きもせずに躱す。後ろから追撃してくる柊の刀をあえて受け、腕を引いて体勢を崩す。切り替えしてきた石割。凪は柊の背中を蹴ると石割に衝突させる。もみ合いながら倒れこむ二人。柊の背後に凪の刀が迫る。柊は倒れたまま、自分の背中に刀を回し、凪の刃を止めた。その間に石割は起き上がり、回し蹴りを撃ち出す。凪は、背を反らすだけで躱すと、石割の顔面に拳を叩き込む。さらに追撃しようと刀を緩めた瞬間、柊は刀を跳ね上げ、凪の体勢を崩した。そのまま柊は前受身をして距離を取る。二人は肩で息をしているにもかかわらず、凪は息一つ乱していない。しゃがんだまま凪に切っ先を突き付け、石割に近寄る。

「私が隙を作る。そこで決めろ」

 柊はそれだけ言うと凪に向かって立ち、大上段に刀を構えた。

 通常の上段に構える時より、さらに高く刀を掲げる大上段。振り下ろせば一撃必殺。だが、攻撃に振り下ろす以外の選択肢は無く、実践では攻撃にすらならない。柊はそんな事をお構いなしに、凪の前で構えを続ける。

 当然凪は出方を窺った。柊のこの行動のどこかに反撃の策があるのか、それともただの時間稼ぎか。柊の後ろで控えている石割が横に歩き、挟み撃ちにしようとでもいうのか。柊に注目させ、石割を自由に動かすための策だと考えた凪は、正面の柊に向かって渾身の突きを放つ。凪が動けば柊か石割が動く。どちらにせよ、凪の有利は動かない。

 柊が突きを捌いた後にどう出るか、凪はすでにその事を考えていた。刀を払うか、躱すか。どちらにしても、次に来るであろう石割の攻撃に注意をしていれば良い。そう考えていた。目の端で石割を捉えながら、柊の行動に集中する。払うか、躱すか。

 結果、凪の刀はそのまま柊の身体を貫いた。

 目を見開く凪。柊は、頬を緩めると、一言凪にしか聞こえないほどの小さな声でつぶやいた。

「ありがとう…」

 奇しくも凪の刀が貫いた場所は、柊が過去、愛する人を貫いた場所と一緒だった。そしてその刀は柊の胸に下がった巾着の糸を切り、地に落とした。

 柊は、最期の力を振り絞り、自分に刺さった刀を固く握ると、石割に叫ぶ。

「今だ…やれぇ!」

 石割は声を張り上げながら突進する。凪は深々刺さった刀を抜こうとするも、渾身の力で握られた刀はびくともしない。拳を振り上げ、凪の目前に迫る石割。

 凪は伏せて拳を躱すと、柊の刀を手に取り、石割の腹を振り抜いた。自身の力と交差で入った刀をまともに食らい、散花が横たわるところまで吹き飛ばされる。かろうじて立っていた柊も、振り抜いた回転の勢い、そのままに振り抜かれる凪の刀を貰い、うなだれるように崩れ落ちた。

 凪は地面に落ちた巾着を拾うと、柊の元に歩いていく。柊に刺さった刀を引き抜きながら、開かれた手に、巾着を握り締めさせた。固く。決して無くさぬように。

 今際に、柊が聞いた凪の「すまない」と言う言葉。それは果たして幻聴だったのか。こと切れた柊の顔は心なしか、幸せそうに見えた。

 一撃も貰っていないはずの凪が、ふらつきながら石割に向き直る。散花の傍らで仰向けに倒れている石割は上半身だけ起こすと、散花を抱き寄せる。

「くそ…。まぁ、いいか。最初から最後まで気に食わねぇが、おいしい所は譲ってやるよ」

 凪の後方を見つめながら、こと切れる石割。二人並んでいる姿は、まるで眠っているようだった。

「最期まで世迷言を…でもないか」

 凪は、歯ぎしりをしながら後ろを振り向く。石割が見ていた視線の先、そこに立っていたのは、皆の亡骸をその目に写し変わり果てた親友を睨む、弥生その人だった。

「ここまでする必要はなかったんじゃないのか」

「何を良い子ぶっている。お前がここに逃げ込まなければ、こいつらは死ななかった。お前が巻き込んだ。お前が殺したも同然だ」

「言うな」

 凪の嘲りに堪えられなくなった弥生は、凪に打ちかかる。凪は刀を正面から受け、お互い一歩も引かなかった。拮抗状態の鍔迫り合い。

「凪、どうしてこんな事を」

「お前とこうして殺し合うためだよ」

 凪は、刀を弾くと次々に刃を振るってくる。

「汚名を着せ、追えるようにしたのも、生け捕りにしようとしたのも、立場や地位なんて関係ない。今この瞬間。この時の殺し合いのためだよ」

 凪の刀を受け止め、弥生は歯を食いしばる。自分と殺し合う、そんな目的で多くの人を巻き込み、いのちを奪った凪を睨みつける。

「ふざけるなよ…そんな事のためにお前は」

「ふざけているのはお前だ」

 凪は、弥生の言葉を遮ると胸倉を掴み、弥生を引き寄せる。お互いの顔しか見えぬほど、近い距離で見つめ合う。

「それほどの腕を、人を殺める術を持っていながら何故殺さない。なぜ迷う」

「そんな事、お前の知った事じゃない」

 凪の射抜くような瞳に耐えられなくなった弥生は、胸倉を掴む手を振り払う。振り払われた手を見つめながら、凪は笑みを浮かべる。

「あぁ、俺の知った事じゃない。今までの事は関係ない。今、この瞬間。俺とお前は殺し合っている。この時をこの一瞬を存分の楽しもうじゃないか」

 凪の、狂気に満ちた目は、弥生を捉えて離さない。距離を取り、攻撃の機会を窺う凪を見つめ、傷付けずに止められると思っていた自分の甘さを痛感した弥生は、刀の切っ先を凪に向け、言い放つ。

『凪。自害しろ』

 言葉を受けた凪は、自分の持っている刀を首にあてがう。命に貰った強制的に従わせる「力」。意識を奪う事は出来ないまでも、どんな願いだとしても、行動を満たすまで支配できる力。弥生は凪の死を見るに忍びなく、目を閉じ、顔を背けた。

「いいね。目的のためならなりふり構わない。大いに結構」

 風を切る音がする。自分の首を切るだけなら、絶対に聞こえない音。振り向いた弥生に凪の刀が襲い掛かる。気付いた時には、弥生の肌を刀が走っていた。

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