第20話・守るもの、奪うもの

 柊は陰鬱な顔をして歩みを進めている。周囲に響く叫び声に反応して周囲を見回している。

柊の目的はただひとつ。たった一人の女を探すことだけだった。


 自分が生まれた村を襲撃する事になり、そして自らの手で斬った最愛の女、葵。未だに捨てられぬ巾着が未練と思いながら生きてきた。葵と逃げるわけでもなく、斬る事を選んだ自分の愚かさを背負いながら生きてきた。しかし、命がいるこの村なら、もしかして葵も生きているかも知れないと考えてしまう。そんな都合の良い、妄想じみた事と分かっていても、そんな淡い期待にすがりついて足を進めていく。


 そんな柊の目の前に、一人の人が立っている。近づいていくと、それは人ではなく、木々が寄り集まって出来た人型だった。その人型が何体も歩いており、兵を見付けると襲い掛かっていく。一体が柊に向き直る。顔が無いので、自分の方向を向いているか不安だが、一歩一歩自分に近づいてくる。

 柊は刀を抜くと、切っ先を人型に向けた。形は人を呈していても、急所までは同じと限らない。果たして、異形のもの相手に抵抗できるのか。

 柊の目前まで来た人型は、じっと動きを止めると、道を譲るように身体を開いた。

「…進んでいいのか」

 呆気にとられながら思わずこぼした言葉に、人型はゆっくりと頷いた、ように見えた。事実、兵にはすぐさま襲い掛かるにも関わらず、柊には身体を開いている。

「感謝する」

 柊は人型に礼をすると走り出す。もしかしたらという期待が高まっていく。人型と戦う兵たちには目もくれず、まっすぐに走り抜けていった。


「その人は、攻撃しなくていい。それと、そのほかも殺しちゃ駄目。狙うのは、武器か手足だけにして」

 森の中で独り言のように指示を出す標。木々に宿るいのち。そのいのちを紡ぎ合わせ、行動を共にする。木々だけではない。風、水、土。この森において、標の操れないものは、何一つない。

「こんなところに子どもが居るぞ」

 標が歩みを進めていると、一人の男に見つかった。男は仲間を呼ぶと、次々に集まってくる。

「白い着物…こいつの事か」

「引くなら追わない。来るなら、容赦はしない」

 大の大人を前に、標は一歩も引くことなく、啖呵を切る。年端もいかぬ子どもに上から物を言われ、戦場で気の立っている男たちの感情は一気に噴き出した。

「かまわねぇ、やっちまえ」

 容赦なく斬りかかってくる男たち。刀と標の間に土が盛り上がり、刀を止める。男たちが目を丸くするなか、標は手を向けると、そこから風の弾丸を撃ちだした。目に見えない空気の弾は、一人の男の腹に当たり、吹き飛ばす。男たちは互いに目を見合わせながる。標はわざと分かりやすく相手を痛めつけていた。その事で恐れをなして引いてくれれば標にとっても好都合だったからだ。

 無論そんな事など考えもしない男たちは、叫び声を上げながら次々に襲い掛かる。標は、男たちを見ながら、集中をしていく。

「人は自分が信じたいものしか信じない。なぜ、受け入れないの」

 数十秒後、その場に標はいなかった。代わりに転がっていたのは自然に歯向かい、なす術もなく打ちのめされた男たちのうめき声だけが聞こえていた。


 男たちは森を走っている最中人影を見つけた。距離を保ちながらにじり寄る。そして顔を確認すると、一人が血の気の引いた声で叫ぶ。

「や…弥生だ!弥生を見つけたぞ!」

 その声に、すぐさま集まる周囲の男たち。弥生相手に一対一で勝てると思っている者はこの場にいない。弥生と相対して生き残るには多勢に無勢を行なうしかないことは皆骨身に染みていたのだ。

「お前たちを殺したくない。失せろ」

 男たちが弥生の発した言葉の理解が遅れたのは無理もない事だった。凪といつも組んで出陣し、敵と見なせば問答無用で首を刎ねる。今までそうやって戦場を駆けて、兵隊たちにもそう教育してきた男から、「殺したくない」などという言葉が出てくるとは思わなかったし、耳を疑ったとしても無理ない事だった。男たちの顔がみるみる朱に染まる。それはそんな情けない事を言い出す弥生に対しての怒りが目に見えた形だった。

 一人が叫び声を上げながら斬りかかる。生け捕りが命令だったがそのことを忘れるほど男は怒りに支配されていた。

 弥生は刀を躱すと、自分の刀で斬りかかってきた男の腕を刺す。男が刀を取りこぼしたことを確認すると、腕から刀を引き抜いた。次々に斬りかかる男たち。弥生は慌てる事なく、順番に捌いていく。そして弥生の攻撃は肘より先、膝下。そして肩口と多少深手を負っても致命傷に至らない場所だけを斬っていく。

その太刀筋は男たちをさらに震えあがらせた。

 つまり、本気なのだ。

 殺したくないと言った事も、そして、この先に進む事も。

襲い来る男たちの戦意をことごとく折り、戦闘不能にした弥生は息一つ乱していない。

 弥生は歯噛みしながら叫んでいた。

「こんな事をして、何の意味があるんだよ、凪!」

 弥生の叫びは、宵闇に空しく木霊していた。


 抜き身の刀を煌めかせながら、歩いている凪は頭を押さえていた。

 鎮まることのない頭痛。むしろ酷くなる。この森の中に入ってから凪の足は震え、立っていることすら危なげなようだった。

 しかし凪はふらつく足元をどうにか踏ん張り、歩みを進める。進んだ先に、何があるのか、凪自身もわかっていない。

 顔を上げると、人影が凪の視界に入る。肩で息をしている凪に向かい、まっすぐに歩いてくる。目を凝らし、進んで来る人物を待つと、現れたのは耳無だった。

 耳無は、驚いた表情を見せると、ため息を吐く。

「…『初めまして』」

「『初めまして』だな。菅野殿。それとも耳無さんとお呼びすればよろしいのかな」

 凪の言葉に、耳無は目を見開く。その反応を楽しむように、凪は喉の奥で笑っている。耳無は、自分の耳を引っ張りながら、凪に話しかける。

「覚えていたのかい。本音を言うと忘れてほしかったんだがね」

「忘れていたさ。まあいい。お前と出会えたのも何かの縁。さぁ、殺し合おうじゃないか」

 凪は切っ先を耳無に向ける。しかし、耳無は笑って腕を広げた。

「女、子どもとやり合うつもりは無いよ」

 耳無の言葉に、凪は歯を剥く。

「なんだと。もう一度言ってみろ」

「何度でも言ってやるさ。自分の見たい物しか見ようとしない。そんな子ども、相手にしないって言ってるのさ」

「ふざけるなよ…」

「あんたを叱るのはあたしじゃない。好きにしな」


 急に体温が下がるのを感じた。女で馬鹿にされたと思った。今までの人生、女だからと蔑まれ、馬鹿にされる事ばかりだった。しかし、この男は、自分の事を子どもだから相手にしないと言う。叱るなどと、場にそぐわぬ事を言う。怒りはすでになかった。怒りを通り越し、無関心に至った。この男を相手にしてられないのは、こちらの方だ。


「ああ、そうか。じゃ、死ね」

 何のためらいもなく振り下ろす刃を受け、耳無は倒れる。崩れた耳無が、笑いながら最期の言葉をこぼした。

「博打は、負け…か」

 凪は言葉の意味を分からず眉間に皺を寄せる。再び頭痛が襲った。先ほどよりも強く響く頭の痛みに、凪は思わず声を上げる。

「ぁあ…。こんなもの…。今ので一人、か。ははは…楽しい森狩りじゃないか」

 頭の痛みは絶え間なく続いている。しかし、凪はそんな事をものともせず高笑いを上げる。目は血走り、息は乱れたままだった。

 そんな最中、凪の元に駆けこんでくる一人の影が迫る。凪は、足音の方向を見ようともせずにただ立っている。影は、刀を滑らかに抜くと、そのまま振り上げ、凪に刀を振るった。しかし、刀は途中で動きを止めると、すぐに鞘に戻って行く。

「将軍様、申し訳ございませんでした」

 刀を納めたのは、柊だった。凪に気が付くと、その場に跪く。凪は、振り向く事もなく、柊に尋ねた。

「どうした。女を捕えたのか」

「いいえ、この村予想以上に人気が少なく、未だ誰も見つけておりません」

 柊は報告しながら、凪の足元に転がる耳無の死体を見て目を見開く。

「菅野殿…」

 柊の言葉を気にする様子もなく、凪は、笑みを浮かべている。

「この『村』ね」

 柊は何故「村」という言葉を繰り返すのか、理解が出来ずに聞き返す。

「将軍様、いかがなさいましたか」

「いや、なんでもない」

 短い文言の直後森から一人の女がしゃなりしゃなりと近づいてくる。

「あら、お兄さんたち立派なお召し物だね。…嫌だね、じっと見つめて。あたしの顔に何か付いてるかい」

 現れた散花は、柊に一瞥をくれると、凪に近づいていく。その表情は戦場に居るとは思えないほど柔和で、凪も言葉を失って見つめている。散花は、凪の袖を掴むと、流れるような動作で手を握る。目を見つめながら、にこやかに話す。

「こんな場所であなたのように綺麗な人に会えるなんて思わなかった」


 芸事のために汗を背中に伝わす術を心得ていてよかった。過去に自分を斬り殺した女、その女がこの場に居るという事は、彼女が弥生の言っていた「親友」つまり、この騒動の首謀者。そうなのだとしたら、確実に名前を聞き出して仕留めなければならない。たとえ、自分の身に災いが及ぼうとも、だ。

 耳無が倒れている事に気づいていたが、血にまみれた姿を見るに、もう死んでいるか、生きていても助かりはしないだろう。だとしたら、下手に気遣いを見せて、抵抗の機会を失う訳にいかなかった。弥生に彼女の名前を聞いてなかった事が悔やまれる。しかし、好機と言えば好機に違いない。相手はここまで散花が近づくのを許している。弥生が村を襲撃したことを忘れているなら、ひょっとして自分の事など覚えていないかもしれない。いのちを張った、一種の賭けに出た。

「こんな物騒なところすぐに去りたいんだ。いのちの恩人の名前くらい、知っておきたいじゃないか」

 理由はなんでもいい。名前さえ聞き出せれば、それで終わる。自分の顔に汗が出ないか不安になる。しかし、そんな事をほんの少しでも出してはいけない。助かる安堵。逃げたい恐怖。自分の心をその二つで満たした。溢れんばかりの殺意を、完璧に自分の心から追い出した。凪は、散花に笑いかけながら、手を握った。

「名前か…。柊と言う」

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