第19話・村人の本気

 凪は、全兵を集め、整列させていた。皆、疲弊の色を隠せない。連日連夜のあてどない捜索に疲れ切っていた。

 凪と傍らの柊は、三十余名の兵の前に立っている。

「将軍様、驚きましたな。森の中に、こんなに拓けた場所があるなんて」

 柊の言葉に、凪は眉をひそめた。

「柊、お前は何を言っているんだ?」

 凪の言葉に機嫌を損ねたと思ったのか、柊は頭を下げ、再び傍らに控えた。

「皆の者。この奥にある村に弥生がいる。生かして連れて来い。連れて来たものには、金十枚をくれてやる」

 兵たちにどよめきが走る。金十枚。今回の仕事は、十人で金一枚ほどの金で雇われている。もし、弥生を連れてくる事が出来れば、残りの人生、ほとんどが遊んで暮らせる計算になる。

 だが、興奮している者と今までの事で、金十枚でいのちを捨てるのか天秤にかける者、およそ半々といったところであった。その不安を感じ取ったのか、兵は誰一人として動こうとはしなかった。徐々に、だが確実に尻込みする人間は増えていく。そんな中、一人が声を上げて叫んだ。

「金は要らない。こんな危ない仕事なら帰らせてもらう」

 その男の声に水を打ったように静まり返る兵たち。皆、恐れているのだ。弥生に、そして人を食らうと言われる、この「御魂の森」に。

 風切と土蜘蛛が帰って来ていない事も、皆を静まらせることに充分だった。柊すら、その存在を知らされていなかった、隠し玉。その二人が昼間に出て行き、そして帰らなかった事は、すでに噂になって広まっている。弥生に返り討ちにされたか、森に食われたか。どちらにしても、いのちを惜しむ者にとって、どれだけ報酬が上がろうが生きて帰る以上の報酬は凪に用意できないのだ。

 凪は静まり返った兵たちを見回し、一人の男を指差す。それは先ほど、金は要らないと叫んだ男だった。男の周りから人が離れる。凪の手招きを受けると、男は冷や汗を流す。足を動かす事が出来ない。しかし、凪は手招きをやめることなく、目も逸らさない。

 一歩、一歩と歩みを進める男。凪の目の前までたどり着くと、こう問われた。

「そんなにいのちが惜しいのか」

「それはもちろん…」

 次の言葉は出なかった。凪の刀が男の首を飛ばしていたからだ。

「だとしたら、前に進め。貴様らのいのちは、金で買われている。生かすも殺すも俺次第だ」

 先ほどより静まり返る兵たちに、凪は言葉を続けた。

「敵に背中を向ける者は、俺自ら斬ってやる。逃げたいものは、俺を斬り殺す覚悟を持って逃げるがいい」

 凪が啖呵を切ると、一人が怒声を上げた。凪に対してではなく、森に向けた叫び。

 徐々にその数は増えていき、最終的には皆で叫び声をあげている。後ろに確実な死が、そして前には未知の死が置かれたこの状況で、前以外の選択肢が残っていなかったのだ。

「さあ、行け。全てを踏み潰して来い」

 凪の号令に、皆は一斉に怒声を上げ、我先にと走りゆく。皆の脳裏にあるのは目の前で飛ばされた首。そして、手柄を立てねば飛ばされるのは、自分の首だと言う恐怖。その二つに支配された兵たちに、もはや迷いはなかった。

 凪の隣に立っていた柊は、慇懃に頭を下げる。

「将軍様、この村、何があるか分かりません故、私も前線に立たせていただきます」

 柊はそれだけ言うと凪の返事も待たずに走り去る。その姿を見送った凪は、張り付いたような笑みがこぼれていた。

「村、ね。命、居るんだろう」

 凪の言葉に答えるように、鈴の音があたりに鳴り響く。木々の間を縫うように、命が姿を現した。

「気安く、呼ばないでくれる?」

「そう言うな、囚われの鬼姫。しかし、何が望みだ?俺を使って何をしようとしている」

 命は兵が進んだ方向に向き直り、答える。

「そうね。あなたが見ているこの景色。それが私の望み」

 凪は、改めて命の見ている方向と視線を合わせる。

「これが?こんなことが?」

「おしゃべりはそこまで。あなたが狙う彼、今も対等だと思う?」

 凪の言葉を途中で切り、妖艶に微笑む命。凪はその事に気分を害した様子もなく、むしろ愉快そうに笑みを浮かべる。

「ほう、それはそれは。だったら、俺も準備が必要か」

 羽織っている着物をはためかせ、凪は森の中に進んで行く。傍らには命が付き添っていた。



 今更の話になるが、今森を攻めている兵たちに凪が出し続けた指示が一つあった。それは、決して一人にならず、必ず誰かの近くに居る事。そうすれば、たとえ自分より腕の立つ人間と出会っても、生き残れる可能性が上がるからだ。凪の隣には常に弥生が居たため、自然と後ろを任せる相手が決まっていて、相棒の動きも知っていた。弥生を追い詰めた二組、田吾作・太一と、風切土蜘蛛も同じだった。そのため、誰かの力を借りて戦うことに何の疑問も持っていなかった。

 凪の誤算、それは人間誰も彼もが他人のために動けるわけではない。その事を理解していなかったのだ。


「おらおら雑魚共、かかってこいよ」

 真っ先に飛び出して行った石割は、早くも戦闘状態に入っていた。いや、正確に言おう。戦闘らしい戦闘になっていなかった。それは、石割が出会いがしらに次々と兵を一撃で昏倒させているからに他ならない。解状態の石割は、それほどまでに凄まじいものだった。

 出会いがしらの兵を正拳で吹き飛ばし、気付いた者たちに取り囲まれる。その事を石割はむしろ楽しむように自分の唇を撫でる。

「面倒だ、まとめてかかってこい」

 素手の相手に手招きされ、兵たちは青筋を立てる。一人が石割の後ろから打ちかかる。石割は、難なく躱すと、裏拳で刀をへし折った。刀を折られた兵は動揺し、その場で固まってしまう。棒立ちになっている兵の顎に、石割は蹴りを刺す。蹴られた兵は、一回転しながら顔から地面に落ちていく。その事が合図となり、囲む兵は声を上げながら一斉にかかってくる。片手で足りぬ人数に囲まれ、次々に襲いかかる刃を、石割はいとも簡単にさばいていく。

 石割の「力」は、自身の力を抑えるだけではない。究極の肉体操作だった。自分の肉体であればあらゆる操作ができる。石割は自覚していないが、動体視力を高め、最初に襲い掛かってくる刃を判断。そこから、自分が入れる安全地帯を見付けだし、潜り込む。準備動作もその時点で行っている。そして攻撃の際に、血流を操作し、速度を高め、打撃の瞬間に皮膚の硬質化を行う。

 これだけの事を流れるように、自動的に行ってしまうのが、石割の解状態だった。命の「力」を帯びた弥生の身体には悲鳴を上げた拳も、通常の刀や兜程度、一撃で粉砕するのだった。

 そして、石割が多人数を捌く事の出来る理由がもう一つ。それは石割の身体能力があればこその話だが、状況を細かく切り取れば、一対一なのだ。

 何人に取り囲まれたところで、同時に襲ってくる数はたかが知れている。その一つ一つを丁寧に捌く。ひたすらに、根気よく。たったそれだけの事しかしていないのだが、石割は次々に兵を倒していく。出来事としたら、ほんの一分ほどだろうか。その短い時間で石割を取り囲んでいた兵、全てをなぎ倒していた。

 そして、自分のいのちを助けるためだけに戦う兵と、この戦いを勝ち抜き、散花と所帯を持つ事を目的としている石割。戦いへ向かう気持ちがどちらの方が強いか、その強さがおのずと結果になっただけだった。

「準備運動にもなりゃしねぇ。俺を倒したいんだったら、十倍の人数を連れてくるんだな。待ってろ、散花。俺はお前を手に入れる」

 石割は再び走り出す。この戦いの先。散花との蜜月を目指して。


「くしゅん。嫌だね。風邪でも引いたのかね」

 散花は、森を歩きながら、つぶやく。周囲のざわめきとは無縁と言わんばかりに、軽やかに歩いていく。このまま、誰とも出くわさずに命までたどり着ければいい。話してわかる相手ではない事は分かっている。しかし、命の、浮かべているであろう表情、斜に構えた笑顔をはたいてやらないと気が済まない。

 命と一番縁の遠い自分だからこそ、事情も知らないからこそ叱る事が出来る。そう考えていた。

 命について知っているのは地下に幽閉されていたことしか知らない。一度きりしか会っていないし、詳しい話もしていない。幽閉された理由も知らない。だからこそ言いたかった。あんたは間違っていると。

 命を叱る言葉を考えながら歩いていると、四人の男たちに見つかってしまった。刀を掲げながら近づいてくる男たち。間の悪い。心の中で舌打ちをしながら、しなだれるように身体を一人の男に預けた。

「助けてください。いきなり襲われて困っていたんです…お礼はいくらでもしますから」

 そう言いながら、元々開いている胸元をより広げた。


男たちは戸惑ってしまった。凪からは殺せと言われているが、目の前で首を刎ねられた仲間を見ている。何が何でも仕事を達成しなければという、義理はすでに感じていない。どうせ、ここで逃げても死んだと思われ探しもしないだろう。それならば、ここで女を連れ去った方が、楽しめるのではないか。男たちはそれぞれに考えていた。

問題となってくるのは、自分以外の男たち。女を得られるのが一人ならば、取りこぼした男は必ず密告する。少なくとも自分はそうするだろう。そうなってしまうと、見も知らぬ女のためにいのちを捨てる事になる。そんな馬鹿馬鹿しい事など最初から頭になかった。つまり、機会を窺い、他の男を殺さなければならない。男たちは、それぞれが他の者を窺っていると、目の前の女は猫なで声を上げてくる。


「こんないい女を放っておいて何を考えてるの?なんなら、ここで良い事、しても良いんだよ…」

 散花のうるんだ目で見られた男たちは我先にと散花に詰め寄る。しかし散花はひらりと躱すと、帯に差してあった扇子を引き抜き、顔を隠す。

「これから楽しい事をしようってのに、お兄さん、なんて呼ばせないでおくれ」

 散花の艶っぽい言葉に、見初められたと思った男たちは次々と名前を言う。一人一人の顔と名前を一致させた散花はしっかりと頷き扇子を閉じた。

 散花の「力」は、他人の行動を操ることが出来るが、その人間が望まぬ事、例えば自害などに追い込むことは出来ない。無理矢理に従わせようとすると、力の逆流で散花自身を傷つける。つまりは。

「有難う。『木平太、官兵衛、研吉、幸之助。互いに斬り合え』」

 それぞれに扇子を指しながら名前を叫ぶ散花に男たちは不思議そうな顔をして互いに見合わせる。そして、徐々に上がる腕を見ながら、気付いた時には首を刎ねていた。何が起こったか理解する間もなく、男たちは崩れ落ちる。

 互いに互いを殺す。そんな考えさえ持っていなければ、散花の支配は及ばず死ぬことはなかった。己の欲が招いた自業自得の結果だった。

「あたしの名前を言ってなかったね。あたしは散花。男のいのちを散らす花だよ」

 散花は動かなくなった男たちに名乗ると、そのまま進んで行く。花びらのように、ひらひらと。


 耳無が森を進んでいると、男たちに取り囲まれていた。そんな状況にも関わらず、耳無は飄々とした態度を改める事は無い。

「ひの、ふの、みっと。お兄さんたち、あたしの事は見逃してくれないかい。ほれ、こんなの一人見逃しても、大勢に影響はないだろう」

 耳無の言葉を聞き終わらぬうちに、男たちは打ちかかる。耳無は慌てながら男たちの刃を躱すも、それぞれから、一太刀ずつもらってしまう。つまり、物に触れた。

「残念だよ。とってもね。『刀よ。己が想いを主にぶつけろ』」

 かすり傷程度とはいえ、耳無の条件、「操る物に触れる」事を満たした刀はふわりと宙に舞う。そしてその刀は、迷うことなく一本残らず持ち主の胸に納められ致命の傷を捧げた。

「手入れをちゃんとしていないからだよ。耳は無くても聞こえるんだ。物の、悲鳴がね」

 自分の持っていた刀に胸を貫かれた男たちを余所に、耳無は歩き続ける。

「あたしゃ博打が弱いからね。どの目が出るのか、お楽しみだね」

 不敵な笑みを浮かべながら、耳無は進む。その目が吉と出るか、凶と出るか。賽はすでに投げられている。

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