第18話・村人の真実

「やめろぉぉぉ!」

 叫び声を上げながら飛び起きると、そこは弥生の家だった。正確に言うと、『御魂の村』の中の、という事になるのだが。家の中には耳無が座っている。目覚めた弥生のそばで、柔らかく微笑んでいる。

「目が覚めたんだね、良かった」

 そう声をかけた耳無は、先ほど切り落としたはずの耳が両方ちゃんと付いている。まじまじと見つめる弥生の視線に、耳無は首を傾げる。

「どうしたんだい。あたしの顔に、何かついてるかい」

「耳が、ある…」

 弥生が見た夢など知らない人間には意味のわからない言葉であっても、弥生は口にするしかなかった。しかし耳無はその言葉を聞くと、納得したようにうなずいた。

「うなされていたのは、そういう訳だったんだね。何を見たんだい」

「みんな、死んでた」

 弥生はそれだけいう事が精一杯だった。散花が死に、石割が死に、柊が殺して、耳無が自害。そして命も。

「次々に人が死んでいった。ついさっきまで話していたやつらが」

 弥生にとって今までの生き方を考えたらそんな事珍しい事じゃなかった。朝一緒に行動していた人間が夜には死んでいる。そんな日常を幼いころから過ごしてきた。親しい人間、顔の見知った人間の死に悔やまない人間などいない。しかし、死んだ人間の事を考えていたら、自分が死んでしまう。事実他人の死を引きずったせいで死ぬ人間を何人も見てきた。多くの人間は心を閉ざす術を覚えていった。

だが、弥生は。

「怖かったんだ。何もできない自分が。凪を止められない事が」

 耳無は、表情を変えず、笑顔のまま弥生の言葉を聞く。

「それが、現実だよ。目を背けても何も変わらない」

 耳無の言葉に、弥生の全身の毛は逆立っていく。目の前で死んでいく人を、ただ見ている事しか出来ないのを肯定するような耳無の言葉は受け入れられるものでは無かった。

「現実?あんな、次々と人が死んでいく事がか」

「うるせぇな、起きたばかりなんだから静かにしてろよ」

 弥生が叫び声をあげると、外から石割が入ってくる。後ろから、散花も続いた。

「石割、もっと言葉を選びな。混乱しているだけなんだから」

「くだらねぇ。今まで逃げてたしっぺ返し食らって騒いでるだけじゃねぇか」

「弱いくせに口だけは一丁前だな」

 石割の言葉は、ささくれていた弥生の逆鱗に触れた。そして、石割の言葉を無視できない事にも腹を立てながら、弥生は噛みついた。弥生の言葉にこめかみを波打たせる石割。その様子を見ていた耳無は石割をなだめる。

「石割、こういう時は順を追って説明しなきゃ。この人は何も知らないんだ」

「けっ。何も知らなけりゃ吠えてて良いのか。弱いままで良いってか。俺はごめんだね」

「俺より弱いやつが吠えてるじゃねぇか」

 石割から、「弱い」と言われた弥生はいきり立つ。いきなり喧嘩を売りに来て、弥生に殴る事はおろか、触れる事も出来なかった石割から、そこまで言われて黙る筋合いは無い。弥生は起きたばかりという事を差し引いても、石割から拳ひとつ貰うつもりは無かった。

「石割、あんた頭冷やしな。そんな事してる場合じゃないだろう」

「そうだよ、石割。この家壊す気かい」

 それにも関わらず、散花も耳無も、弥生ではなく、石割を止めている。弥生はくだらない仲間意識に吐き気を催しながら、立ち上がる。

「石割、表出ろ。そこまで人を馬鹿にして手加減は期待するなよ」

「あ?ここで構わねぇよ。…耳無さん、良いよな」

 すでに止まらない事を理解した耳無は、壁際に遠ざかっていく。

 弥生はため息を吐きながら石割を見る。また、あのお遊戯みたいな事を繰り返すつもりは無い。冗談みたいに遅い石割の動きなら、先に殴らせ、躱して頭に一撃叩き込めば終わる。それで静かになる。そのはずだった。

「さっさと終わらせてやる。来いよ」

 石割は弥生の事など一切見ずに、目を閉じていた。自分の拳を包み込むように握り締め、口を開く。

『解・石割』

 その瞬間、石割の雰囲気が変わる。次の瞬間には、弥生の視界から石割は消えていた。目を見開き、左右を見回す。すると足元から声がする。

「こっちだ」

 下を見ると、拳を握りしめ、身体を屈めた石割が居た。完璧に殴る準備の出来ている体勢。気付いた時には、飛び上がり気味の拳を貰っていた。躱す事はおろか、目に捕える事も精一杯の拳。顎に一撃を貰い、仰向けに舞っている最中、脇に石割の姿。すでに足を高く上げ、そのまま振り下ろす。宙に浮いている弥生は避ける術もなくそのまま床板を突きぬけていた。

「石割、手加減しなよ。殴っただけで決まってただろうに」

 耳無は、結果に驚く様子もなく、床に開いた穴を覗く。そこには当然、仰向けに倒れている弥生が横たわっていた。

「大丈夫かい」

「…反則だろ」

 耳無が手を伸ばし、弥生を助け起こす。石割がぎこちなく見えるほど動きが遅かった理由を弥生は理解した。石割が持っているという「力」は、自らの身体能力を押さえていたためだったのだ。なんでそんな事をしているのかは、わからなかったが相手が遅いと油断していた事を差し引いても、石割に動きは常人離れしていた。

「石割、大丈夫かい」

 散花の声が聞こえた。拳とかかとを同時に振って歯を食いしばる石割の様は滑稽ではあったが、続く言葉は、耳無の眉間にしわを寄せた。

「骨が、砕けると思った…」

 耳無は、弥生を見る。解状態の石割の拳と蹴りをまともに食らって、怪我一つ無い。むしろ攻撃した石割が衝撃を受けている。そんな理由は、一つしかなかった。

「…命に「力」を貰ったね」

「あぁ、ここに来る前、森で死にかけてた時に」

 頭の冷えた弥生は、耳無に問われるままにこれまでの経緯を話した。

 凪の罠に嵌り、裏切り者扱いされた事。手傷を負い、身を隠すために森に逃げ込み、追撃にあった事。そこで命に出会い、傷付けることの出来ない「力」を貰った事、その上で、命に腹を裂かれ、気付いた時にはこの家で寝ていた事…。

 散花だけでなく、石割までも黙って弥生の話を聞いた。途中、口を挟む者はいなかった。

「なるほどね。で、さっきあたしらが死ぬ夢を見た、と」

「正直、ここでの出来事の方が夢みたいな感じがするがね」

「…草薙さん、輪廻って信じるかい」

 耳無は出し抜けにそんな事を言う。弥生は鼻で笑った。

「信じるわけないだろ。人生なんて、死ねばそれまでだ」

「ま、あたしも死ぬまではそう思ってたんだけどね。どうも、そうじゃないらしい」

「死ぬまでって…馬鹿馬鹿しい。あんたは死んだ事が有るって…」

 言葉の途中で、口をつむぐ弥生。もしも、もしもさっき見た夢が、ただの夢じゃなく、過去に、本当に起こった事だとしたら。そんな考えを察したのか、耳無は大きく頷いた。

「その考えで合ってるよ。この村は一度死んだ人間が輪廻を外れて住まう場所。それがこの『御魂の森』さ」

 人間は、死ねば肉体は滅ぶ。しかし、魂は次に生まれるため一旦全ての記憶を無くし、還るべき場所へ戻って行く。この村はそんな魂を強引に引き留めている場所なのだと。毎日死人が出る世の中で、何故ここに居る人間が選ばれたのか、誰も分かっていない。一つ言えるのは、みんな命と浅からぬ縁を結んでいる者たちだという事だ。

 耳無の言葉に耳を疑う弥生だったが、よく考えてみると思い当たる節が有った。誰一人、「いのち」について語ろうとしなかったのだ。弥生の怪我を見ても、そして、マチが死んだとも。当然だ。そもそもとして、死んでいたのだから。

「死んだ…?俺もか」

「あぁ、草薙さんは死んでないよ」

 拍子抜けするほど、あっさりと否定する耳無。彼はさらに言葉を続ける。

「命が取引に使うのはいのちだ。無い物は交換できない。いのちも同じさ」

 さらに言えば、弥生以外の人間がこの村から出ようとした時、身体が徐々に薄くなっていく。魂だけの存在、肉体という器を持たない村人たちはこの村以外で存在できないためだった。唯一石割だけは身体能力を抑えている間は森まで足を延ばせた。

「だとしたら、なんで俺はここに居るんだよ」

「命が連れて来た。彼を利用するために」

 扉から声がする。振り向くと、そこには標が立っていた。

「標、それは本当かい」

 標は、耳無の言葉に頷いた。

「あなただけじゃない。命は、彼女も利用してこの村を滅ぼそうとしている」

「彼女って?」

「散花と石割、そして命を殺した、彼女」

 散花と石割が凍りつく。弥生は先ほど見た夢を思い返し、誰にいう訳でもなく言葉をこぼした。

「…来てるのか」

 弥生の言葉と同時に、村に怒声が響き渡る。標が目を見開き家の外に飛び出すと、森の色が赤く染まっていた。標の後を追う面々。森の異変を目にすると、動揺が走った。

「おいおい、なんだってんだよ、これは」

「命が、力を分けている。森に入るために。全て、終わらせるために」

 標は、その場に座り込んでしまう。耳無は、標の頭を撫でると、からりと笑う。

「そいじゃま、行くしかないようだね」

「そうね」

 続いて散花、石割と森を見つめていた。そんな三人の態度に、弥生は目を見開き声を漏らす。

「お前ら、怖くないのかよ」

「何が」

「相手は、人殺しを生業にしている奴らだぞ。普通逃げる準備だろ」

 弥生の言葉に、三人は吹き出しながら笑ってしまう。

「さっきの耳無の話、聞いてなかったのかい。あたしらはここにしか居られないの。だったら戦うしかないじゃないか」

「だとしても…殺されるぞ」

「俺ら、もう死んでるんだよ。馬鹿か、お前」

「うるせぇよ。だったら、もう死にたくないって思うんじゃないのかよ。何が何でもこの世に留まりたいって思うんじゃないのかよ。逃げたいって思うんじゃないのかよ…なんで、立ち向かえるんだよ。なんで」


 今まで逃げ続けてきた。生まれの村が襲われた時は立ち向かわず、凪と二人、根無し草になった時は、盗む道に逃げた。凪に裏切られた時もそうだ。自分で考える事から逃げた結果、身内に追われ、そして今なお、逃げる事しか考えていない。

 逃げる事しか選べなかったのでは無い。選ぼうとしなかったのだ。


 彼の心を察したのか、耳無はうなだれる弥生の肩に手を置いた。

「草薙…いや、弥生さん。あんた後悔はないのかい」

 それは、以前、散花にされた質問と同じだった。

「あたしらはね、みんな後悔してるんだよ。ほんの少し立ち向かえたら。ほんの少しで良い、自分の心に正直になれたら。たったそれだけで全部違った結果になっていたことばかりでね。最期の身の振り方くらい、後悔無いように選びたいのさ」

「捨て鉢になってるだけじゃねぇか…」

「かもね」

 耳無は笑顔を崩さずに弥生と向き合う。そんな時、石割は頭を抱えながら叫びだす。

「あーもう辛気臭ぇ。あっちは俺らを殺しに来るんだろ。だったら返り討ちにすればいい話だろうが。散花」

「なんだよ」

「この戦いが終わったら、俺と」

 散花は石割の言葉の途中に指で唇を抑える。突然の散花の行動に、目を丸くする石割。散花は、そんな石割に吐息交じりに囁きかける。

「戦いの前にそんな事言わないでおくれよ。ちゃんと帰ってきてから、続きを聞かせておくれ」

 散花の言葉に石割は飛び上がらんばかりに舞い上がり、さらに大声を上げる。

「散花が俺の心配を…?勝てる、勝てるぞぉ!今日の俺は地獄の鬼すら避けて通る。俺の恋路を邪魔する奴はぁ」

「あーあ、行っちゃったよ。散花、あんな焚き付けちゃって。後でどうなっても知らないよ」

「そうなったらそうなったでしょ。それにね、あたしの言葉くらいで帰ってこれるなら、安いもんじゃないか」

 散花の言葉に、耳無は頷いた。そのまま進もうとする二人を弥生は呼び止めずにはいられなかった。

「お、おい」

 耳無は振り返ると、忘れていたと、弥生の刀に手を乗せる。

「『弥生。抜刀を許す』…弥生さん、あんたは生きている。後悔しない生き方を選ぶんだよ」

 そう言った耳無の表情はどこか寂しそうで、しかし、振り向いた背中はしっかりと伸びていた。散花の姿は、すでに見えない。耳無の背中もどんどん遠ざかる。

 隣で座り込んでいた標も、立ち上がると服についた土を払っていた。そして、躊躇う事無く、足を進める。

「餓鬼、お前も行くのか」

 震える声で尋ねられた標は、顔だけ振り向くと黙って頷く。

「命が全てを終わらせるのなら、私が止めなければならない。『御魂の巫女』の名にかけて」

 標は、滑るように進んで行く。足も動かさず、目にも留まらぬ速度で。みるみる遠ざかる標の後ろ姿を眺める弥生。その手に握られた刀の鯉口を切る。

しかし動けない。

ひとり残された弥生はそのまま立ちすくんでいた。

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