第16話・柊の村
柊は、ぼんやりと空を眺めていた。単純な話として、それ以外する事が無いのだ。
凪が森に自分を送らなかったのは、当然の判断だった。どこに自分の補佐としている人間を前線に送る者がいる。少し冷静になれば、自分自身ですら、同じ状況であれば送らなかっただろう。それでも、行くべきだと思った。それは、命の名前が出たからだった。
正直、命の名前を、凪が覚えていた事は、意外だった。それに村を襲撃した時まで正確に覚えていたなんて。
凪と行なった最初の仕事であり、血塗られた道から逃がれる機会を無くした、決定的な出来事。それは、自分の故郷の襲撃だった。
故郷の場所は都より少し外れ、山々のふもと、森と隣接するような田舎村だった。さしたる特産物もなく、村の外と積極的に交流を深めるわけでもない。旅の休息に使うには街道から離れている、という、分かりやすく言ってしまえば、何もない村が一番しっくりくるだろう。他の村と違う点と言えば、『御魂の巫女』と呼ばれる存在が村にいる事だろうか。
『御魂の巫女』
その存在は、村の守り神として、代々その村で一番神通力の強い女が引き継ぐものだった。そうは言っても、神通力など誰も彼もが持っているわけではなく、血により引き継がれていると言っても過言ではなかった。
事実、幼いころ『御魂の巫女』は形だけのものだった。神通力を発現している者が、誰もいなかったのだ。村の守り神とまで言われる巫女が不在なら、呪いや、神罰など大騒ぎしても良いものだが、そもそも、常に巫女がいる訳ではない、形骸化したしきたりのような物だった。しかし、しきたりと言うものは始めるのは簡単だったが、辞める事は、先人が許さないらしい。神社に産まれたという理由だけで巫女に祭り上げられる当人を見ながら育った。
見ながら、と比較的近い表現をしたのは、同じ年頃の娘が『御魂の巫女』だったからだ。先ほど、凪と会ったという命。彼女が『御魂の巫女』だったのだ。
もちろん立場の違う存在だ。おいそれと会える存在では無い。はずなのだが、実は、よく会って遊ぶ仲になっていた。幼馴染の葵が、人目を盗んで外に連れ出していたためだった。
『御魂の巫女』に会って良いのは、女もしくは去勢をした男だけ。そんなしきたりを守るために、食事を運ぶ係に葵は選ばれたのだった。幸いに命と葵は年が近かったため、次第に仲良くなる二人を大人たちも安心して見守っていたらしい。そんな時だった。葵が、命を外に連れ出したのは。
命は、葵によく外の話を尋ねていた。生まれてから、建物の外に出る事も叶わず、年の近い顔見知りは葵だけ。窓から見える景色は知っていても、実際に触れたこともない。同じ年のころにする遊びも知らない。笑いながら語る命に葵は聞いたのだった。「外に出てみないか」と。
最初は、迷っている様子の命も、小さく、本当に小さく「うん」と答えたのだという。
その事を知らないで、葵と森の中で待ち合わせている時に二人に女の子が現れた時は首を傾げ、葵が連れて来た子が『御魂の巫女』と知った時は腰を抜かす思いだった。
事情を葵から聞いた時に断る理由は思いつかなかった。命が望んでいて、葵はその手助けをしただけ。子ども心に大変な事をしている気持ちはあったが、三人だけの秘密と言うのが妙にうれしかった。
命はよくしゃべり、よく笑う、どこにでもいる女の子だった。森の中では、新しい物を見付けるたびに大声を上げた。土の匂いも、木々のざわめきも、風の柔らかさも、全て。
自分と葵には見慣れている物も、命の目には全てが新鮮で、貴重な体験だったのだ。一つ一つに歓声を上げ、走っていく命のお供は楽じゃなかった。もし万一転びでもしたら。ただでさえ、勝手に連れまわしているのだ。笑いごとなどではなく、良くて村八分、最悪、一家で首を斬られても文句は言えない。三人で遊びながらも、常に注意を払っていた。
日が傾くころに帰り支度を始めた。しかし、命は森に居座ると駄々をこねる。考えてみれば当然だ。何不自由ない暮らしをしているとはいえ、その「何不自由無さ」がかえって不自由なのだから、その場所に戻りたくないと望むのは当然の事。一旦帰り、次の日の約束をしても、梃子でも動かぬ命に困り果てる二人。その時、森の茂みから、一人の男が顔を出した。その男は、都から来た男で、命の目付となっていた。年は、命より七つ上。もちろん命のそばに居られる事から、男としての機能は捨てていた。
その男に見つかると強情だった命もしぶしぶ従った。そして、男は二人に向き合うと
「日が落ちるまでに、私に引き戻してください。他の方には決して悟らせないように」
それだけ言うと、命を連れて戻って行った。
理由はさっぱり分からないが、命と会える許可を貰った二人は、手を合わせて喜んだ。
それからは、ほとんど毎日と言って良いほど、よく遊んだ。三人の時もあったし、目付の男、菅野と四人で出かけることもあった。何故、命の外出を許しているのか、尋ねた事が有った。理由は簡単で、一言だけだった。
「閉じ込めておくことが、不憫だった」
本当の理由はそれだけでは無いのだろうが、三人としたら、遊べる事の前には些細な疑問だった。命は中での生活をよく話してくれた。家に居る時は、毎日勉強しかしてないという事。神事で行なう舞の稽古が楽しい事や、文字の読み書きが苦手な事。そして、菅野の奏でる調べが本当に好きな事。中の事情を知らぬ二人には、興味をそそる話ばかりだった。
命と会うようになって、およそ二月。事件は起きた。
森の中で遊んでいる最中、葵は切り立った崖の上に咲く花を見付けた。普段であれば諦めていたのだろうが、その時の葵は意地でも花を摘んでくると言った。大人の身長のおよそ五倍。後から来る命にその花を上げるのだと、頑として意見を引かない葵に、了承してしまった。女の葵を登らせる訳にはいかず、自分が崖を登ることにした。
崖は意外と凹凸が多く、簡単登ることが出来た。葵が見守る中、するすると崖を登った。間もなく、花に手が届く、そんな時に命が現れ、見て驚きの悲鳴を上げる。
安心させようと命に振り向いた瞬間、手にかけていた石が崖から外れたのだった。真っ逆さまに落ちる身体。叫ぶ葵。その時、周囲に鈴の音が鳴り響いたのだった。
落ちる速度はみるみる遅くなってゆき、そのまま地面にふわりと背中を付けた。
「良かった」
命はそれだけ言うと、意識を失ったのだった。
失われた、神通力の発現。結論から言えばその瞬間だった。
その後、村を二分する騒ぎになったのは言うまでもない。
しきたりを守らず『御魂の巫女』を外に連れ出した二人と、それを黙認した菅野を罰するべきだという声。
外に出ていたからこそ、神通力が発現し、本当の巫女になったのだから、むしろ褒美で迎えるべきと言う声、真っ二つに割れたのだった。
しかし、その意見も、意識の戻った命が、発した言葉ですべてうやむやになった。命は、一日にして、村の誰よりも権力を持ったのだった。
褒美も罰もうやむやになったとは言え、菅野は都に戻り、二人は命と会う事を禁止された。その事を、納得のいかないまでも、受け入れるしかない二人は、最後に命と会った時になんて言ったら良いのか、分からなかった。無言のまま部屋にいる三人。語る言葉はたくさんあったはずなのに、口からは何も出なかった。
控えの人間が自分たちを追い立てるように部屋に入って来た。二人は、何も言葉を交わせないまま部屋を去る。去り際に、命が一言「生きていて、良かった」と口にした。
それが、命と交わした最後の会話だった。
葵と自分は、そのまま村に残ることを許された。しかし、両方の意見を出した者から腫れ物を触るような扱いを受けた二人は、お互いに一緒にいる時間が増えていった。お互いを、男女として意識するまでにそう時間はかからなかった。
その後しばらくして、村を出る事にした。追い出されたのではなく、自ら都に勤めるために。もちろん菅野のような文官ではなく、武士として。菅野から、腕さえあれば都勤めが出来ることを聞いていたからだ。出世欲からでは無かった。命の一件以来、村に居辛くなっていた。そして、両親が亡くなった事で決心が着いたのだった。
葵に村を出ることを話す時、一緒にこう告げた。
「必ず迎えに来る。その時まで待っていてくれ」
葵は、微笑みながら、小さな巾着を渡す。
「お守り。柊さんはそそっかしいから」
葵の胸にも同じものが下がっている。今まで呼び捨てだった名前を、さん付で呼ばれた事に胸を熱くした。巾着を受け取ると、胸に下げる。お互い、笑い合った。
都から、文は出さなかった。葵が読み書きが出来ないことを知っていたから。早く葵と一緒になるため、それこそ死に物狂いで働いた。さしたる腕の無かったがどうにか葵と二人で暮らせる食い扶持を得るようになるまで、三年の月日が流れていた。
そこで柊は思考を止めた。先の凪に対しての差し出がましい行為を謝罪しておかなければ、今後やりづらくなる。そうは言っても、これ以上やりづらくなど、なりようが無いのだが。
柊は重い腰を上げると、凪の元に進んで行った。胸には、今も巾着を下げたままで。
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