第15話・弥生の「力」

「散花、隠れて…」

「おマチちゃん」

 散花は弥生の言葉を聞かずに死体の…マチのそばに走っていく。助かる見込みがない事は散花も理解しているはず。しかし、それでも、何度もマチの名を呼び、その場で泣き崩れた。散花は泣きながら扇子を風切と土蜘蛛に向ける。本名も知らない。力が発動できるわけでもない。それでも散花は叫び続けた。呪いと言ってもいい言葉を。

「騒がしいな」

「弥生を生け捕りにする前に、この女の始末からか」

 二人の標的が散花に代わり、じりじりと近づいていく。二人の、三本の刃が散花を斬り裂く前に、間に弥生が割って入る。背中で刃を受ける弥生。しかし、刀は、弥生の背中で血の一滴も流さずに止まる。命からもらった力この世のものでは傷つけられない身体。つまり、弥生の事を、誰も傷つけることは出来ない。しかし、その力が効くのは、身体だけだ。心は守ってくれない。弥生は、振り向くことなく、風切と土蜘蛛に言葉を発した。

「下がれ」

 その言葉を受け、二人は後ろに飛び退く。圧もなく静かに押し出した声だけで猛者二人を圧倒する何かがそこにはあった。

「あんたが行っても、死ぬだけだ」

「分かってるさ。関係ないんだよ、そんな事は」

 散花は泣きながら弥生に食ってかかる。そんな事をしても意味のない事がわからない訳でもないだろう。それでも散花は声を枯らしながら、叫び続ける。

 弥生の中で、何かが切れる音がする。自分の体温が、下がっていく事がわかる。

「命、俺に「力」を与えられるか」

「いいでしょう。ただし、代償としてあなたのいのちの断片を貰うけど」

「関係ない。今すぐよこせ」

 命の悠長な答えに感情を爆発させる。目の前で泣いている散花を過去の誰かと重ね見ている自分に気付かなかった。今、目の前にいる二人を殺せるなら、いのちなど安い駄賃だと思えるほどに、怒りが高まっていた。

 そんな様子を、命は笑顔を崩さず見つめている

「ならば、あなたの名前を使って、私にめいじなさい」

『弥生の名を以てめいじる。奴らに、最低の死を与えろ』

「仰せのままに」

 言葉を受け止めると、弥生と口づける命。弥生は自分の中に、何かが流れ込んで無ることを感じた。前回の時とは違い、何か、奪われる感覚も一緒に覚えていた。命が唇を離した瞬間、弥生の頭には、「力」の使い方がすべて理解できていた。

 弥生の後ろで、攻める機を逃していた二人は何もする気配の無い弥生をどうするか、考えあぐねていた。攻めるか、引くか。どちらの行動を取るか、目配せを交わしたその時、弥生がゆっくりと立ち上がる。先ほど刀を背中に受けた事も考えて、二人は距離を保ったままだ。

「ずいぶんと待たせたようだな」

 弥生が笑みを浮かべながら話しかけてくる。その事が返って気味の悪さを増長させる。二人は警戒し何も返さない。

「残念だな、折角催しを考えたのだが」

 平然と歩を進める弥生。二人はそれぞれの得物を構え直す。

「こんなのはどうだ。『文彦、平次』」

 二人は目を見開く。他の者に話したことのない名前を、弥生が言い当てたからだ。続く言葉が二人をさらに混乱させた。

『二人で殺し合え。強さを見せた者に、いのちを助けてやる』

 弥生の言葉を、理解するのに、二人とも数秒を要した。「殺し合え?」「いのちを助ける?」どちらもたった今まで殺し合っていた人間に向ける言葉ではなかったからだ。

「愚かなことを…」

 土蜘蛛が口にするも、体が思うとおりに動かなかった。風切と距離を取るように反対方向に飛ぶ。それは風切も同じようで、互いに距離を保ちながら、得物を握る。まるで、標的と相対するように。

「貴様、何をした」

「さっき言った通りさ。さぁ、殺せ殺せ。今まで数多のいのちを狩り取った技の全て、互いの身体で試し合え」

 まるで油の切れた機械人形の如く、ぎこちない動きで刀を振るい合う二人。自分の意思が籠っていないような動きをするため、見慣れたはずの互いの攻撃すら躱せない。徐々に、互いのいのちを削り合っていく。歯噛みしながら急所を外し続ける風切。そんな二人に弥生が、退屈そうに話しかける。

「何を悠長に斬り合ってるんだ。このままでは、日が暮れてしまう」

 いっそ、暢気とも取れる弥生の言葉に、さすがの風切も感情をあらわにする。

「貴様、このような事をして何が」

 風切が、弥生に向けて話せたのはそこまでだった。意識を反らした瞬間、胸に走る痛み。口から流れる赤い滴。顔を正面に向けると、胸に刺さった、二本の小太刀。前かがみ気味に刺しているため、土蜘蛛の顔は見えない。

「…平次、何故」

 怒りではない。本当に理解が出来なかったために、思わずこぼれた問いかけ。本名で問われた土蜘蛛は、感情の無い声で答える。

「片方が生き残れば、仕事は続けられる。我は、いのちをあきらめない」

 風切の位置からは前傾姿勢のために、顔が見えない。

(仕事のために、人を殺す。今まで、自分たちが行ってきたことだ)

「なるほど。先に逝く」

 その言葉を最期に仰向けに崩れゆく風切。倒れる身体に刀を持っていかれるような、愚かな真似はしない。土蜘蛛は風切が倒れる前に、刀を抜き、血振りをする。何百、何千と行ってきた動作だった。身体を縛っていた支配が無くなり自らの意志を取り戻したのはその時だった。土蜘蛛は、そのまま弥生に向けて小太刀を構える。その姿を、弥生は拍手で迎えいれた。

「良いものを見せてもらった」

「黙れ、人外。このような事を出来るのは、人間ではない」

 低く、地の底より響くような声で、弥生に向き合う。しかし、弥生は、目すら合わせずに受け答える。

「お前らも似たようなものだろう。仕事と称し、血を分けた類縁までも殺しゆく。よほど人外だ」

「黙れと言っている。…白い着物を着た女?」

 土蜘蛛の目には、命が写っている。

(もう一人の標的、やつを捕まえれば、この地獄も終わる)

 命は、微笑みながら、土蜘蛛に話しかけた。

「ねぇ、あなた気付いてる?」

「何?」

「自分の頬を触ってごらんなさい」

 言われた通りに手の甲で頬を拭う。

(…汗?いや、違う。そんなまさか)

「泣いている事も分からないくらいに自分を押し殺している人間に、私の望みは叶えられない。だから」

 弥生と命が、土蜘蛛に向けて手をかざす。そして、二人は声を揃えて。

『平次、自害しろ』

 弥生からの言葉に土蜘蛛はもはや抵抗をしなかった。高々と小太刀を掲げ、自らの腹に目掛けて突きたてる。深々と刺さる小太刀。弥生は満足げに眺めている。

「仲間を殺してまで仕事を続けようとする意志は見事。だが惜しいな。殺すならば、自らを殺すべきだった。しかも、涙をこぼすなんて、弱さ以外の何物でもない」

 まだ、かろうじて意識の残っている土蜘蛛。弥生の言葉を聞いていたのか、それとも聞こえなかったのか、それはわからない。自分の腹に刺さっている小太刀を一本引き抜くと、自らの首にあてがった。

「鬼め」

 最期に、一言つぶやくと、そのまま首に当てた刃を横に引いた。

 三体の死体が転がる中央に弥生が立っている。先ほどからの目まぐるしい状況に、呆然と座り込むしかできない散花。ついさっき、白玉団子を作ってくれたマチは、もういない。ほんの少し前に、握り飯を食べていた弥生は、まるで別人のよう。弥生だけではなく、いきなり現れ、そして死んだ二人。先ほどから、何とも弥生が口走った、命の名前。どれもこれも散花には何一つ、わからなかった。しかし、こんな状況で話を聞けるのは、弥生だけ。

「…草薙?」

「…あっけない」

 元に、戻ると。そんなかすかな願いを打ち壊すように、弥生は独り言を続けた。

「本当に脆いな、人間と言うのは。首を絞めれば、心の臓を貫けば簡単に息絶える。己が生きるためなら、他人の肉を食らい、血をすする。嘘で嘘を覆い、騙し、狩り取る。こんな弱いものに、この程度のものに怯えていたのか、俺は」

 散花の目の前で、何かが壊れていく。壊れていくのは弥生なのか、それとも別のものか。ただ一つ分かっていることは、散花に、壊れゆくものを止めることが出来ない事だけだった。

「所詮は知能を持った獣。いや、獣にも劣る、最低の生き物、犬畜生の方がまだ尊い。こんな生き物が蔓延っている世界など…。そうだ。根絶やしにすればいい。すべての人間を殺した後で俺も死ねばいい。裏切るのも裏切られるのも、もう飽きた。だったら俺の手で、すべてを終わらせれば」

「弥生!」

 散花は思わず叫んでいた。止まるかどうかわからない。でも、ここで止まってくれないと、二度と戻ってこない事がわかるから。

「…なんだ?」

 この時、振り向いた弥生の目を見て、ぞっとした。まるで、死人の目。光を灯さず、ただそこに有るだけの硝子玉。こんな目をしている人間なんて、見たくなかった。

「あんた、どうしちゃったの?さっきから何を言ってるの?」

 散花の言葉が届いているのか、それすらもわからなかった。弥生はこちらを見ている。そのせいで、息が浅くなっていく。今の弥生なら、躊躇なく誰でも手にかけるだろう。

「何って、この世の真理さ。欲しければ奪う。邪魔なら殺す。己の欲に従えば、この世は極楽だ。そうとも俺は、俺は?…俺は!」

 弥生の目の色が変わる。先ほどまでの深い闇は消え、不安、戸惑い、恐怖心。負の感情に変わりはないが、人間らしい感情が目に宿る。散花の後ろから、足音が聞こえる。振り向くと、息を切らせた標が、弥生に向けて手を向けている。

「し、標ちゃん。弥生が…」

「黙って。余裕がない」

 散花の言葉を一蹴する標。表情を見ると、汗を流しながら、眉間にしわを寄せている。

「こんなに力を流し込んで…弥生を殺すつもり?命」

 張り上げるわけでもなく、いっそ静かに口を開く標。その瞬間散花の目にも見えるように、命が姿を現す。命は手を振り下ろす。その事で、弥生は、糸が切れたかのように倒れこんだ。散花は弥生に向かって走っていく。

「あなたに関係ないでしょう、標。いいえ。御魂の巫女様」

 その言葉に、標は俯いてしまう。命は仮面が張り付いたかのように表情を消し、振り向いた。

「待って、命」

「次は、本気で来なさい。でないと、容赦はしない」

 標を見ることもなく、立ち消える命。標は、命の消えた先を、いつまでも見つめていた。

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