第13話・狂気

 風切、土蜘蛛は黙々と進んでいた。竹藪を隣に歩いていれば、いつか人にたどり着く。そんな迷路を進むための方法を人里で実行する羽目になるとは考えていなかった。

「しかし、ここはどういう村なのかねぇ。蜘蛛」

「任務中だ。おしゃべりしている暇などない」

「つれないねぇ。どうせ監視している人間がいるわけでもなし、のんびり行こう」

「その、のんびり仕事を行った挙句、獲物を取り逃がしたら目も当てられないのだが」

 風切の軽口に、土蜘蛛が苦言を呈す。毎度の事の繰り返し。こんな軽佻な男でも、仕事の腕では土蜘蛛と並び立つ、貴重な存在だった。

「土蜘蛛は真面目だね。もう少し楽しみを持って生きた方が長生き出来る」

「この稼業にいる時点で長生き出来ないと思うが」

「そうだね。しかし…」

 風切は、そこで言葉を区切ると足を止め、後ろに振り向いた。

「村娘一人始末できないとは、腕が落ちたんじゃないか、蜘蛛」

「そうかも知れないな。自分の不始末、手出しは不要」

 続いて振り向く土蜘蛛。二人の視線の先には、命に仮初の魂を入れられた、マチが立っていた。

 土蜘蛛はため息を吐くと、腰に帯びている小太刀を抜き放つ。

「しかし、哀れな女よ。運よく急所から逃れ、生き永らえたのであらば、向かう先は我らではなかったであろうに」

 土蜘蛛は、独り言を語りながら、滑らかに距離を詰め、今度はマチの首に一太刀。目にも留まらない早業で、マチは微動だに出来ずその場に倒れこんだ。土蜘蛛は血振りをすると、風切に向き直る。

「お見事…と言いたいが、後始末だしね」

「さ、行くぞ。心の臓と首、急所を二つだ。これで生きている訳が…」

 がさりと。

 マチが斬られた場所で何かが動く音がする。風切の顔はみるみる驚きの色に染まっていく。風切の表情を見ていた土蜘蛛は何を見たのか想像することは難しくなかった。

想像は時に残酷である。受け入れられない事実も想像してしまえば可能性になってしまう。たとえどれだけ非現実であったとしても、頭の中に確かに存在してしまうことになる。

その想像を否定するように土蜘蛛は時間をかけ、ゆっくりと振り返る。

しかし現実は変わらない。そこには、先ほど首を斬ったはずのマチが立っていた。

「蜘蛛、まさか手心を加えたか」

「する意味がない」

「だよな。だとすると、だ」

「ああ。認識を変える。…これは、敵だ」

 その言葉を機に二人は標的へと変わったマチへ攻撃を仕掛ける。

 二人が幼いころから仕込まれた動き。別段早く動くわけではない。人の死角を狙い澄ましたように移動し、確実に獲物を狩る。

 マチは首をかしげながら笑っている。先ほど切られたはずの首は、傷口が開いているにも関わらず、血の一滴も流れない。その事に二人が気付いていたならば、また話の流れ…いのちの流れは違う方向に向いていただろうに。

 棒立ち状態のマチに、土蜘蛛、風切は、鋭い斬撃を加える。その一撃一撃がマチに傷を叩きこんでいく。本来であれば、その一太刀でも充分にいのちを奪えるものではあるが、何発打ち込んでもマチは痛みなど感じていないかの如く立ち尽くしている。

 ひとしきり攻撃を加えたところで、二人は、マチの正面に姿を現す。土蜘蛛の手には、二本の小太刀。風切は長巻を握りしめていた。

「何の手がかりもないとは」

「むしろ、なんで立ってられるのかね」

 急所だけではない、腰、ふくらはぎ、背骨。何度も何度も、それこそ執拗と言えるほどの斬撃を入れて尚、マチは悲鳴も上げずに立っている。その姿は、まるで屍が立っているように。

「ただ斬られてくれるだけの的なら、無視しても構わないんじゃない」

「そうもいくまい。…逆に、これだけの斬撃を受けても微動だにしないこれを放置できるのか」

「それは、そうだね」

 その時、鈴の音が鳴り響く。だが、二人は聞こえていないように反応が無い。命が姿を現すも、二人にはその姿を捕えることは出来ないようだった。

「あなたは、本当に人を傷つけるのが嫌いなよう。だけど、今のあなたじゃ時間稼ぎにもならない。ここで足止めをしておかないと、他の人間まで危害が及ぶのよ」

 命は、マチに近づくと周囲を回りながら、囁くように告げる。マチの身体は言葉の途中から震えだすと、悲鳴に近い声を上げながら突進していく。

「どうやら、やる気になったようだねぇ」

「ただ斬られてくれれば良いものを」

 二本の小太刀を構える土蜘蛛。風切は、そんな土蜘蛛の前に立ちはだかる。その手に握られていたのは、爆薬だった。

「こんな訳のわからないもの、相手にする必要はない。吹き飛ばせば、すべて終わる」

 言うが早い。風切は導火線に火を点けたかと思うと、口の中に押し込んだ。風切が離れると同時に導火線が燃え尽き、爆薬は炸裂した。

 頭を失ったマチの身体は、仰向けに倒れたきり、そのまま動かなくなった。その時、マチの懐から、小さな巾着がこぼれ出る。土蜘蛛は、その巾着に目を止める。よく似たものを見たことがあったからだった。もちろん土蜘蛛の見たものと同じものではない。土蜘蛛が見たそれは何度も固く握りしめられて血が滲んで赤く色を変えた、男の覚悟だった。

 土蜘蛛はマチの亡骸に手を合わせていた。対になった巾着に込められた想いを感じたせいだろうか。

「蜘蛛?」

 風切の言葉ではっと我に返る。気にしても仕方がない。土蜘蛛は「なんでもない」と答えると、歩みを進めた。かすかに、鈴の音が聞こえたような気がした。

 先ほどより口数の少なくなった土蜘蛛は黙々と歩いていた。隣では風切が、先ほどの件について、答えの出ない憶測をつらつらと語っている。「あぁ」「そうだな」と空返事を繰り返す土蜘蛛を気にしていないのか、気付いていないのか、風切は言葉を続ける。


 巾着を見て、思い出してしまったのだ。二人が育った、里の事を。

 風切、土蜘蛛はもちろん本名ではない。それどころか一人の名前でもなかった。金で雇われ、金銭のみを信用し、殺しを生業にする集団、その中で二人は育った。

 物心ついたときには、すでに殺しの技を伝授されていた。刀の扱い方、手入れの仕方から始まり、剣殺陣の術、火薬、薬草知識、生き残る術に文字の読み書き。先ほど弥生に化けていたのも当然、里で教わったものだった。

 幼少より殺しを教えるという事は、当然脱落者も出てくる。稽古に使う刃物はすべて真剣。稽古の最中にいのちを落とすことは日常茶飯事。食事ひとつとって見ても、毎日数種類の毒を混ぜられ、その毒に順応できない子どもは次々に死んでいく。日々の生活に耐えかね、脱走する者もいたが、次の日には死体になって帰ってきた。その死体は、親の家の前に磔にされ、里中の見せしめにされる。子どもを磔にされた親は、自害をするか、もしくは死ぬことが含まれる任務につくのが常だった。

 飄々としている風切も、家の前に子どもを磔にされた。もちろん、自分の子どもではなく、兄弟だったが。その事で、両親は死地に赴き、そして帰ってこなかった。

 その時の気持ちを風切に聞いた事がある。曰く、

「どうでもいい」

 そんな風に答えたのだった。

「どうでもいい」

 そんな答えが返って来た時、ただ「やっぱり」と思った。里では人の生き死にが近すぎて、あるいは遠すぎて、誰が、どう死のうと何も感じないことが一般的になっていた。人を殺すことも、人が死ぬことも。

 そして、ほとんどの場合、親が居なくなったところで、何も困らず生活する事が、里の者にとって当然にもなっていた。

 その事を疑問に思わなかった。そう、里の中に居る時は。

 そして、里の者にとって、まさにいのちを分ける日がやってきた。同世代の子どもをすべて集め、互いに殺し合わせるのだ。期限などなく、ただひたすらに。里の者たちが酒の肴とし、言ってしまえば飽きるまで殺し合わせる。


 蠱毒、と言い毒虫同士を容器に詰め、殺し合わせることで最強の毒を作り出す。その事を人間で行っているのだ。そもそも途中で死ぬことを前提に子作りをしているため、数が多い。才能がある者も居れば無い者も居る。里の強さを純化させ、保つには合理的な方法ではある。それでも、人間相手にそれを行う事が、どれほどのおぞましさかは、語るべくもない。


 そして、その行為は、子どもだけによって行われるのではない。すでに成人したものを無作為に一人、ないし二人紛れ込ませて行う。つまり、世代交代の意味も含んでいる。

 選ばれる大人は、すべてくじ引き。つまり毎年のように参加している不幸者も居れば、成人のきり選ばれぬ者も居る。今回のくじで決まった参加者、それが先代の風切、土蜘蛛だったのだ。

 彼らにとって、名前は名前ではない。いわば称号なのだ。一人前になるための称号。自ら勝ち取った称号。任務中に死ぬこともあるため、全員が全員先代を屠って手に入れた物かは正直怪しいものの、少なくともこの二人は、自分より強い相手から奪い取った、生き永らえた者たちなのだ。

 しかし、土蜘蛛は思う。先代を殺した時の方が楽だったと。同じ釜の飯を食った友を殺す方が、よほど堪えたと。もちろんそんなことは顔に出したことはない。元より口数の少ない方だ。黙っていても何も思われない。と言うより、里の者で、他者に興味を持っている人間はいるのだろうか。

 里の人間は、人を道具としか見ていない。その事を里の外に出て痛感した。潜入任務の一環で、人というものを調べたことがあった。

 家庭、家族、夫婦、子ども。どれ一つとっても里の常識が通用しない。調べた家が特殊なのだと思った。しかし、当然違った。

 親に望まれて産まれ、愛の中で育ち、満たされて成長し、愛を知って、親になる。ただそれだけの事を、自分は知らない。知るよしもない。比較でしか人間は己の位置を知れないなら、こんな比較などしたくなかった。そうであれば、ただの人殺しの人生で悩みもせずに日々を繰り返せたというのに。

 里に帰ってもそんな事は誰にも話さなかった。話せなかった、と言うのが正しいかも知れないが。

 相変わらずやかましい風切の言葉を無視しつつ、黙々と歩き続ける二人。自分の世界に嵌っていたものの、周囲への警戒は怠っていなかった。なので、目の前にある物にもすぐに気付けた。それは風切も同じだったようで、二人同時に足を止める。

 歩いている目の前に、何か大きな物が転がっている。一歩近づいて目を凝らす。先に気付いたのは風切のようだ。突如大声で笑い出す。その声を疎ましく思いつつ、再び目を凝らすと、そこに有ったのは、首の無い死体。それは先ほど風切が吹き飛ばしたマチの死体だった。

「これはこれは痛快じゃないか。狐につままれている気分だ」

「我らはまっすぐ進んでいた。誰かが先回りしてこれを置いたのか」

「常識で考えればそうなのだが。ここは、人を食らう森の中にある村だから」

「意外だな、風。お前が迷信を信じるとは思わなかった」

「何も信じていないさ。すべてを疑っているから、出てくる考えもある」

 土蜘蛛は、曖昧にうなずく。少なくとも分かる事は、自分たちは、誰かに見られている事。そうでなければ死体を運ぶことも、考えたくもないが何かの術に嵌める事も出来ないからだ。

「どうする、蜘蛛よ。二手に分かれて、捜索を続けるか?」

「それも…いや、その前に、客が来たようだ」

 黒煙立ち上るその場所に、走って近づく二つの足音。土蜘蛛は、すでに小太刀を二本とも抜き放っていた。

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