第12話・消えるいのち

 時は轟音が響く少し前に遡る。

 石割を見送ったマチは、晩飯の支度をしていた。晩飯の獲物と取りに行くと豪語した石割だが、その獲得率はおよそ三割。三回に一回程度しか、獲物を持って帰ってこないのだ。そんな可能性にかけていたら、みなが晩飯にありつけなくなってしまう。仮に、きちんと仕事をしてきたら、明日石割にはゆっくり休んでもらえばいい。そんな考えから、黙々と支度を続けるマチ。少し休憩がてら、外の腰掛で休みながら物思いにふける。

(そう言えば、みんな話していたっけ。新しい人が来た、とか。そんな事、今までなかったからな…。刀持ってるとか言ってたし。仲良く、してくれるといいけど)

 その時、竹藪が揺れる。石割が入っていって半時も経っていない。なんだ、もう音を上げたのか、今日は早かったな。そんな事を考えながら竹藪を見ていると、そこから、見慣れぬ男が現れた。

 男は頭巾を被り、背中には籠を背負っている。足元は、地下足袋で固め、不安定な道でも歩けるようにされている。男を見て、マチは凍りつく。そんなことは、お構いなしに、男はしゃべり始めた。

「こんにちは…いやもうそろそろこんばんはの時間なのかな。いや、私は怪しいものではない。と言うのも怪しいものの常套句みたいなものだから、どうしたらいいものかね」

 男はそこまでを一気に話すと、マチの視線などお構いなしにしゃべり続ける。

「ここには、薬草を探しに来たのだが…いいね、のどかで。初めて来たのだが、こんなことなら、もっと早くに来てみるんだった。噂では聞いていたんだよ、良質な薬草が手に入る場所だと。しかしながらね、如何せん森が深いだろう。道に迷ってしまってね。どうしたものかと途方に暮れていたら、なんと開けた場所が見えたものでね。周りを確かめるために来てみたら…お嬢さんにお会いしたという訳さ」

 マチは男を注意深く見ながら、いつでも逃げ出せる準備をする。その事に気付いたのか、男は少しずつ距離を詰めてくる。

「いろいろ、話を聞かせてもらえるとうれしいね。とりあえず、こちらに腰かけて…」

「あんた、どうやってここに来たんだい」

 男は、首をかしげた。しかし、律儀に答える。

「さっきも言ったんだけどね。私は薬草を摘みに…」

「知らないなら教えてあげる。ここは『御魂の村』御魂様の許可がないと入れない。そして、御魂様の許可があったらそんなに物を持ち込めないんだよ」

 そこまで言うとマチは一目散に逃げ出した。男は、柔和だった表情を一瞬で崩し、後を追う。

 弥生が目覚めた時にそうだったように、この村に入るとき、ほとんどの持ち物は無くして目覚める。弥生は刀、散花は扇子。そしてマチは小さな巾着と言った具合に。そのものは、本人にとって、いのちより大切な物しか持ち込めない事も、みんなの話から知っていた。そこに現れた男、頭巾に、籠に、地下足袋。何が大切かなんて、当人にしか分からないから、そのもので判断は出来ない。しかし、「いのちより大切な物」があんなにたくさんあるとは考えられない。マチは、その事で男を侵入者だと見抜いたのだ。

(耳無さんに知らせないと)

 マチは、全力で走って逃げている。しかし、悲しいかな、男と女の差。みるみる距離が縮まっていくのを感じる。後ろを向いて走っていたマチは、前に立っている人に気付かなかった。

「どうしたんだ、お嬢さん。そんなに慌てて」

 マチを受け止めたのは弥生だった。マチは肩で息をしながら、腰にある小太刀を見る。

「あの、すみません。人に追われてて。耳無さんに知らせないと」

 腰に携えた小太刀を見たことで、彼の事を先ほど耳無たちが話していた「新しい人」だと思ったマチは、慌てながらも、協力してもらおうと必死だった。

「そいつはいけない。俺が追い払うから、一緒に耳無さんのところに行こう」

 弥生はマチの肩を掴むと笑顔を見せながら、マチと目を合わせる。次第に息が整ってきたが、マチは彼を見ていると不安が募っていく事を感じていた。

 そこに、男が追いつく。男は弥生を見付けると、露骨に顔を歪め悪態を吐く。

「貴様、どういうつもりだ」

「何って、人助けさ。お嬢さん、若い女が見るものじゃない。少し目を背けててくれないかい」

 そう言うと、弥生は腰に携えた小太刀を抜いた。男はその行為に眉を吊り上げ何も言わない。弥生の指示通り、目を背けていたマチだったが、これから行われる戦いを想像し、止めるために二人を見る。

「やっぱり駄目…え?」

 マチが、振り向いたちょうどその瞬間。弥生の小太刀は、マチの胸に深々と刺さっていた。心の臓を貫かれ、マチが目を下ろす。じんわりと滲む赤。その赤はこの村では見ることのない色だった。

「なんで…」

「だから言っただろう。人助け。ただし、あいつのだがな」

 そこまで言うと弥生は小太刀を抜いた。小太刀に沿って鮮血がマチの胸から噴きあがる。その赤とは対照的にマチの身体は崩れ落ちていく。うつぶせに倒れ、痙攣しているマチになど目もくれず、男は弥生に話しかける。

「礼は言わないぞ、土蜘蛛」

 土蜘蛛と言われた弥生は顔に張り付いた皮膚を剥がす。するとその下からまるで別人の顔が出てくる。目だけがぎょろりと目立つ、その顔に籠を背負った風切は笑いながら話しかける。

「そのまま弥生の顔を張り付けておけば良いものを」

「どうせ、皆殺しなのだ。顔を見られても不都合はあるまい」

 そうだな、とうなずく風切。それだけの言葉を交わすと、二人は走り去った。

 まだ、意識があり、絶対に助からない状態にあるマチは何もできずにいた。

(また、胸なんだね…。でも前の時とは全然違う痛み…。ごめんなさい。結局私は、このまま消えるしかないんだね…)

 最期に、謝りながら意識を無くすマチ。手には巾着が握り締められていた。

その時に鈴の音が鳴り響く。白い着物、長い髪、整った目鼻立ちに、薄い唇。竹藪の中から現れた命は、マチの傍らに屈むと、静かに手を合わせた。

「愛しき人を待ち続け、いのちを捧げた哀れな子。今も仮初のいのちを無為に無くそうとしている。…そう、そうなのね。あなたがあなたでなくなったとしても、周りの者を想うと言うのね。いいわ、あなたに戦う力を上げましょう。二度と会えない、彼をこの場に呼ぶために」

 鈴の音が響く。そして、命はマチに目を合わせる。胸を貫かれ、完全に動きを止めていたマチの腕が土を押さえる。両の手を支えに立ち上がると、マチは天を仰ぎ見る。その目は空亡で、何も映っていない。それはおろか、マチの身体は上から糸で吊るされたようにどこかぎこちない。

 命は、マチを生き返らせた訳ではなかった。そんな事が出来るのであれば、今までにやっている。命が施したのは、いわば戦う人形としてマチの身体を使っているだけだった。

「行きなさい。あの二人は空間に閉じ込めた。あなたでも、充分に足止めができるはず。

 命の言葉に、マチだったものは、奇声を上げながら走っていく。その後ろ姿を見る命の目に、一筋の雫が流れていたことは誰も知る由もなかった。

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