第11話・「信じたかった」

弥生の問いかけに、散花は目を細めた。

「どういう意味だい」

「どうもこうも、そのままの意味だよ。「力」の事は置いておくとして、ここに住んでる人間、何人だ…四人か」

 弥生は自分の会った人間を指折り数える。実際はマチもいるのだが、彼女を入れても、ここには五人しかいない。

「まして、標とか言ったか。あの餓鬼の親は?どう見てもあんたらの中には居そうにない」

 弥生の言葉を、散花は黙って聞いている。

「俺が出られないこともそうだ。なんて言うか、ここは、普通のところから切り離されている。そんな風に感じるんだが」

 弥生の言葉に、散花はあいまいにうなずくと答える。

「そうだね…。あんたがここに居れば嫌でもわかるさ。嫌でも、ね」

 その時の散花の顔は、隠し事をしている風ではなかった。それはとても言いにくいことを考えているような。もしくは散花自身も答えの知らない事を説明しようとしている風な、そんな感じだった。

 そして、弥生は覚悟していた「力」が飛んでこない事に安堵する。

「意外だな。こんなこと聞いたら無理矢理口を塞いでくると思ってた。例の「力」で」

 散花は、きょとんとした表情になる。まるで、弥生が何を言ったか理解していないように。数瞬考えるしぐさを見せると、納得したように手を打った。

「あぁ、そう言う事ね。使わないよ、あたし返り討ちにあいたくないもの」

「「力」の逆流…だっけか」

 散花の力は、相手の意思とそぐわない場合、「力」そのものが散花に返ってきてしまう。そんな説明を思い出しながら、指摘する。しかし散花は静かに首を横に振った。

「「力」とか、そんな話じゃなくてね。仮の話、あたしを仕留めようと思ったら、刀なんかいらない、そんな気がするんだけど」

 散花の言葉に、弥生は舌を巻く。別段隠そうと思っていたわけではないが、自分の力を見せびらかしたわけではない。石割との小競り合いだって、相手が圧倒的に弱かっただけの話だ。

 自分の実力を見抜かれた迂闊さからか、弥生は肯定も否定もせず、先ほどの行動を非難する。

「…そんな人間にかんざし突きたてるかね」

「どうせ、あの状態からでもなんてことはなかったんだろう。あたしから言わせれば、ここに、素直に付いてきている事が意外だよ」

「さぁな、なんでだろうな」

 これ以上、自分の内面を見透かされたくないからか、また作業に戻る弥生。事実、かんざしはおろか、小刀を突き付けられたところで何の影響もない。命に貰った「体を堅くする」事の効き目が、まだ続いているからだ。曲がりなりにも訓練を重ねていた人間の、急所を狙った一撃を受け、無傷だった弥生が、不意を突かれたとはいえ女の、しかもかんざしではいのちはおろか、かすり傷ひとつ弥生に負わせることなどできなかっただろう。

 そんな事を知らない散花は、弥生に向けて茶々を入れた。

「女も知らない子どもが、突っ張んないの」

 散花の言葉に、みるみる顔を赤く染める弥生。反射的に刀を抜こうと柄を引くも、刀は一本の棒のようにくっついており、無理に引き抜こうとした弥生の手を痺れさせるだけの結果になった。

「…何故、それを」

「なんだ、当たりなのかい。うぶだねぇ」

 弥生の反応に、散花はにやにやと笑っている。刀が抜けなくても、鞘で殴ることは出来る。そんな事を考えながら、無視を決めた。しかし、散花は、畑にいる弥生に後ろから近付くと、耳元に吐息交じりでこう言った。

「なんだったら、日が落ちてから相手をしてあげようか…?」

 背中に悪寒が走るのを感じる弥生は、散花を睨みつけながら言い返す。

「俺は、その手の冗談が一番嫌いなんだ」

「ごめんね。気に障ったなら謝るよ」

 全く悪びれる様子の無い散花に、弥生はため息を吐いた。

「なんでわかったんだ」

 女を経験していない事だけじゃなく、その他も含めての質問だった。その問いに散花は、笑いながら返す。

「なんてことはない。見慣れてるだけ。あたし、花を売っていたから」

 さばさばと言う事でもないだろうに、弥生は思わず口に出しそうになった。そんな弥生の表情を見て取ったのか、散花は手をひらひらと振りながら笑顔で言葉を続けた。

「別に気にしなくていいよ。隠してないし、みんな知ってる。で、その時あんたみたいなのが、たくさんいたのさ。口が達者な農民上がり。弱い自分を隠すことが精いっぱいの小物をね」

 散花が商売をしていた時には本当にいろんな人間に会った。無論、望んで始めたことではなく、幼いころ口減らしのために親から売られ、年齢が上がれば商品になった。


親を恨んでも仕方がなかった。恨まなかったか、と聞かれれば、当然恨み言が出てきた。しかし、周囲の人間はみな似たり寄ったりで、お互い励まし合っているところを見ると、どうせ会えない親の事を考えても仕方がなかった。簡単に言うと、割り切るしかないから、割り切った。ただ、それだけの事だった。

立場は無いに等しかったが、「大事な商品」を粗末に扱うことはしない宿だったことが幸いした。二度のご飯はちゃんと上がれる。乱暴を働く客はきちんと断る。給金は、少ないながらも支払われる。極楽とは言わないまでも、高望みをしなければ何の不都合もなかった。

無論、最初から受け入れていた訳ではない。「商品」になることは拒んだし、抵抗もした。だが、物心つくころからその宿に居て、年を重ねるにつれ、自分の人生の落ち処は、半分理解していた。好きな人間に抱いてもらえない、という悲しみはなかった。何故なら好きな人間が居たことが無かったからだ。


「弱い犬ほどよく吠えるって、本当だね。大物ほど、物静かだった」

 今となっては懐かしい思い出に浸りながら、何の気なしに口にした言葉だったが、弥生は自分に向けられたと思ったのだろう。仏頂面になるとそのまま背を向けた。

「悪かったな、弱い犬で」

 弥生が文句を言ったが、意識はまだ昔に居た。そのせいだろうか。言葉に反応して本音をこぼしてしまう。

「自覚があるなら、直せばいい。そうじゃなきゃ誰からも相手にされなくなるよ」

 「あたしみたいにさ」そう続く言葉は口の中で転がした。そこで弥生に目を向けると、真剣な眼差しでこちらを見つめている。

「まさか、土いじりしながら説教されると思わなかった」

 弥生の言葉から嫌がっている様子はない。笑いながら言葉を続ける。

「説教が、坊主の特権って訳じゃないし。ここには仏もいないし」

 散花の言葉の途中、弥生は隣に腰を下ろした。同じ目線。同じ方向を眺めながら散花に尋ねる。

「なぁ、なんでここに居るんだ」

「さぁ、みんなそれぞれの理由でいるんだろうね。…あんたはなんでここに居るんだい」

 散花の問いかけに、弥生は即答する。

「なんでって。あの餓鬼が怪我してる俺を拾って来ただけだろう。それ以外の理由なんて」

 散花は眉間を押さえるように考え込んでいる。言葉を選んでいるように、どんな質問をすれば正しい答えが返って来るのか考えているようだった。意を決したように、改めて弥生に尋ねる。

「ここに来る前、後悔とかしてなかったかい。あるいは、生き方に迷ってたりとか」

 核心、と言えば核心なのだろうが、その質問のおかげでさらに真意が分からなくなる。後悔しない人間などいるのだろうか。自分の生き方を一心不乱に貫ける人間も。弥生は遠くの空を眺める。そう言えば、なんでここに居るんだっけ。

「信じていたかった、からかな」

「え?」

「ここに居る理由」

 思えば、上役を斬り、身内に追われ、いのちからがら逃げたことが、ここに居る理由なのだとしたら、それは「信じていたかった」以外の理由はなかった。

 村を襲われ、凪と二人で彷徨い、二人とも人を殺めてしまってから、二人は自らの意思で手を汚す事を決めた。どちらから言い出したことでは無い。二人とも、自然と足が動いていたのだ。

 手を汚すと言っても、罪のない人間を殺すつもりは無かった。それでは自分たちの村を襲った連中と同じ身分に堕ちる事になる。それだけは避けたかった。となると、道は一つ。人を襲う悪辣な輩を殺す側に回ること。そう決意したのだった。

 身分の差はあるにしろ時世が時世、雑草を抜く手は多い方がよく、腕さえ立てばいくらでも招き入れてくれた。ろくに素性も調べずに招き入れるものだから、野党などが動きを探るためにわざと志願する、いわゆる密偵のようなものも多くいた。当然、二人も疑われた。女連れで、しかも女も志願者だと来れば、疑わない方がどうかしている。あわや拷問…という流れになったが、二人が持っていた脇差が疑いを解いた。

 二人を襲い、返り討ちにした野党、彼らはここを逃げ出し賞金のかけられた者たちだった。幸運にも弥生は彼らの脇差を奪い、護身用として持ち歩いていたのだったが、その脇差が、この場所から持ちだしたものと判明すると身内の恥を討伐してくれたという事で、すんなりと部隊に加わることを許された。

 部隊に入ってからの日々は、語ることは多くない。血で血を洗うとはよく言ったもので、本当に毎日血にまみれて過ごす事になった。近くに賞金首が居ると分かれば討って出る。もし何も話が無ければ訓練する。最初は二人とも夜は泣いていた。一人一人に部屋などあるわけもなく、大人数での雑魚寝だったため、二人で、静かに。

 そして、凪は夜すらゆっくり休むことは出来なかったはずだ。男しかいないところだ。当然、凪は性の対象として見られた。が、そんな事に首を縦に振る凪ではない。夜伽相手に言い寄った男たちは、ことごとく陰部を切り取られる騒ぎになったため、言い寄るものは減ったが、その度に弥生と寝られぬ夜を過ごした。

 お互い、才覚が有ったのだろう。訓練と実践を重ねれば重ねるほど、腕が磨かれていった。実際、毎日のように味方も死んでいく中、生き残れているだけで幸運なことなのだと考えていた。

 背中を預けられるのは弥生にとって凪だけだった。それは凪も同じだったと思っていた。いつの時からか、凪は変わった。人殺しの業を背負いながら、よく笑い、よく話した。夜、泣いている時もあったが、そばにいる時もあれば、そっとしておく時もあった。

 しかし、凪は変わった。表情は消え、目はぼんやりと周囲を見るのみ。特に弥生を見る目が、友人に対するそれではなくなった。

「親友がいるんだ。同じ村で生まれて、ずっと一緒に育った。何にもない村だったけど、あいつといると、楽しかった。でも、そんな幸せも長くは続かない。村は野党に襲われて、いのちからがら逃げ出した」

 長く考え込んでいて突然話し出した弥生に、散花は何も言わずにうなずく。

「戻ったら、みんな死んでいた。二日がかりで埋めたよ。二人で、泣きながらね。その時、二人で誓ったんだ。何があっても生きようって。どんなことしてでも生きようって。…でも、どこかで狂っちまった。それでも俺はあいつを信じたかった。だから、目をつぶった。自分の都合の悪いものを見なければ、まだ繋がっていると思ったから。結果、俺はあいつにいのちを狙われてる。奴の嘘を信じてな」

 弥生は、将軍を斬る時、本当は知っていた。将軍を斬ることで、自分が追われることを。それでも、自分と凪は付いて来てくれると、一緒に居てくれると思い、斬り伏せた。その事を笑う人間はいると思う。むしろ笑う人間が大多数だろう。でも、それでも弥生は信じたかったのだ。たった一人の親友を。

「それ、信じてるんじゃなくて、見てないだけだよ。友達、なんだろ。殴ってやれるの、あんただけなんじゃないのかい」

 散花は、静かに言った。弥生は振り向きながら散花を見る。その顔は、笑顔だった。

「そうだよな。殴ってやらないとな」

 その時、竹藪の近くから、爆音が響く。明らかに火薬がさく裂した時の轟音。二人は目を見合わせると、竹藪方向に目をやった。次第と黒煙が上がる。その事を見て真っ先に飛び出す散花。

「おい、どうした」

 弥生の言葉に足を止め、振り返りながら叫ぶ。

「この村に火薬は無い。だとしたら、考えたくはないけど…侵入者だよ」

 それだけ言うと返事も待たずに走り出す。弥生も後を追いかける。

 水田が急速に乾いていく事に、二人は気付いていなかった。

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