第10話・茶屋と畑と
「おーい、マチー。いるのかー」
竹藪の脇、マチの家の前で、大声でわめき散らしている石割。森の入る前の腹ごしらえにと立ち寄ってみたものの、なかなかマチが出てこない。行動はゆったりとしている石割だが、気はそれほど長くないようだ。
「マチー、いないのかー。いないなら、返事しろー」
昔からよく使われる理不尽な要求を、素でするあたり、石割は焦れているようだった。というより、苛立っている様子だ。
原因はもちろん、マチに対してではなく、弥生に対してであるのだが。
「しかし、草薙の野郎、散花と二人きりだと…。何か間違えがあったらどうするつもりだ。あの刀を使って、散花を良いように…駄目だ、今から散花を助けに…」
石割が、今にも飛び出して行きかけた、ちょうどその時、家の中から、顔を赤く染めたマチが出てくる。
「おう、マチ。急いで握り飯でも拵えてくれ。今から散花を助けるために…」
石割の言葉を聞かず、マチは手に持っているお盆を思い切り石割の頭に叩きつけた。
幸いにして、お盆は割れることなくマチの手の中に納まっているものの、いきなり鈍器で殴られた石割はたまったものではない。
「痛ぇな、何しやがるんだ」
当然の石割の抗議を、マチは笑顔で無視し、質問をする。
「石割、いきなり人に尋ねられて、一番困ることってなんだと思う?」
石割は、その場で首をかしげた。マチは笑顔のまま、再びお盆を振り上げる。
「それはね。厠に行ってて出られないのに、相手が騒ぎ続けてる時よ」
遠慮なく降り注ぐお盆の乱打に、さすがの石割も悲鳴を上げる。
「痛っ。悪かったって。今度来るときは厠にいない事確認するから」
「石割、最低」
墓穴…というより火に油を注ぐ結果になった石割は、先ほどより激しいお盆の滅多打ちを味わうことになった。
「石割はっ、なんでっ、気遣いが出来ないのっ。そんなだからっ、散花に振り向いてもらえないのよっ。」
最後の一撃は、身体ごと一回転したお盆が、顎にまともに入り、石割はその場に崩れ落ちた。マチは肩で息をしながら身なりを整える。その時、懐にしまい、首から下げていた小さな巾着が目に入る。マチは柔らかく握ると、目を閉じると、祈るように胸に捧げた。
「まだ持ってたのか」
石割は、巾着を捧げ持つマチを見ながら眉をひそめた。先ほどまでのふざけた様子はまるで無く、本当にマチの事を案じているような声色だった。
「大きなお世話」
拗ねるように聞こえるマチの言葉に、石割は上体だけ起こしてため息を吐く。
「そうかもしれないけどよ。いくら待ってもやつはここには来ない。そうだとしたら、待つだけ無駄じゃないのか」
「そうだよ。ここには来ない。だから待っちゃいけない、なんて事はないでしょ」
マチの表情こそ笑顔だったが、悲しみは痛いほど石割には伝わる。人の色恋に疎い石割ではあったが、知人の色恋なら話は別だった。
「…ま、俺がとやかく言う事じゃなかったな」
そんな事を言いながら、その場を立ち去ろうとする石割。
「石割、握り飯は?今から作るけど」
「いらねぇ。今のマチに作ってもらうと、しょっぱくなりそうだから」
石割は、そのまま竹藪に進んで行く。一人取り残されたマチは、巾着を握りしめながらつぶやいた。
「来ない事なんて、分かってるよ…。寂しいなんて気持ちすら、持っちゃ駄目なこともさ…」
マチのこぼす涙を受け、巾着が滲んでいく。そのことを見ている人間は誰もいなかった。
*
散花に道案内された弥生は、畑にいた。正確に言うと畑と畑の間にある、荒れ果てた土地だったが。目の前にある土地は雑草が伸び放題。それどころか土は堅く、大小多くの石が転がっており、作物を育てられる場所には到底見えなかった。
「さ、草薙。あんたの畑だ。ここを綺麗にするのがあんたの仕事」
「これは嫌がらせか何かか。周りの場所はあんなに綺麗なのに、なんでわざわざこんな荒れた場所を耕さなきゃならないんだよ」
弥生の言葉に、散花は何やら納得したようにうなずいた。
「あんた、これまで大変な人生歩んできたんだね」
いきなり脈絡のない感想を言われた弥生は、どう答えたらいいか分からず、首をかしげている。そんな弥生に、散花はしみじみと諭す。
「あんたも、そのうち分かるよ。この村に居れば嫌でも…ってどこ行くのさ」
言葉の途中で帰ろうとする弥生を呼び止める。
「だから、村に居たくないんだっての。どうにか出る方法がわかるまで、家でのんびりしてるよ」
「食べ物もないのにどうやって過ごすんだい」
「ひと月くらい、ゆっくり過ごせる金は持ってる」
「それなら、結局ここに戻って来るねぇ」
弥生はぴたりと足を止めた。散花は、言葉を続ける。
「この村じゃお金なんか欲しがる人間は誰もいない。物々交換で成り立ってるんでね。だから、自分の畑作らなきゃ、ひもじい思いをするだけだろうね」
弥生は、くるりと振り向くと散花に詰め寄る。
「そんな冗談みたいなことがあるのか、今の時世に物々交換?」
弥生の言葉に、散花はからからと笑う。
「今更この村でそんな事言いなさんな。常識が通用しない事なんて、もうわかってるだろう」
弥生は、思い当たる節が有りすぎて、顔を引きつらせる。そんな中、目に映るのは自分に割り振られた土地と周りの土地との落差。
見回すと花が咲いている畑、水を張った水田。薬草の生えた土地に、作物は植わっていないが、きちんと均してある畝など、様々だった。
散花は畑を見回している弥生に追い打ちをかけるようにこう言った。
「森に入れるなら、話は別だけど…。あんた、確か森に入ると戻ってきちゃうんだよね」
散花の言葉に、弥生は肩を震わせながら、がなり声を上げる。
「あー、もう。わかったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」
「初めから、そうしてればいいんだよ」
弥生は言うが早い、荒れ地の整えにかかる。手近にあった石を投げ、草をむしる。土を触るのは後回しにして、とにかく、石ころと雑草を手際よく片づけていく。黙々と、淡々と。額の汗を拭い、引き抜いた草をまとめておく。ある程度雑草がたまったら今度は石をまとめる。
これだけ荒れているのであれば、焼いてしまった方が早い。その時、石ばかりあっては炎の勢いを弱めてしまう。なので、石を全部退けてから、先ほど集めた雑草を乾燥させ、火を放つ。今日中に形にする事は出来ないが、すぐにこの村から出る方法が見つかるわけでもないことは重々承知している。だとしたら、確実な方法を選んだ方がいい。
弥生が土地を均す手際の良さに舌を巻きながら、散花は声をかけた。
「ずいぶん手慣れてるじゃないか、そろそろ一休みしたらどうだい。ほれ、こっちに来な」
散花は持っていた竹筒と、木の皮で包んだ握り飯を取り出すと、手招きをした。しかし弥生は、動かす手を止めることなく、散花に答えた。
「別にいいさ。それに持ち合わせがなくてね」
「良いんだよ。これはあたしの気持ち。あげる側が納得してるんだ、遠慮なく受け取りな」
そう言うと、握り飯を一つ手に取り、弥生に向けて差し出す。弥生は散花の顔を見ると、手の汚れを服で拭い、握り飯を受け取る。そして、じっと見つめながら散花に問いかける。
「…嫌に気前が良いじゃないか。何か入ってるんじゃないのか」
そう言うと、匂いを嗅いで露骨に疑ってかかる。そんな様子を見ると握り飯を奪った散花は、豪快にかぶりついた。
「これで安心かい。そうやって他人様を疑ってかかるのは良いけどさ、疲れないかい、そんな考え方」
散花の指摘に、心が乱れるのを感じる弥生。「こんなのんびりした生き方してるやつらに何がわかる」喉元まで登ってきたが、口には出なかった。
「そうだな」
軽く微笑みながら、散花の言葉にうなずく弥生。その反応に散花は目を白黒させた。今までのとげとげしい言動とはかけ離れていたためだった。
弥生には黙っていたが、今弥生が均している土地、実は散花が用意したものではなく、昨晩突然現れた土地なのだ。
土地だけじゃない。弥生が使っている家も、弥生がこの村に入った瞬間にいきなり現れたもので、それは、使う人間の心を表すものだった。
畑を例にあげるなら、花畑は散花、水田はマチ。薬草畑が耳無で、畝のみの畑が石割の均した場所だった。育てている作物も、本人たちが決めたわけではない。それ以外の物が、その畑では育たないのだ。
なので、弥生の畑を見た時、散花は納得していた。その土地の荒れ方が、本人の性格を物語ることを知っていたからだ。
握り飯を食べると、弥生はすぐに畑に戻る。
「別にそんな急がなくて良いんじゃないの。もっとゆっくりしてもさ」
「土いじりをしてると昔を思い出して、気分がいいんだ」
心の状態を表す畑、本人しか手入れが出来ないのだが、こんなにもすぐに効果が表れるとは、散花も考えてなかった。その様子をぼんやりと眺めていると、弥生の方から散花に話しかける。
「まだ、そこにいるのか」
「え?」
「監視、なんだろ。もう暴れるつもりないから、戻ってくれて構わないぞ」
散花は弥生の言葉に、吹き出してしまう。そのことで弥生は気分を害したようで、また作業に戻る。ひとしきり笑ったところで、散花は弥生に詫びを入れた。
「ごめんごめん。でもそんな風に考えてるなんて可笑しくて」
「言ってろ。聞いていいか」
「なんだい、改まって」
弥生は、手を止めると散花に向き直り、問いかける。
「この村…いや、違うな。ここは、村なのか」
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