第9話・会合
陣内にて報告を待つ凪は焦れていた。それというのも夜が明けてから半日がかりで報告を待っているにも関わらず、未だに誰一人として有力な情報を持ち帰らないからだ。
森の周囲をぐるりと一周するのにかかる時間は、せいぜい日中をすべて使う程度。そのような小さな森を、三十人を越える人数で探しているにも関わらず、弥生の痕跡一つ見つけられない事に苛立ちを隠せずにいた。
苛立っている理由はそれだけではない。この森、「御魂の森」の近くにいると、なぜか頭が痛むのだ。体調不良のそれとは違い、頭を中身から掻き毟られるような痛み。この場所に居てはいけないと、凪の心が訴えているような痛みだった。
そんな事など、気に掛ける事はなかった。ここで弥生の首を持ち帰らなければ、斬られてしまうのは凪とて同じ事。温情など望めまい。凪と弥生が同じ村出身だという事は、皆が知っている事。別段隠してこなかった。
しかし、今この状況に置いて、弥生を取り逃がしたとあれば、旧知である村の友人を助けるため、わざと逃がしたとあらぬ疑いがかかることは必至だった。凪にとってそれだけは避けなければならない。
(ここまで、どれだけの事を費やしてきたのか。女だてら今の地位に登りつめるまで、どれだけの事を…)
村が襲われ、命からがら逃げだした直後は、二人とも平穏を望んだ。幼い男女だ。畑を耕し、作物を育てれば貧しいながらも平穏が手に入ると考えた。しかし、現実は甘くなかった。
隣村を尋ねるも、家はおろか、土地を貸してくれる者は誰一人いなかった。当然だ。凪たちの村が襲われたことは偶然。明日は自分の村が襲われるかも知れないご時世。そんな時によそ者に構っている暇なんてない。もし招き入れたよそ者から寝首でも掻かれるような事になっては笑いごとにもならない。事実、弥生や凪の親も同じ理由でよそ者を追い立てたことが一度や二度ではない。
そう言ったことを繰り返しているうちに野党が増え、襲われ、潰される村がいくつもでき、そのたびに家を失う人間が出て、野党が増えるという悪循環になっていることに誰も気付いていないのだが。
住まう土地を探しながら各地を転々とする二人。最初は木の実や野草などで飢えをしのぎ、雨水で喉を潤していた。夜はなるべく人里に近い所で火を起こし、交互に休みながら不安な夜を過ごした。
日々渡り歩き、それでも住まう土地など見つからず、野党に怯えながら野宿する。そんな日々を送っていき、徐々に消耗していくことを二人は自覚していた。
最初は、村人が寝静まった頃に穀物庫に忍び込み、必要な食べ物をくすねて持ち帰るだけだった。どうせ、住まうことを断られた村だ。二人分くらい食べ物が消えていても気付くころには遠くにいる。幸いなことに一度、二度と見つからずに済んだ。そのことで調子に乗った二人は警戒をせずに盗みに入った。すると、そこには、先に入り込んだ二人の男が居た。弥生たちはすぐさま逃げ出した。しかし相手は大人、すぐに追いつかれた。森の中で二人は捕まり、弥生は袋叩きにあった。刀を携えていたため、殺されなかったのは幸いだったのかも知れない。
弥生が動けなくなったところで、二人の標的は凪に移った。泣きながら後ずさる、凪。一人の男が、凪の腕を抱え、もう一人が服を剥いだ。あらわになる胸に叫び声を上げようとするも、一人の男が刀を抜き、ちらつかせる。「黙っていろ」目がそう言っていた。声を出せずに首を縦に細かく振る凪。男が胸にむしゃぶりついてきた。その時の嫌悪感は今でも思い出す時がある。その姿を見て、もうひとりの男が興奮したのか、横から割り込んでくる。勢いよく突き飛ばされた男は、握っていた刀を取りこぼしてしまう。
刀の落ちる鍔鳴りの音が響いたかと思うと、倒れていた弥生が立ち上がり、刀をいち早く拾ったかと思うと、男の身体を貫いていた。愚劣な喚き声を上げながら倒れていく男。相方の突然の叫び声に慌てふためく目の前の男。凪の目の前には、一本の脇差。凪はためらうことなく脇差を抜くと、喉をばっさりと切り裂いた。顔には、生暖かい鮮血が降り注いできた。
二人の男が動かなくなったとき、弥生と凪は泣きながら抱き合っていた。
「捜索隊、戻りました」
甲高い声に、現実に戻ってくる。どうやら、うっすらと眠っていたような何とも夢見の悪い気分になる。気を取り直し、報告を受ける。
「捜索隊、続々帰還するも弥生の発見には」
「いらん」
「…は?」
報告を途中で遮られた兵は、間の抜けた声で聞き返す。その声にも、自分の望む報告が得られない状況にも、そして、そんなことで心を乱している自分自身にも苛立ちが募っていく。
「弥生を、見つけた。それ以外、報告はいらん」
「承知いたしました。ですが、これだけはお耳に入れておきます。捜索隊が口をそろえて、この森はおかしい、と。これだけ明るいにも関わらず、いつの間にか同じ場所を彷徨っているようだと…」
兵をじろりと睨みつけると兵は頭をさらに深くした。
「俺の言葉が聞こえなかったのか。…飾りの耳はいらないな」
「す、すぐに報告を上げさせます」
脱兎のごとく走り去る兵に対して、さらに苛立ちを募らせた。彼に対してと言うより、むしろ夢見の悪さに原因のある苛立ちに、当たり所を見付けられずにいた。相変わらず、頭痛の引く気配はなく、頭を抑え込む。
「ままならんな…しかし、妙な事を言っていたな。いつの間にか、同じ場所を彷徨っているだと、馬鹿馬鹿しい」
「本当ね、こんなに明るいのに化かされているのかしら」
気配は、なかった。頭痛に気を取られていることを差し引いても、こんなに容易に後ろを取る相手。わざと振り向かず後ろにいる存在に話しかける。
「これはこれは、こんなところに客なんて珍しい。出迎えず、すまなかったな」
「私の事を迎えてくれるの?そんなこと今までされた事なかったのに」
くすくすと笑い声が聞こえる。ゆっくりと振り返ると、そこには白い着物の女が立っていた。見慣れぬ女に睨みをつけた。
「てっきり物の怪の類かと思ったら見目麗しい女人だとはな、驚いた」
「あら、あなたも綺麗よ。身の丈に合わない事をけなげにして生きている。儚くも美しいわね」
女は涼しげな笑みを浮かべながら語る。頭痛は更に増していき、苛立ちは殺意に変わっていく。
「俺は今機嫌が悪いんだ。このままここに居続けるなら女と言えど、容赦はしない」
「ねぇ、知っている?そんな言葉は、弱い者が使うという事に」
もはや、刀を抜くことを躊躇わなかった。目にも留まらぬ抜刀に、普通であればその一太刀で決まる。しかし女は、刀を抜くことをあらかじめ知っていたかのように、後ろに一歩下がっただけで難なく躱す。
「俺が弱いかどうか試してみようじゃないか」
自身の抜刀が躱されたことに衝撃を受けつつも、追撃に入る。甘めの袈裟切りからの足払い。女はさらに後ろに下がるも、身体の重心が乱れている。そこにすかさず刀を返し、斬り上げる。女はしゃがんで刀を避けると、前に進みこちらに近づく。
「試してみたらどう?」
女は顔を目の前に近づけ、囁く。それに対し伸ばしている腕を曲げ、柄頭を女に叩きつけようとする。しかしそのまま歩を進め、あっさりと躱す。背中を向けている女に突きを放つも、舞を舞うように回りながら刀を避けた。突きの体勢から刀を腰だめに持っていく。胴の準備動作。回転が止まり、女と目が合った。その瞬間に胴打ちを放った。確実に捉えた胴は躱す暇もなく吸い寄せられるかのように女の身体に向かい走っていく。
結果、女の身体に刃は当たった。しかし望む形ではなく、指二本で真剣の刃を止められていた。刃筋は立っている、斬れない訳がない。しかし目の前の現実としてたった指二本で振るった刃は止まっているのだ。
女は刃を軽く押した。その勢いで身体は一回転する。着物をはためかせながら睨みつける。露骨にため息をこぼし、こちらをぼんやりと見つめている。
「あなた、これで本気なの?そうなのだとしたら、私の見込み違いだったみたいね」
それだけ言うと、背中を向けゆっくりと歩きはじめる。
「逃げるのか」
「逃げる?自分より、弱い相手から?」
首だけをこちらに向け、わざとらしい笑みを見せる。先ほどから露骨に行う挑発が勘に障る。ひどくなる頭痛と苛立ちがますます膨らんでいく。
「言うじゃないか」
「本当に私を殺したいのであれば、この森の中…『御魂の村』で会いましょう」
女は去り際、腕を振り下ろした。
鳴り響く、鈴の音。鈴の音を聞くと膝から崩れ落ちうなだれた。そして、喉の奥から漏れ出る声を抑えることができなかった。
「くくく…ははは。思い出したよ、命様。そうか、ここはそういう事だったのか」
唐突に理解する。頭痛の訳、見つからない弥生。命の目的は分からないが、この森に村があると言っていた。そうなると、つまりは。
「柊」
怒声にも似た叫び声を上げる。声を聞き、飛んできて即座に跪く柊にこう告げた。
「二年前に襲撃した村、皆殺しにしたはずだったな」
「は。村を囲い、誰一人として逃がしませんでした」
柊は、唇を噛み締めながら答えた。自分の記憶とも相違はなかった。続けた言葉に柊は目を見開く。
「だとしたら、何故村の生き残りがいる」
「なんですって」
「命が、あの村の鬼姫が生き残っていたんだよ」
凪の言葉に自分の耳を疑った。凪は、今確かに「命」と口走った。しかも、生き残っているとも。自然、胸元に下げた巾着に手が伸びる。命が生きているなら、もしかしたら。胸に淡い期待が浮かぶ。
「まぁ、良い。亡霊狩りをする。捜索隊をすべて呼び戻し…」
「お待ち下さい」
凪の言葉の最中、思わず言葉を遮ってしまう。その言葉に、凪は躊躇なく刀の切っ先を面前に向けた。自分を落ち着かせるために巾着を握りしめ言葉を続けた。
「このような怪しき噂のある地で亡霊狩りなど、将軍様の正気を疑われます。ここは、私にお任せ頂けないでしょうか」
巾着を強く握りすぎた拳から、血が滴り落ちていた。凪は何も言わない。
しばらく黙していると刀を納めた。
そのことで、凪の了承が得られたのだろう。黙って頭を下げた。
「貴様より、適任がいる。風切、土蜘蛛」
『ここに』
呼ばれた二人は、姿を見せずに、声だけが響く。そのことに驚く様子もなく、凪は言葉を続けた。
「白い着物の女が森の中に逃げた。この中に村があると言っていた。弥生もいるはずだ。二人は生かして連れて来い。それ以外の者を見付けたら、殺せ」
凪の言葉に感情を抑えながら顔を上げた。取り繕えている気はしていなかった。凪は私を見据え、視線を交わらせる。ほんの数瞬ではあった。凪は、何も言わずにその場を去っていった。
口の中に何かある。吐き出してみると欠けた歯だった。どうやら噛み締めすぎて折れたらしい。呼吸を整えながら立ち上がり、膝に付いた土を払った。そして、正面に顔を上げると、先ほどまでいなかった人間が二人、目の前に立っていた。
覆面で顔を隠しているため、性別は分からない。しかし自分より手練れだという事を肌で感じ取った。おそらく、風切、土蜘蛛、その二人であろう。
しかし二人の素性などどうでもよかった。二人の脇を抜け、その場を発とうとした時、並んで背の低い人物から声をかけられる。
「貴殿は、何故あの女に従っている」
「忠誠心、そんなものがあるようには見えないな」
「見えるのは、ただの恐怖」
二人の声色から、おそらく男なのだろうとわかった。二人の身長と声色が連動し、共鳴している。二人の質問を無視して進もうとするが、左から右から二人がかりで進むことを阻んでくる。
『一体、何に怯えている』
「…貴様らのような流れ者に、何がわかる」
黙って去るつもりだった。しかし、出来なかった。二人が自分の事情を知らないのは当たり前だ。言葉を交わすのもこれが最初、そんな相手が今の心情など、分かるはずもない。
今行われている、弥生討伐。先の将軍を殺し、そのことで弥生は追われる立場となった。死体を改めたのは柊で、その場に返り血を浴びた弥生が立っていた。彼が殺した事実は疑いようがない。ただ、それが弥生の裏切ったことに直結するわけではない。なぜなら、将軍を殺したとき、誰が得をしたのか。…凪だ。
二人の実力は並び立っており、次の部隊を束ねる立場として真っ先に名が挙がるのが、弥生だった。弥生同等に腕の立つにもかかわらず凪の名が上がらない理由は、単純に「女だから」という理由以外になかった。その事を、凪は承知していた。そして、弥生が上に付いたら、凪は部隊から外されるという噂もあった。
そんな折に起こった、「弥生が謀反を起こし、将軍暗殺」そのことが凪の謀だという事など、すでに承知していた。
「こんな時世で、大切な者を裏切ってまで拾ったいのちだ。俺は、生き残るためなら何でもやるさ」
無意識に巾着を握りしめていた。土蜘蛛は、その握り拳から目を離せずにいる。拳を開くと、中から血の滲んだ巾着が出てくる。もはや二人の事など何も目に入らずまっすぐ見据えて進んで行った。
背の高い男、風切は覆面の下で笑い声をあげる。「なるほどね」と嘲りながら、姿を消した。対する、土蜘蛛は。
「…いのち、か」
それだけつぶやくと、風切の後を追い、その場から立ち去った
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