第8話・耳無の力

驚きのあまり声も出せない石割を余所に、淡々と言葉を発する。

「出れないんだよ。森を抜けようとしても、どうしても同じ場所に戻ってくる」

「お前、森の奥に入ったのか。それで、何ともないのか」

「何言ってる。この通り、元の場所に戻ってる。これが何ともない事なのか」

 先ほどまでの驚き振りから打って変わって、石割は真剣な表情で頭を抱える。

「正面から戻って来るならわかる。消えたくないからな。でも、なんで後ろから出て来れるんだ…」

 弥生のことなどまるで気にしていないように、一人の世界に入り込む石割の胸倉を、弥生は掴んで引き寄せる。

「ここは、俺の居場所が無いんだってな。出られもしない、居場所もない。だったら、どうやって生きていけばいいんだよ」

 胸倉を掴んだ、弥生のこぶしがかすかに震えている。目は相変わらず沈んでいた。

「あんたたち、何やってんだい」

 その時、二人の間に割って入る散花の声が響く。散花の後ろから、耳無と標もついてきている。三人を目に写すと弥生は掴んでいた手を開く。石割は、その場で尻餅をついた。

「あーぁ、結局返り討ちじゃないか。情けないったらありゃしない」

「すまねぇ、散花。もうちょっとで所帯を持てるはずだったのによ」

「あたしは別に所帯なんか持ちたくない」

 目の前で繰り広げられる痴話喧嘩に、弥生の目はさらに影を落としていく。耳無が追いつくと、弥生に声をかけた。

「石割が申し訳ない事をしたね。悪気があっての事じゃないんだ。これから、仲良く…」

「こいつに言わせれば、俺の居場所なんてないんだとよ。俺だって、ここに居たいわけじゃない。あんたならここを出る方法、知ってるんだろ。教えろ。さもないと…」

「さもないと、なんだね」

 言葉の最中、弥生が抜刀するために鯉口を切る。耳無は、弥生の刀、柄頭に手をやると、そのまま刀を納めさせる。

「あんたは、力にしか訴えないんだね。よろしい。それならあたしも「力」に訴えよう。『弥生、君の刀を封じる』」

 耳無は、静かに、しかし重い口調で「力」を使う。耳無の力は、道具を操る。あくまでも使う人間ではなく、道具にかける「力」であるため、散花のように力の跳ね返りは一切ない。しかし、使えるものは道具に対してのみ、その上その道具に直接触っている時にしか力は使えない。なので、弥生に「力」を聞かれたとき、はぐらかしたのだ。

 弥生は「力」を受けたことを分かっていながら、柄を握る手に力を籠め、刀を抜こうと試みる。そんな弥生を冷ややかに見ながら、耳無は言葉を続けた。

「ここでは、そんなものが無くても暮らしていける。みんなそうやってる。それが出来ないなら、消えるしかない」

 「消える」という言葉の前に、一瞬の躊躇を見せた耳無だったが、そのことに気付いたのは、標だけだった。弥生は言葉を受け、今にも血が滲みそうな手のひらを柄から離す。

「上等だ…。そんなに人をこけにするなら…」

「いい加減にしろ」

 今にも殴りかかりそうな弥生に対して、怒声を浴びせたのは散花だった。

「いい大人が子どもの前で目見開いて、歯剥いて…恥ずかしいと思わないのかい」

 散花の発言に口を挟む前に、言葉の方向は弥生から耳無に移り変わる。

「あんたもだ、耳無。らしくない。少し、頭冷やした方がいいんじゃないのかい」

 散花の言葉に当の耳無より、弥生の方が目を白黒させる。てっきり身内でかばい合い、弥生が標的になると思っていたからだ。そんな弥生の事など、お構いなしに、散花の独壇場は続いていく。

「耳無、このかんしゃく玉は私が預かる。あんたは、自分を取り戻しな。草薙、あんたに仕事を教えてやる。一緒に付いてきな」

 言うが早い、散花は弥生の手を引くと、森とは反対方向に進もうとする。勢いに飲まれ、三歩ほど進んだ弥生だったが、そこで立ち止まり、散花の手を振りほどく。

「冗談じゃない、なんで働かなきゃ」

 噛みつく弥生に散花は頭に付けていたかんざしを引き抜くと、弥生の喉元に突き付け、ぴたりと止めた。

「あんたもきゃんきゃん喚かない。ここまで来たなら、覚悟を決めな。なんだったら、あんたの喉笛、ここで掻っ切ってもいいんだよ」

 まっすぐに弥生の目を見据える散花。そこには何の躊躇も宿っていなかった。

「…わかった。付いていく」

 不承不承、首を縦に振る弥生。その言葉を聞くや否や、素早くかんざしで髪をまとめ、振り返らずに前を進んで行く散花。弥生は、置いて行かれないように、駆け足で付いていった。

 二人が見えなくなるまで、無言だった三人。最初に口を開いたのは耳無だった。

「みっともない所を見せちゃったね」

 頭を掻きながら情けない声を出す耳無。それまで呆然としていた石割が、気絶から覚めたかのように、瞬きを重ねる。

「…それより、散花どこか怖くなかったか」

「なんだい。気持ちが揺らいじゃったのかな」

 耳無の茶化した言葉に、石割は震えた声でむきになって否定する。

「馬っ鹿野郎。惚れ直したところだよ」

 どうやら図星のようだった。確かにあんなに怒りをあらわにした散花を見たことは、耳無にもなかった。石割は、そわそわしながら、二人が進んで行った方向を眺めている。

「散花、あんな奴と二人で大丈夫かな。俺がちょっと様子を見にいって」

「やめときな。ああいった手合いは、二人きりの方が素直になれるものさ。…あたしも見習わなきゃいけないね」

 言葉の後半は、小声になる耳無。石割は何か言いたげではあったが、結局何も言わなかった。そのまま太陽を見上げる石割。ほんの少しではあるが、日は西に傾き始めていた。

「さてと。俺はそろそろ晩飯の獲物を仕留めてくるかね」

「あぁ、そんな時間かい。大物を頼むよ」

 石割は、耳無の言葉を聞いたのか聞かなかったのか、反応を示さないまま、森に入っていく。そして、足を踏み入れる直前、振り返ると耳無に尋ねた。

「なぁ、あんたは大丈夫なのか」

 いつになく真剣な目で問いかける石割に、言葉を失ってしまう。

「あたしの心配なんかより、晩飯の用意は良いのかい。日が暮れたら、戻ってこれないんだろ」

「あ、やべ」

 耳無の茶化すような言葉に、石割は慌てて森に入っていく。後姿を見守ると、耳無はため息交じりに言葉をこぼした。

「大丈夫なのか…か。石割に心配されるようじゃ、本当になってないかもね」

 本音を言えば、弥生を追い出したいのは、耳無も一緒だった。なにせ、やつは…。

「耳無」

 いつの間にか隣に立っている標。標が近づいてくる事にも気が付かないとは。苦笑を浮かべながら「なんだい」と返事をする耳無に、標は、手を上から下に繰り返し上下させている。その意図を図りかねていたが、屈んで欲しいのかと納得がいった。

「これでいいのかい」

 標の目の高さに自分も合わせる耳無。すると標はその小さな手で、耳無の頭を撫で始める。ゆっくりと、柔らかく撫でる標は、相変わらず無表情のままだったが、耳無の頬は自然と緩んでいく。

「耳無、無理はしないで」

 そう言うと撫でるのをやめる標。どうやら、本当に自分を見失っていたようだと、自分自身に呆れてしまう。耳無は、今度は標の頭を撫でると、立ち上がった。

「もう大丈夫だよ、標。さ、家に戻ろう。晩飯は石割がとって来るが…何がいい」

「しらたま」

 石割に課せられた獲物の難度に苦笑を浮かべるしかない耳無だった。

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