第5話・力

「…なーんてな」

 弥生が必死に状況を理解しようとしている最中、耳無は笑いながら起き上った。してやったり、表情が雄弁に語っており、弥生はこめかみをひくつかせた。

「びっくりしたかね」

「あぁ、殺してやりたいほどにな」

「物騒だねぇ。あんたの力がなんなのか、あたしにゃそれはわからない。だが、何かしら持っているのは間違いない。だから、名前を変えるのがここでの決まりでね」

 弥生は苦々しげに表情を歪める。耳無と散花は、彼の名前を知っており、逆は知らない。そんな状況を快く思わないのは当然だった。しかし、弥生の気持ちなどお構いなしに耳無は言葉を続けた。

「なんか無いかい。『名前』と言われて最初に頭に浮かんだ言葉は」

 そんなことを言われても、急には…そう答えようとした弥生の頭に、一つの言葉が浮かんでいた。

「草薙…」

 思いつくまま口に出る言葉を聞いた耳無は、顔をしかめた。

「『草薙』…ね。結構なことじゃないか。今後よろしくね、草薙さん」

「だから、よろしくするつもりはない。…一つ聞いていいか」

「なんでも聞いてよ」

「ここには、女がいるか?」

 弥生の脈絡のない質問に、首をかしげる耳無。彼には質問の意図がまるで分らないようだった。

「女って…散花ともう一人いるよ。何?お兄さん女遊びしたいのかい」

 笑いながら茶化す耳無に、弥生は陰鬱な表情で答えた。

「もう一人の女って…白い着物を着ているか」

「白い着物を着ているのは、標…お兄さんを助けた子だけだけど。まさかお兄さん、少女趣味かい」

 そう言いながら、露骨に後ろに下がる耳無。そんな態度も目に入らないように、弥生は俯いたまま動かなかった。

 「白い着物の女」とは当然、命のことだった。弥生が倒れた場所からここはどれくらい離れているか見当は付かないが、そう遠くはないはず。そうだとしたら、命のことを知っている人間もいるのでは、そんな期待から尋ねてみたが、どうやら空振りのようだった。

 そんなことを悶々と考えていると、耳無が服を滑らせてくる。

「お兄さんが何を考えているのか、分からないけどね。そんな恰好のままじゃ風邪をひく。こんなものしか用意できないが、好きに使ってくれ」

 服に触れてみると、確かに、耳無の用意した着物は、手触りが悪い。

「本当に、『こんなもの』だな」

 皮肉を口に出しながら、弥生は袖を通した。感謝の気持ちが無いわけではない。しかし、今まで、こんなふうに他意なく施しをうけたことの無い弥生にとって、どう感謝を伝えたらいいのか、分からなかった。

服を着終えたその時、散花と、先ほどの女の子が顔を出した。

「散花、ありがとうね」

「服着ていてよかったよ。標ちゃんを裸でいるような助平な男のところになんか連れて来たくなかったし」

 からからと笑いながら散花が答えた。標は、三和土できちんと草履を揃えると、耳無の隣に腰を落ち着けた。

(やっぱり似ている…)

 散花が連れて来た「標」。改めて見ても似ている。弥生を助け、そして腹に傷を負わせた女、命に。

 標は無遠慮に見る弥生の視線まっすぐ目を合わせ、見つめあった。その目は黒く、深い。年のころは、十くらいだろうか。それにしては、幼さをまるで感じない。命が生気のない幻だとするならば、標は魂の入っていない人形、その程度の違いはあれども、やはりよく似ているのだった。

 見つめ合う二人に置いてきぼりを食らっていた二人は、互いに顔を見合わせる。目配せを躱すと、散花が標に声をかけた。

「標ちゃん、どうしたのー。この人助けたの、標ちゃんだもんねー。」

「こいつが?」

「あぁ、そうだよ。標が昨晩森で見つけて連れて来たのさ」

 耳無が何の気なしに言った言葉に、弥生は目を見開いた。つまり、時間は半日しか経っていない。それも連れて来たのが標というのも納得がいかない。弥生の体つきは大柄とは言わないまでも、成人男性の標準はある。筋肉の量から考えても、人ひとりで運ぶには少々骨の折れる体格である。それにもかかわらず、標が連れて来た、と耳無は言う。

 弥生が疑問を口に出す前に、耳無は先回りするように答えた。

「こんな村だよ。今まで『草薙さん』のいた常識が通用するとは、思わない方がいいんじゃないかい」

『草薙』と言う名前を強調しながら、散花に目配せをする。それは、本来の名前を知っている散花に釘を刺すようだった。

「まぁ、分からないことがあったらいつでも聞いてよ。えと、『草薙』さん。これからは自分のことは自分で賄って暮らしていくしかないんだから、お互い助け合っていこうさね」

 散花がにこやかに話しかけるも、弥生はそっぽを向く。

「だから、長居するつもりは無いって言っただろう」

 とげとげしい言葉に、耳無は頭を掻きながら答える。

「それも、さっき言ったじゃないか。ここに入った以上出ることは出来ないって。御魂様のご意志だよ」

「そんなん知らねぇ。そんなことはお前らの都合だろ。俺はここに居るわけにいかないんだ。なんならこれに教えるか」

 言うが早い。弥生は脇に有った刀を掴むと勢いよく…

『弥生、手を開け』

 部屋に刀の落ちる音が響く。両手を開き切った弥生と、扇子で弥生を指す散花。

「お前…」

「ほら、そんなに…暴れないの」

 散花を睨みつける弥生。散花は言葉の途中で扇子を引き下げ、自分の腕を押さえている。

「散花、標の前で使うなよ」

「あたしが悪いってのかい」

 弥生の行動ではなく、「力」を使ったことを咎める耳無。それはそうだろう。標に「弥生」の名を知らせないためにわざわざ「草薙」と呼ばせたのだ。目の前で「力」を使う…つまり名前を知らせてしまっては耳無の思惑は何の意味もなさなくなってしまった。

「弥生」

 それまで黙って座っていた標が、静かにつぶやいた。その言葉に、顔を見合わせる耳無と散花。

「ほら、覚えちゃったじゃないか」

「草薙がいきなり刀なんか抜こうとするからだろう」

「散花のせいじゃない。知っていたから」

 標は再びつぶやく。その言葉から何を考えて話しているのか、何も感じ取れない。

 弥生は標を見つめる。標も弥生を見つめる。その二人の視線の間に、耳無の言葉が割って入る。

「もしかして、あれかい。標と二人の時に、名前を…」

「あぁ、こいつが俺の腹で寝てて、起きた後にな」

「あーぁ、そりゃ大変だ」

 弥生の言葉を受け、からからと笑い声をあげる散花。対して耳無は神妙な顔をしている。

「散花、標をマチのところに連れていっちゃくれないかい」

「えー、今着いたばかりじゃないかい」

 出し抜けに言う耳無に、散花は唇を尖らせた。続けて「頼むよ」と言うと、散花の反応より早く、標を立ち上がった。

「散花、行こう」

 言うが早い、標はそのまま出て行こうとする。散花は、「待ってよぉ」と猫なで声を上げながら、後を追った。

「あんなガキに至れり尽くせりだな」

「そう言いなさんな。あれでこの村では大人と変わらない生活をしているんだ。…さてと、少し落ち着いたら、ここでの仕事を教えよう」

 あくまでもここで生活させようとする耳無に、弥生は少々辟易し始める。

「いい加減人の話理解してくれないか。俺はすぐに出て行く。仕事なんて…」

 弥生の言葉の途中に、耳無が近づくと肩に手を置いた。

『弥生、服を脱げ』

 「力」を使う時の文言。気付いた時には弥生は服を脱いでいた。耳無は脱がれた服をまとめると、脇に抱えて去ろうとする。

「働かざる者、食うべからず、さ。こんな服でも貴重でね。馴染もうとしないのにわざわざ服をあげる義理はないからね」

 相変わらず笑みをたたえた、しかし有無を言わせない耳無の言葉に、弥生は思わず反応してしまう。

「分かった。働く。…ここに居る間だけだが」

 耳無はうなずくと、服を弥生に向けて放り投げる。弥生は放物線を描き飛んでくる服を受け取ると、苦笑いを浮かべながら尋ねた。

「耳無さん、あんたの「力」は、なんなんだい」

「さてね。なんだろうね」

 問いかけに何も答えず出て行こうとする。扉を出る直前、思い出したように足を止めた。

「そうそう。もうわかっている通りここでは名前は言っちゃだめだからね。特に、白い着物を着た女には気を付けなよ。…絶対に言っちゃだめだから。それじゃね。また後で」

 耳無は言いたいことだけを言うと、後ろ手で引き戸を閉めた。

 誰もいなくなった室内で、改めて服を着直す弥生。先ほどの言葉を反芻しながらぼんやりと考える。白い着物の女…標には名前が知られてしまっていることを考えると、耳無が差している人物はおそらく命のことなのだろうと彼は考えていた。

 そのことを察した時、一つため息を吐く。

「もう言っているよ」

弥生は名前を知られることだけで、こんなにも憂鬱な気分になる羽目になるなんて、考えたこともなかった。

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