第4話・目覚めの時

意識は有る。ただ、身体は動かない。

 眠りについているのだろうか。それとも、死んだのか。

 昔から、考えていたことがある。人は、死んだらどこに行くのだろうか。

 地獄か。

 そうは思わない。なぜなら、今生きているこの世こそが地獄じゃないか。自分が生きるために人を殺す。殺された人間が、復讐のために人を殺す。目の前にあるものを手に入れるために人を殺す。誰かを守るために人を殺す。罪の意識から人を殺す。特に理由もなく人を殺す。

 殺す。殺す。殺す。

 自分はそうしてきたし、誰かに殺されても文句はないだろう。それほどの首を斬り、死体を積み重ねてきた自覚はある。

 最初は怖かった。自分の手に残る、肉の感触。顔を濡らした返り血が、徐々に冷えて固まっていく心地悪さ。夜、眠りにつくと聞こえてくる、斬ってしまった相手の悲鳴。

 初めて人を斬ったときは、手を洗い続けた。洗っても洗っても、血の匂いが消えない気がした。洗いすぎて、自分の手から血が出ていることにも気が付かなかった。

 それでも、人を斬るしかなかった。自分が生きるために。大切な人を守るために。

 殺されるくらいなら、殺すと決めた。覚悟なんてなかった。逃げるためだった。

 最初に殺したのは野党だった。村を襲われ、いのちからがら逃げている途中に、運悪く見つかってしまった。二人の野党に襲われ、なぶられた。

 その時、あいつが野党を切り殺した。あいつに気を取られているうちに、もう一人は俺が殺した。顔にかかる生ぬるい血しぶきが、心を凍てつかせていった。

 以来、殺すことを生業にすると決めた。それ以外生きる道を見いだせなかった。

 目の前にいるものが敵ならば殺す。味方なら利用する。誰も信用しない。頼れるのは自分だけ。そんな毎日が当たり前になっていた。

 血の匂いに満ちた毎日。どうせ、すぐに死ぬものと思っていた。実際、周りの人間は次々に墓の下だ。いや、墓なんて作ってもらえた人間など、一人もいなかった。よくて味方の陣に担ぎ込まれ、その場で埋められる。ほとんどの人間は、打ち捨てられ身ぐるみを剥がされ、獣の餌が関の山だろう。

 ある意味、そうなることを望んでいた。どうせ、畜生の身分に堕ちたのだ。愛する人に見取られる、なんて甘い戯言を言うつもりは無い。俺は誰かに殺されることが宿命なのだろう。

 …一つ、思うことは。どうせ殺されるのであれば、あいつに殺されてもいいと。殺されるなら、あいつがいいと。そんなことを考えている自分に苦笑するしかなかった。

 徐々に意識が遠のく。死ぬのか。それとも眠るのか。流れに任せてみようか。そんなことを考えていた。



 弥生が最初に見た景色は、板張りの天井だった。

(生き…てる…?)

 瞬きを何度もしても、見える景色は変わらない。大きく息を吸い込むとゆっくり吐き出す。数回繰り返すと、腹部に違和感を覚えた。痛みではなく、何か重いものを乗せられているような、例えるなら、猫が腹の上で寝てしまった感覚だった。

 弥生は首だけを上げて、確認する。確かに腹の上で眠っているものがいた。ただし、猫などの小動物ではなく、小さな女の子だった。

 自分の腕を枕にして、気持ちよさそうに眠るその子は白い着物を着て長い髪を、一本に束ねていた。

(命に…似ている)

 首だけ上げている不自然な体勢ではなく、身体ごと起こそうと試みる弥生。しかし腹に重りのある状態では、なかなかうまくいかなかった。自分を支えている「枕」が動き、眠りを邪魔された女の子は目をこすりながら、身体を起こした。

 その子は、目を開くと腑抜けていた顔をみるみる強張らせ、立ち上がると、一目散に走り出す。

「お、おい」

 思わず呼び止める弥生に、足を止めた。たとえ子どもであろうと、何かしら聞いて置ければ、そう思った弥生は言葉を続けた。

「俺は、弥生。君は?」

 弥生の質問に、無言で見つめる女の子。数瞬見つめ合ったかと思うと、踵を返し、今度はゆっくりと扉に向かい引き戸を閉めて行った。

「…なんなんだ」

 弥生はため息を吐きながら再び横たわる。床が冷たい。先ほどまで、女の子に意識を向けていたため気付けなかったのだろう。弥生の上半身は服を着ておらず、腹部にはさらしが巻かれていた。

(そう言えば、腹裂かれたんだった。…命、やつはいったいなんなんだよ)

 目を閉じ、左手を動かすと、何かに当たる。目で見て確認すると、そこには刀が転がっていた。

(幸運だな。これを無くしたら、怪我が治っても…。しかし、ここは、どこだ)

 寝ころんだまま、首を左右に動かし、自分のいる場所を確認する弥生。木の床と天井。土壁で囲まれ、三和土に引き戸の戸板が一枚。窓も扉と反対の壁に一つ。それ以外何もなく、大の男が三人寝られるかどうか怪しいくらいの空間しかなかった。

 がたがたと、引き戸を開く音がする。反射的に刀を掴み、身体を起こすと、立膝の姿勢で扉に向き合う。鋭い眼光で弥生が見据えた先には、大柄な男と、けだるそうに後ろからついてくる女、二人が部屋に入ってくる。

「おやおや、物騒な物持っているね。さ、降ろした、降ろした」

 男が、入口で立ち止まると、手で刀を降ろすように促す。女は、男の後ろから覗き込むように弥生を眺めている。

 敵意がない、ように弥生は感じている。しかし、そういう風に装っているだけかもしれないと、疑いを解くことは出来なかった。

 刀を降ろす気配のない弥生に、男はため息を吐くと手を広げて何も持っていないことを改めて示した。

「別にこっちにゃ、そんな意思ないよ。ほら、ご覧の通り手ぶらだ。あたしは耳無みみなし。後ろにいるこいつが」

「あんたにこいつ呼ばわりされる筋合いはないよ。あたしは散花さんか。お兄さん、よろしくね」

 耳無の言葉を遮った散花は、刀を携えている弥生に臆することなく、近づこうとする。弥生は、無言で鯉口を切ると、散花を威嚇した。

「仕方ないね。あたしゃ服を取って来るよ。散花、後任せた」

 そう言うと、耳無はその場から離れていった。女を残していく態度に、少し拍子抜けする弥生。抜きかけていた刀を納め、壁を背にして座り直す。

「そんなピリピリしなくてもいいじゃないの」

 散花の投げかけた言葉を聞き流す弥生。

一定の距離以上に入ったらすぐにでも切りかかりそうな不穏さが漂っていた。

 その場に沈黙が流れる。散花は無視されたことなど気にも止めることなく、着物の胸元から扇子を取り出すと、開いたり閉じたりを繰り返している。

 弥生は目の前のことを考えていた。

耳無、散花のほかにいた、あの少女。

外の景色を確認できていないが太陽の差し込む角度は既に高い位置にあった。

太陽の高さから眠っていたのは半日程度と考えていた。

しかし、半日程度の時間で治る身体ではない。

 弥生は腹の裂かれたところを触る。

驚くことに傷の感触から、激しく動けるほどではないが、日常生活を送るには問題ない程度には回復していた。

「…おい、女」

弥生が話しかけると、散花は完全に無視をした。

弥生は歯噛みしながら、再度呼びかける。

「女、聞こえているんだろ」

「あたしは『女』じゃないし、あんたはさっきあたしの事無視したじゃないか。あいこだよ」

相手が刀を持っているにもかかわらず、ふてぶてしくあしらう態度に、眉を顰める。

刀を持っている以上、主導権は弥生がいつでも握れる状況にも関わらずそんな態度を取る散花との空気が少し緩む。

事を荒立てて口を固くする前に聞き出せるだけ聞き出した方が得策。無駄な体力を消耗しないのは弥生にとっても都合がいいのだ。

「悪かったな。散花…だったか。俺は弥生。ここは、どこだ。俺はなんでここに居るんだ」

「あー。ここで名前言っちゃだめだよ」

 扉の方から大声がした。服を携えて戻った耳無だった。大仰に、手で顔を覆う仕草をしている。弥生はいきなり現れた耳無を、じろりと睨みつける。

「お前らも名乗ったじゃないか。何が悪い」

「それは、そのね。あれだよ、あれ。」

 何の要領も得ない耳無の言葉を制し、散花が引き継ぐ。扇子を閉じると、弥生を指した。

「こういうのは、口で説明するより…『弥生、右手を上げろ』」

「あ。何を言って…」

 言葉の途中、弥生は目の端にするすると自分の意思とは関係なく上がっていく右手を捕えていた。

上がった手を下げようと試みているようであるが、動く気配すらない。散花は扇子をまだ指している。

「おい、どうなっているんだ」

 弥生の言葉ににんまりとほほ笑むと、散花は扇子を下げた。その途端、弥生の右手はすとんと下がる。手のひらをまじまじと見つめる。再び散花に視線を戻すと、問い直す。

「いったい、何をした」

「簡単なことさね。あたしは相手の名前を知れば行動を操れる。それだけのことだよ」

 さらりと言い放つ散花。弥生は、慌てていることを隠そうとも考えていないのか、唾を飛ばす。

「だったら、その力を使えば俺を自害させることもできるじゃないか」

「それは無理。相手の心までは操れないから」

「どういうことだ」

 散花の説明はこうだった。散花の「力」はあくまでも「行動」のみを操る力だという事。その行動とは、その人間が行う可能性のあることに限定されていること。しかも、相手の反発が上回った場合、散花にも「力」が返ってきてしまう事。先の例を挙げるなら、「力」のことなど何も知らなかった弥生に、「手を上げる」という簡単な命令だからこそ通用したのであって、自害などと言う本気の抵抗をされることなんて怖くて操りたいとも思わない、との事だった。

「さぁさ、そんな恰好で寒いだろう。ほれ、これを着て。散花、しるべを呼んで来ちゃくれないか」

「標に会わせるのかい」

「どうせここに住むんだ。遅かれ早かれ、な。頼むよ」

「…わかったよ」

 散花は不承不承といった様子で立ち上がる。扉を出る直前、ちらりと弥生を見ると、そのまま出て行った。

「ここに住むって、もしかして俺の話か」

「あんた以外誰がいるってんだい。大丈夫。すぐに慣れるよ」

「慣れる前に出て行く。怪我も治ったしな、長居するつもりは無い」

 弥生にとってこの場所にいるということは既に居場所のわかっているところに居続けることを意味していた。

ここがどこだか、まだわかっていないが、田吾作と太一、二人を退け、命と出会った森からそう離れていないはず。そうだとしたら出来る限り離れないと、またいのちを狙われるのは目に見えているからだ。

 弥生の事情など知ってかしらずか、耳無は申し訳なさそうに頭を掻きながら答えた。

「それは、出来ない。この村に入れたってことは、出て行くことが出来ないんだ」

「何を馬鹿なことを言っているんだ。そんなこと信じられるわけないだろ」

 耳無の言葉を鼻で笑う弥生。そんな態度を取られたにも関わらず耳無は平然と答える。

「それで、さっきみたいにお手上げーってわけかい」

「あんなん、反則だろ。それにあんな妖術みたいなこと、誰も彼もできるわけが…」

「残念。この村に入るとね、誰でも使えるようになるみたいなんだよ」

 子どもが当たり前のことを間違った時に見せるような表情で、耳無は答える。弥生は頭を抱えながら問いかけた。

「…だれでも、ってことは俺もか」

「そうだと思うよ」

「そうか。…『耳無。死ね』」

 弥生がそう告げると、耳無は自分の喉を押さえて咳込み始めた。徐々にその咳は大きくなり、うつぶせに倒れこむ。最後に大きな咳を一つしたかと思うと、そのまま静まり返ってしまった。

「…冗談だろ」

 たった一言、言葉にしただけでこの結果。

弥生は手を上げるという行為を体験していたが、半信半疑だった。それが目の前で言葉を発しただけで起きてしまった。

頬に伝う汗の冷たさが、夢ではないことを物語るのだった。

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