第3話・討伐者

暗い中、煌々と篝火が燃えている。

 林というには木が足りず、かといって、一本二本木が立っているわけでもなく。森の外れと表現することが妥当なのだろう。そんな場所を一人の女が眺めていた。

 二本立てた篝火の、ちょうど真ん中に用意された腰かけに座り、正面に広がる森に目をやっている。その目には何を写すでもなく、ただただ、その方向を向いているだけ。

 仰々しい陣の中心で、女ながら刀を携え、長い髪は赤い組紐で結わえていた。

 十歩ほど離れて立つ男は、女の様子をちらりと見ながらすぐに目を逸らす。目を合わせるのが憚れるのか、それとも目も見たくはないが、気遣わなければならないから仕方なくなのか。男は首から下げた巾着を指で撫でた。

 男は、女に向かい跪いた。

なぎ様、いまだに誰も戻りませんが…」

ひいらぎ

 意を決したような男の言葉を女が遮る。柊は、凪に畏まると、言葉を改めた。

「申し訳ございません、将軍様」

 柊の言葉に、凪はあいまいにうなずく。そのことで緊張の緩んだ柊は言葉を続けた。

「先の言葉の続きとなります。誰も戻りませんが、大丈夫でしょうか」

「何がだ」

 凪の言葉に何の感情もこもっていない。前々からの事ではあったが、ここ数か月は、さらに顕著になっている。

「本当に、この森の中に弥生様…失礼、弥生は逃げ込んだのでしょうか」

「血の跡を追っているんだ。間違いないだろう」

「しかし、本当に弥生は先の将軍様を裏切ったのですか」

 その言葉に、凪はじろりと柊を見やる。

「お前も見ただろう。倒れた将軍様と血塗られた刀を持った弥生。何より、あの振り向きざまで抜いたであろう太刀筋。弥生以外考えられないだろう」

「…確かにその通りですな。しかし、腕が立つとはいえ所詮はいやしい身分の出。周りの話も聞かず輪を乱しておりましたが、まさかあのようなことをするとは…」

「そうだな」

 凪はゆっくりと立ち上がると、跪いている柊に近づく。その表情は、うっすらと笑っていた。目の前に立つと目を見開き、柊の顎に掴みかかる。

「俺もやつと同じ、いやしい身分の出だ。誰かをこき下ろす時は相手の素性も頭に入れておくんだな」

 激して放つわけではなく、いっそ諭すように語る言葉に、柊は目で承知を訴えることしかできなかった。

 凪が瞬き一つすると、掴んでいた柊から手を外す。未だ目の前には凪の手がある。

「申し訳ございませんでした。以後、気を付けます」

 蚊の鳴くような声で絞り出した言葉を聞き、凪は踵を返した。

「まあ、良い。こんなところでお前を斬り捨てても、俺の気が晴れるだけだ。…よかったな」

「有難うございます…しかし、本当に大丈夫でしょうか」

「この森に逃げ込んだのは間違いないんだ。誰も戻らないのはやつが返り討ちにしているからだろうよ」

 いっそ、部下のいのちなど、興味の無いように吐き捨てる凪。柊は苦々しい表情を浮かべながら立ち上がると、森に向き直った。

「兵の事だけではないのです。実は、この森について、妙な噂を聞きまして…」

 語尾を濁すように声を小さくする柊。凪は腰かけ直しながら言葉を発した。

「一度入ったら、二度と出られない。その名も『御魂の森』…だったか」

 柊も先ほど聞いたばかりの話を、凪の口から聞くとは思っていなかった柊は、驚きの表情を隠せずにいた。

「ご存じでしたか」

「情報は一から十まですべて上げさせている。膨大な量になってしまうが、下っ端が判断など不要。俺が決めた方がよほど物事はうまくいくのでな」

 凪の言葉には起伏など一切なく、それはただ自分の考えを口にしているだけに過ぎないからだろう。しかしながら、自分以外信用していないと言っているに等しい言葉に、柊の立つ瀬はなかった。そんな柊のことなど見向きもせずに、凪は言葉を続けた。

「柊。お前も情報の使い方は考えた方がいい。心得ておくんだな」

「は…はい」

 一瞬反応が遅れる柊。それは、相変わらず淡々と語る凪の言葉が自身に向けられた事に気付けなかったためか。それとも…。

「先遣隊一名、帰還しました」

 喉を鳴らす、甲高い声が響いた。息を切らしながら走りこむ具足姿の男と、泥にまみれ、足を引きずりながら緩慢な動きで凪と柊に近づいてくる男。走りこんできた男は、柊から下がるように言われると、凪と柊、順番に頭を下げると、すぐさま走り去った。

 泥にまみれた男は、顔を下げたままうなだれて座り込んだ。

「どうした。森の中から帰ったのだろう。何か見つけたか」

 男は、何も言わない。浅い呼吸で、ぼんやりと地面を見続けている。

柊は舌を鳴らすと、男に近づいていく。胸倉を掴み、無理矢理立ち上がらせると男の目を見据えた。その男、太一の目は、焦点が定まらずにいた。

「どうした。何か見つけたのか、どうなんだ」

 柊は苛立ちを隠そうともしない。太一は言葉を投げかけても、何の反応もしない。まるで、人形のように光の灯っていない目で柊を写すだけだった。

 そんな様子を見ていた、凪は言葉を発した。

「報告も出来ぬようなら、我が隊に必要ないな。柊」

「はっ」

 柊は胸倉を掴んでいた手を放すと、太一を突き飛ばす。背中から倒れたまま、起き上がる様子もない。刀を抜く柊。その切っ先を太一の鼻面に突き付ける。反応は、無い。

 柊は凪に目を向ける。しかし、すでに興味を無くしたのか凪の目線は、森に戻っている。

柊がため息をつきながら刀を頭の高さまで上げた。月明かりが反射し、太一の目に当たる。その時、太一が口を開いた。

「弥生を…見つけました…」

 今まさに振り下ろそうとしていた刀を握り直した柊は、太一の言葉に瞬きを重ねた。まるで信じられない言葉を聞いたかのように。

 そんな様子など構うこともなく、ゆっくりと体を起こし、うつろな目をしたまま、言葉を続けた。

「森の中で、弥生がいました…。傷を負っていて、田吾作もいました…。二人ならばと思い、打ちかかって…。二対一です。楽にとはいかないまでも、首を持ってこられるはずでした…」

「その首は」

 太一の歯切れの悪さに、刀を納めながら急かすように言葉を挟む柊。言葉を受け、のんびりと顔を上げるが、首をかしげた。

「二人で追い詰めると、弥生はいきなり消えた」

「消えただと。そんな馬鹿なことがあるか」

「目の前から消えた弥生は、すぐ後ろに立っていた。薄ら笑いを浮かべて。田吾作が切りかかると…やつには、刃が通らなかった」

「そんなふざけた話、信じろと言うのか」

 柊の怒声が飛ぶも、太一は相変わらず虚ろな目のまま座っている。様子を黙って見ていた凪が、口を挟んだ。

「まぁ、良いだろう。弥生と会ってよく戻った。…ゆっくり休むがいい」

 凪が言った言葉に、先に反応したのは柊だった。一つため息を吐くと腰に手を持っていく。鍔鳴りがしないように、慎重に刀の鯉口を切ると、鞘を横に倒す。

 任務を果たせない駒に用はない。それは柊自身にも言えること。つまり、ここで太一を切るという無情をしなければ、次に切られるのは彼自身なのだ。

 のろのろと立ち上がる太一から目を離さず、立ち上がり切った瞬間、腰を引き、一太刀のもとに切り捨てる…はずだった。

 柊が刀を抜く直前、太一の身体から血しぶきが上がる。まず同時に二つ両肩から飛び散り、次に腰。瞬きの間もなく首が飛ぶと、宙にある頭が真二つになった。

 柊は刀を抜くと周囲への警戒を強める。目の前で瞬く間に人ひとり斬り捨てられる事態。何一つ反応できなかったことを考えると下手人は柊より腕の良いことは明らかだった。

 いきなりの襲撃に緊張しながらあたりを見回す柊。指示を仰ぐため、目の端で凪を見たまさにその時、凪の怒気を含んだ声があたりに響いた。

「誰の許可を得て、行動している」

 静かに、だが怒りを隠そうとしない凪の声。その声が柊に向けられてはいない。しかし、あたりに見える人影は、凪と柊の二つしかない。

 柊が改めて見回している最中、どこからか声が聞こえてきた。

(あなた方の手を煩わせるまでもないかと思いまして)

 人の声、とは聞き取れるも男か女か、どちらかわからない声。凪はその言葉に対し、臆することもなく怒声を続ける。

「俺の楽しみを勝手に奪うなと言っているんだ」

(失礼。以後、気を付けます)

 それ以降の言葉はない。刀を構え、周囲に気を配っていた柊は刀を納める。間の抜けた自覚があるのか、少しばかり赤面している。すでに座に付き、力を抜いている凪に、取り繕うかのように質問した。

「将軍様。今話しかけていた者たちは…」

風切かぜきり土蜘蛛つちぐも。弥生を相手取るんだ。歩ばかりでは勝負にならんからな」

「将軍様…私は」

「歩。それ以外だと思うのか」

 さも当然のように、目も合わさずに言い放つ凪。その態度を見て、柊は胸に下げている巾着に手を伸ばしていた。

 腕の立つ人間を仕留める。今回のような任務では兵を駒扱いすることは仕方ない。柊自身が指揮をとっていたとしても、そう考える。しかし。「歩」と言えば、将棋で前にしか進めない、一番弱い駒。凪のそばにいるにも関わらず、他の兵と同じ扱い。しかも凪しか知らぬ戦力は、自分より上と見て、自分にも知らせずにいた。だったら、自分は何のためにここに居るのか。

 柊は、そんな胸中をおくびにも出さず、話題を切り替える。

「やはりこの森に居ましたな」

「怪しい噂の絶えぬ森だ。潜むのにはちょうどいいと思ったのだろう」

「さすがのご慧眼、感服いたします」

 柊のおもねりを聞き流しながら、凪は目を光らせた。

「部隊をすべて呼び戻せ。そして充分な食事と休息を与えよ。夜が明けたら、森狩りをする」

「…は?」

 凪の指示に、反応の遅れる柊。「食事」や「休息」など、通常ではありえない言葉が出てきたため、理解が遅れたのだった。その様子に目を向け言葉を重ねた。

「聞こえなかったか」

「承知いたしました。…森の噂に怯え、進むことを拒む者が出てきたときには」

 柊の言葉に、凪は頬を歪め、歯を見せながら答える。

「決まっている。御魂だろうが怨霊だろうが、知ったことでは無い。本当に恐れるべきは生きている人間だという事を、その者に知らしめよ」

「はっ」

 言うが早い。凪からの指示を皆に伝えるべく柊は駆け出して行った。

 凪の言葉は柊の耳にはこう届いた。「逆らうものが出たら、見せしめに殺せ」事実、弥生を発見しながら逃げ帰った太一は殺されている。森に食われるのが先か、凪に殺されるのが先か。柊はやりきれない思いで足を進めるのだった。


 一人、陣に残った凪は、改めて森を眺めていた。

「御魂だろうが、怨霊だろうが、鬼でも物の怪でも知った事か。俺の道を阻む者は、すべて斬り伏せてやる。…なぁ、弥生」

 森を見据え、笑みを浮かべる凪。

 どこからか、鈴の音が響いたが、凪は気にも止めなかった。

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