第2話・白い着物の女

炸裂音がした方向から長身痩躯の男が顔を出す。腕にはまだ熱の残った火縄銃が携えられている。

「あれを躱しますか。手負いで、しかも確実に仕留められる獲物を前に、気が緩んでいたにも関わらず。いやはや。もはや獣ですね」

場違いほどのんびりとした口調で話す男に、弥生より早く田吾作が反応する。

「獲物って誰のことだ、太一たいち

「あなた以外いないでしょう、田吾作。あんな無様に倒れておいて自覚がないのですか」

「なんだと」

 田吾作は太一に噛みつきながらも、刀を拾い、弥生から距離を取る。対する弥生は太一と田吾作を見やり、言葉を無くす。

「それより…弥生様、お久しぶりです。お元気そうで何より」

「今しがた、鉛玉をぶち込んだ相手に言う台詞じゃないな」

「本当であれば心の臓を打ち抜いていたはずです。奇襲にもかかわらずそれを躱した、そんなあなたをお元気と言わずに何と言いましょう」

 口調こそ穏やかではあるが、目の奥の暗い光は、弥生を捕えて放さない。しかも、田吾作と違い、容易に一歩を踏み出さず、距離を保つ。

「おい、太一。せっかく銃まで担ぎ出してきたんだ。さっさと仕留めろよ」

「田吾作、頭に上った血を降ろしなさい。これ、単発式です」

「こんな好機、滅多にないのに!ちゃんと、詰め替え道具は持ってきたんだろうな」

「もちろん。そんなものは持ってきていません」

 いっそ堂々と語る太一に、田吾作は肩を落とす。対照的に弥生の緊張はますます濃くなっていく。

「だったら、どうやって仕留めるんだよ」

「あなた、自分の頭を使ったらどうです。手負いで二対一。手柄は半分となりますが、弥生相手に生き残れるのなら、それが一番の報酬でしょう」

 太一は弥生が指導した人間の中で、一番身体能力が低かった。だが、弥生はそのことで彼の評価を下げることはなかった。なぜなら、自分の能力を過信せず、かといって卑下にすることもなく、ただ淡々とやるべきことをやる、太一は己をわきまえることで成果を上げていた。

「そんな玩具担ぎ出しても手負い一人仕留められないくせに、生き残るつもりなのか」

 田吾作が反論するために開いた口を、太一が手で制し、応える。

「その通りですね。ですが、貴方を仕留めなければ同じこと。裏切り者を見付けたにもかかわらず、おめおめと逃げ帰ったとあれば、首を刎ねられてしまいます。確実に殺されるくらいなら、賭けに出た方が利口というものでしょう」

言いながら、太一は刀を抜き、下段に構える。攻める構えではない、相手の攻撃に対応しやすい、いわば受けの構え。手負いの相手にする構えではない。

 張りつめた空気が弥生と太一の間に流れる。

 そんな中で、田吾作は弥生に向かって真っすぐ突っ込んでいく。走りながら、しかし滑らかに頭の高さまで掲げられた刀を、そのまま打ち下ろす。相変わらず単純な攻撃だが、先ほどより深手を負った弥生は避けることが出来ない。

 自分の額に目掛けて落ちてくる刃の腹を自分の刀で右側から弾き、剣線を逸らせる。と同時に、右側から別の刀の切っ先が弥生の腹部目掛けて突いてきた。弥生は後ろに跳びすがり、ぎりぎりのところで太一の刀を躱すも、身に着けた衣服がばっさりと裂かれていた。続けざまに今度は左からの剣撃。これを弥生は刀を合わせて受ける。交互に、今度は右から奔る攻撃を、田吾作の腕を引っ張り強引に割り込ませて敵同士の刃をぶつける。

 弥生は、目の前にある田吾作の背中を蹴り飛ばし、二人をもつれさせて距離を取った。蹴った衝撃で、腹部から血しぶきが上がる。

「ずいぶんと、泥臭い戦い方をなさる」

 太一の軽口に弥生は答えない。いや、答えられない。もはや、呼吸の乱れを隠しておける余裕もなくなっている。

「人様を足蹴にするなんて、俺が殺してやらないと…」

「田吾作。確実に」

 弥生は出来る限りで息を整えながら、組み合わせの悪さに汗を滲ませていた。

 田吾作のすぐに熱くなってしまう部分を太一が抑え、反対に自分の身体能力の無い分、田吾作を動かし獲物を狙う。互いが弱所を補い合う形が、弥生を徐々に追い詰める。

「ねぇ、生きたい?」

 続く二人からの連撃を、手傷を負いながら捌いている弥生に、白い着物の女が先ほどと同じ問いを繰り返す。

「お前、まだ…いたのかっ」

 太一の剣を躱し、田吾作に注意を向けながら弥生は答えた。その瞬間、火縄銃が弥生のこめかみを強打。目の中に閃光が走る。鈍器として、充分の威力を頭に受けた弥生は、膝から地に落ち、うなだれるような形で座り込んでしまう。

「ねぇ…生きたい…?」


 時間が、遅い。

 女の声。近づいてくる足音。自分の鼓動。歓喜の声。たしなめる声。こめかみから流れる液体。暗くなる視界。鉄の匂い。落ちる赤い滴。どうあっても、動かない、身体…。

 自分の周囲で起きるすべてが初めてに感じる。

 そして、そのすべてが最期の時を突き付けてくる。

「…たいに決まっている」

 喉から、声を絞り出す。どんなものでも良い。自分の意志で動くなら。

「どんな人間でも、あっけないものですね」

 刀を振り上げる太一。響く鍔鳴りの音。

「ねぇ、生きた…」

「生きたいに決まっているだろ!」

「往生してください」

 鈴の音が響く。

 覚悟していた刃が、来ない。

 暗転していた視界が戻ってくると、瞬きを重ねる。

 太一の刃は自分の首、およそ三寸のところで止まっている。それだけではない。太一の表情も、田吾作の身体も。周囲に目を凝らせば、落ちる木の葉すらその動きを止めている。

 動いているのは、自分だけ。そう思った矢先、後ろから優しく腕で包み込まれる。

「それならば、あなたの名前を教えて…?」

 鼻孔をくすぐる甘い匂い。白粉の匂いではなく、女独特の、嗅ぎ慣れない匂い。

「や…よい…」

 女の言われるまま答える。

「そう…。弥生。あなたの名前を使ってこのみことにめいじなさい」

「みこと…?」

「私の名前」

 白い着物の女、命の顔が正面に現れる。腕は肩に回したまま、顔と顔の距離は鼻先がつくくらいに近い。吐息の温かさまで伝わる。瞳は、吸い込まれるほどに黒い。

「…弥生の名を以てめいじる…。俺は、生きたい…」

 朦朧とした意識のまま、発した言葉を聞いた命は初めて微笑みを向けた。

「仰せのままに」

 鈴のような声が、鼓膜を震わせたその時には、唇が塞がれていた。

長い時間だったかもしれないし、瞬間だったかもしれない。気付いた時には、大きくのけ反り、腕を伸ばし、命を押し出していた。

「お前、何しやがる!」

 身体が熱かった。内側から熱がこみ上げてくる。突き出された命は、着物の裾に付いた土を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「傷は治した。身体は堅くした。もう、この世のものでは、あなたに傷一つ付けられない」

「訳の分からないことを…」

「試す?」

 そう言うと命は、近くに転がっていたこぶし大の石を拾い上げ、勢いよく投げつけた。

 とても女の力で投げられたとは思えない速さで石はまっすぐ飛んでくる。

 石は額に当たり、そして砕けた。

 思わず額に手をやる。しかし、何もない。傷はおろか痛みすら、ない。

「ふ…ふふふ…ははは…」

 こみ上げてくる感情に従って頬を歪ませ、ゆっくりと、背骨を一つ一つ積み上げるように立ち上がる。

 最後に首を正面に向けると命に視線を投げかける。先ほどまであった疲れや緊張が嘘のように消えて、視界は明瞭になった。

「くくく…感謝するよ。命、とか言ったか。あんたは仏か…それとも鬼か?」

「どうだっていいでしょう?それよりも、どうするの?」

 こちらに視線と合わせずに先ほどから動きが止まっている二人、田吾作と太一を見つめていた。

「二人を固めているなら…動かせるのか?」

「…見逃すの?」

 表情こそ変わらないものの、さも意外そうに言葉を投げる命。鼻で笑いながら言葉を返す。

「冗談じゃない。折角、力を得たんだ。…動かない獲物じゃ詰まらないだろ?」

「なるほど」

 応えると同時に命が腕を振る。鈴の音が周囲に響いた。


 太一の刃が宙を切る。勝利を確信していた太一は、目の前から突然消えた獲物に対して瞬きを繰り返す。田吾作は、「なんなんだ、いきなり消えたじゃねえか」と叫んでいる。

 動揺する二人に弥生は後ろから、距離を保って声をかける。

「くくく…何を探しているんだ」

 弥生に声をかけられた二人は、瞬間体を向ける。

「てめぇ、どうやって避けた」

「田吾作」

 今にも飛び掛かりそうな田吾作を太一が制する。その表情には、先ほどまであった余裕など何もない。

「…何をしましたか。瞬きもしていない、しかも二人の目にも留まらずにそこまで移動する術など、教わったことはありませんでしたが」

 口調こそ冷静に、弥生に語る太一は、刀の切っ先を弥生から放さない。

 刀が震えている。怒りではなく、恐怖で。

 先ほどまでの勝ちを確信した、生き残れることを信じていた太一は、必死に今の状況を理解しようとする。

 その恐怖は無理もないことだった。

 当の弥生本人ですら、何一つ理解できていない。

 ただ、分かっていることは。

 二人は、獲物で。

 弥生は、いつでも二人を殺せるという事実。

「で、どうするんだ」

 太一の問いかけを無視し、二人を嘲りながら話しかける。

 弥生はその場から動いていないにも関わらず、声をかけられた瞬間に、二人は半歩身を引いた。

 その様子にさらに笑みを深め、弥生は歩を進めた。

 一歩、一歩と歩くごとに、二人はどんどん下がっていく。弥生はろくな構えも取らず、ただ歩く。その弥生に二人は緊張を解かずに距離を保つ。

 二十歩ほど歩いただろうか、弥生はため息交じりに歩を止めた。

「つまらねぇ」

 弥生は大きくため息を吐くと、手にしていた刀を地面に突き刺し、両手を広げた。

「二人がかりで、手負い一人にそんな距離とって。そんなに臆病なら…仕方ない。打ち込み稽古だ。かかってきな」

 刀を手放し、攻撃の意志さえ見られないその態度に、さらに緊張を深める太一。

「田吾作、ここは…」

「ふざけてんじゃねぇ」

 太一が撤退を伝える前に、田吾作は弥生に打ちかかる。

 田吾作の刃は、的確に弥生の首を捕えた。

 本来であれば、弥生の頭と胴は離れていた。そこに疑いの余地はない。

 だが、田吾作の刃は、弥生の薄皮一枚裂くことも叶わなかった。

「田吾作、逃げなさい」

 太一の声が響く。しっかりと届いているはずの声は、田吾作の身体を動かすまでには至らない。

「なんでだよ…」

「俺も知らねぇ」

 言うが早い、田吾作の持っている刀を奪うと、そのまま腹に付け、左から右に振り切った。

上と下、二つに分かれた田吾作の身体は、崩れ落ち赤い水たまりを作っていく。立ち上る、嗅ぎ慣れた臭い。血の香りだ。地面に落ちた田吾作の身体は、彼の意志とは関係なく小刻みに震えている。

 いのちが消えていく最期の瞬間までゆっくりと眺める弥生。

 田吾作の身体が、人ではなく、物に変わり切るまで見取ると、視線を森に戻した。視線の先には、暗闇の中生い茂る木々が広がっている。その景色を眺め、弥生は笑みを浮かべた。

「あーあ、しくじった。逃がしたな」

「嘘」

 弥生が田吾作を斬り殺す様を、そして太一が仲間を見捨てて逃げ帰る様子を眺めていた命が口をはさむ。

「わざと、逃がした」

「お見通しか。一匹逃がせば、後からぞろぞろ群れをなして来てくれる。折角の楽しみは一度じゃつまらないだろ」

「そう」

「お前には感謝しているよ、命」

 弥生は、命に近づき肩に手をやる。置かれた手を、命はちらりと目をやると自らの手を重ねた。命の目と弥生の目がお互いを見合う。

 命は、手を弥生の腹に近づけ、そのまま突き刺した。

「…え?」

 先ほど、手練れの刀でも傷一つ付けられなかった弥生の身体をいとも容易く突き破ったしなやかな指は、何のためらいもなくそのまま横に引き裂いた。

「お前…何を…」

 弥生は命の答えを聞くことは出来なかった。

「…今は何も知らなくていい。あなたが何故ここに居るのか。この場所は何のためにあるのか。…私は命。いのちを司るもの。また会いましょう、哀れな迷い人」

 命はそうつぶやくと、足音もなく消えて行った。


 直後、息を切らした小さな影が現れ、そのまま立ち尽くしていた。

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