第6話・一服の茶屋

「おマチー。遊びにきたよー」

「はいはい、今行きますよ。あら、標ちゃんもいらっしゃい」

 弥生がいる家を出て、散花と標が向かったのは、マチの家だった。竹藪に面した場所に立っている家は、村人に食事を振る舞っていた。中から化粧っ気もなく、笑うとえくぼが出る、素朴な娘が出てきた。散花と標を見ると、にこやかに話しかける。

「散花、どうしたの。標ちゃんと一緒なんて珍しいね」

「耳無の頼みで標ちゃんと逢引き。あの人も何考えてるんだか、わかりゃしないよね」

「まぁ、耳無さんだし。気にしない、気にしない…今日は何食べてく?」

「しらたま」

 マチは、散花に聞いたつもりだったのだが、それよりも早く標が答える。そのことで二人は顔を合わせて笑いあう。

「そうしたら、白玉二つお願いできる?…あ、今日何も持ってきてないや…」

 散花は懐を探る。その動作に、マチは笑顔で応じる。この村では、金での取引は行っていない。物々交換が基本。しかし、相手が納得をすれば物でなくても構わない。そもそも、周りに森しかないこの村の中で金など役にも立たず、むしろ自分に出来ない事をしてもらった方がありがたいのだ。

「この前持ってきてくれたあやめ、綺麗な押し花に出来たから、今回はそれでいいよ」

「えー、悪いよう」

「いいから。折角標ちゃんと一緒にいるのに、ここでふいにしたら、私が気分悪いし」

 そう言うと、視線で標を見るように促す。家の外、日当たりの良い所に置かれた、腰かけに座り、足をぶらぶらさせている標を見ると、とても帰るなんて事は言いだせそうになかった。

「…わかった。今回はお言葉に甘えるね」

「うん。腕によりをかけるから、楽しみにね」

 マチは、家の中に入っていくのを眺めながら、腰かけに座る散花。目の前は、竹藪と畑、その奥には木々の揺れる森が広がっていた。


 穏やかな景色を見ながら散花はこれからのことを考えていた。この村、『御魂の村』が出来てからというもの、誰一人として外から人間なんて現れなかった。

村の性質…というか生まれた訳を考えれば当然なのだが、ここに来て何故新しい人が入って来たのだろうか。

しかも持ち物が、刀。何もかもが常識外れの村ではあるが、今回の一件は散花の頭を悩ませるには充分だった。

 散花は隣に座っている標を見た。腰かけに座ると足がほんの少しだけ届かない標は足を揺らしながら、まっすぐ目の前の光景を眺めている。標は、弥生のことをどう考えているのだろうか。散花の頭に、そんな疑問がよぎる。

「ねぇ、標ちゃ…」

「おまちどうさまー」

 散花が標に尋ねようとしたその瞬間、マチが白玉に蜜をかけたものを持ってきた。マチの間が悪いのか、それとも散花の間が悪いのか。おそらく後者なのだろうと散花は考えるようにしたようだった。

「早いね、ありがとう」

「いーえ。ほら、標ちゃんもどうぞ」

「頂きます」

 それだけ言うと、木でできた椀を受け取る。白玉団子を匙で掬い、口に運ぶ標。ゆっくりと噛みしめるように白玉を食べるその様は、年相応の姿にしか見えなかった。そんな標を穏やかな表情で見つめる散花。こんな光景がいつまでも続けばいいのにという思いと、こんな状況、どうにか変わってほしいと言う願いが胸の中で交わっていた。

「平和だねぇ…」

 口からこぼれた言葉は、安心からか、皮肉からか。散花自身にもわからなかった。

 散花も白玉団子を食んでいると、正面から耳無が歩いてくる。その足取りは飄々としており、頭を悩ませている散花にはとても気楽に見えて癪になった。

「遅かったじゃないか」

「面目ないね」

「あら、耳無さんいらっしゃい」

 耳無は、家から出てきたマチに申し訳なさそうに手を合わせる。

「マチ、今からつきたての餅が食べたいんだが、お願いできるかね」

「ええ、出来ますけど…」

「ありがとう、頼むよ。…時間がかかっても構わないから」

 含みのある耳無の言葉を受けたマチは、理由を聞くでもなく家に入っていった。そんな耳無の態度に参加は苛立ちを隠そうとせずに咎める。

「耳無さ、人払いならもっとやり方があるだろう。さっきといい、今といいさ」

散花の言葉などまるで耳に入っていないように、耳無は二人に言葉をこぼす。

「草薙さん、どうやら命に会ってる」

「そんな馬鹿な」

 耳無の言葉に散花は目を吊り上げる。

この村の外から来た人間が、命に会う。

そんなことはできないというのが散花の考えだった。

どうやら耳無にとっても同じだという事は、表情から読み取れた。耳無は顔を緩めながら言葉を発した。

「確証は、無いんだけどね。でも、この村にいる女の特徴を聞くときに、『白い着物』と聞いてきた。普通、聞くかね」

「そりゃそうだけでさ。命様が外にいるなんて話、聞いたことが…」

「確かに。だけど命をこの村の中で見たこともないじゃないか。全く、久しぶりに姿を現したと思ったら、何してるんだか」

 のんびりとした、懐かしむような話し方をする耳無に、散花は呆れて物が言えなかった。

 耳無と命の関係を散花は知らない。耳無に出会ったのはこの村に来てからだし、命にはそれ以前の時に会ったきりだ。ただ、命の話をするときの耳無の表情の穏やかさを散花は少しうらやましく感じている。

 それでも、いきなり現れた弥生に関係している命。散花にはどう考えても悪い予感しかしなかった。

「それよりも、当面の問題は草薙さんだよ。散花も見ただろう、やっこさんの持ち物を。そして、名前を」

 それは散花も気にかけていた。この村に入るとき、いくつか決まりごとがある。その中の一つが、『自身を表す物以外、持ち込めない』という決まりごとが全員に共通していた。

散花はいつも手に持っている扇子。標は身にまとっている白い着物そのものだった。

耳無に彼の持ち物を尋ねたところ「こんな物持ってきたくなかったんだけどね」と言われてしまい、それ以上聞く事が出来なかった。

 名前に関しても同じこと。

本名ではない、この村の中だけの名前。この名前は本人にとって、重要な意味を持つ言葉が、そのまま名前になっている。その名前は持ち物以上に聞きにくいことだ。

 それは名前の意味がすなわち禁忌に触れるからだ。

 散花も自分以外の名前の意味を知らない。『散花』にとって、この名前は。

「『草薙』って名前が、なんだって言うのさ」

 散花は考えることをやめ、耳無に尋ねる。自分の名前の事を考えるのはそんなにいい気持になることでは無い。耳無の反応を待った。

「昔からの言い伝えになるけどね。『草薙の剣』というのがあってね。怪物を倒したら、その中から出てきたんだって」

 耳無の言葉に散花は再び呆れてしまう。何を言い出すかと思えば、昔からある御伽話の心配などしていても仕方がない。

「偶然じゃないのかい。そんなことを考えてる暇があるなら、今後の事を考えないと」

「大丈夫だよ。やっこさんを抑える名前はあたしらが知ってる。いざとなったら二人がかりで…」

 耳無はそこで息を飲んだ。言葉の途中に散花が自分の着物の袖をまくり、腕を見せたからだ。先ほど弥生を止めている時、押さえた右腕を。

 白く細い散花の腕に、黒く波打つ筋が幾重にも這っている。弥生を抑えつけるために使った「力」が散花に返ってきた結果だった。

「それは、もしかしてさっきの時かい」

 わかり切った質問をする耳無に、散花はわざと目を合わせずに答える。

「そ。刀を落とすためだけの使った「力」でこれだよ。手のひら開かせるだけで、ね。「力」の説明の時に全部話しちゃったあたしが悪いんだけどさ。…だけど、本気で暴れられたら、全部跳ね返ってくる覚悟がないとあたしには止められない」

 散花の言葉に、耳無は押し黙る。無理もない。「物を離す」だけの事でこれだけの反発を食らう事なんて考えられない。

もし可能性があるならば、弥生がそれほどまでに刀に執着心を持っているか、弥生の持っている力が散花を圧倒的に上回っているか、そのどちらかしかないからだ。

「弥生は命が連れて来た。それだけの縁が弥生にはある」

 黙って白玉団子を頬張っていた標が、口を挟む。そして、また手の中にある椀に集中し始めた。散花は、その後に続くであろう標の言葉を待つも、しびれを切らして問う。

「標ちゃん、それはどういう事」

 耳無は言葉を受けて、陰鬱な表情で固まっている。

「ふぁよいだけじゃまい。ふぉれおりおおきにゃえにしんもちかじゅいてきゅてる」

「標ちゃん、白玉飲み込んで」

 標は、ゆっくりと咀嚼した後に白玉を飲み下す。

「弥生だけじゃない。それより大きな縁も近づいてきてる」

「だろうね」

 標の言葉に耳無はむっつりとした顔で同意する。

「怪我人が、あそこまで早く移動したがる理由なんて、自分を狙う追手が来ると相場が決まってるからね。本来なら、気にすることはないんだが…」

 耳無は、言葉の途中で標と目を合わせる。標はこくりと頷いた。

「やっぱりか」

「お二人さんで通じ合ってるところ悪いんだけどさ。状況の読めていないあたしにも説明しちゃくれないか」

 二人から置いてきぼりを食らった散花は歯噛みしながら二人に尋ねる。

「散花、頭悪い」

「そうだよ、標ちゃん。あたしは頭悪いの。だから、この通り。ね?」

 そんなにあっさりと、彼女が頭の悪いことを認めると思っていなかった標は、瞬きを重ねる。ひとつ咳払いをすると散花でもわかるよう、かみ砕いた説明を始める。

「弥生は、命がこの村に招き入れた。でも、怪我をした弥生を置いてきぼりにした。と、いう事は助けるつもりでここに招いたわけじゃない。だとしたら、追手が来ても命は関知しない。」

「つまり、あれかい。追手が来たら、普通にこの村に入って暴れられるってことかい」

「たぶん」

 必死に状況を理解するため、こめかみを指で刺激しながら話を聞いていた散花の隣で、耳無が補足する。二人の説明でやっと頭の整理がついた散花は急に慌てはじめる。

「そんなわけ…だって、この村に入れるのは…」

「お困りのようだな」

 散花の言葉を遮り、新たな声がする。はたと言葉を止めた散花は耳無と標の顔を見やる。無言での確認も、二人は首を横に振るだけだった。

「こっちだ、こっち」

 声のする、竹藪に目を向ける三人。そこに、誰もいない。その時点で三人には大体の目星は付いているのだが。

「上を見ろ」

 声のままに上を向く。ここからはほとんどお付き合いだった。案の定、竹藪の上部…二本の腕で竹と竹の間に挟まるようにつかまっている男が、三人を見下ろしていた。

 両手を緩め、竹を線路のように使い、するすると降りてくる男。その姿を確認すると、耳無は笑い声をあげ、散花はため息を吐き、標は白玉団子に視線を戻していた。

「…石割いしわり、いつからそんなところにいたんだい」

 地面に無事着地した男、石割に散花が声をかける。

「最初からだ。命が一人この村に入れたってところから聞いてる。名前は…えっと」

「『草薙』」

「そーだ、くさなぎだ」

 標がしれっと村での名前を伝える。これ以上弥生の本名が知れ渡るのは良いわけがない。そうは言っても、石割の力のことを考えると、本名を知っていたところで何も出来ないのだが。

 そんな心配をまるで気にしないように、石割はゆっくりと一歩一歩踏みしめるように竹藪から出てきた。大柄な耳無に比べ、少々小柄に見える石割。しかし全身を覆う筋肉の鎧は、服の上からでもわかるくらい太く、厚い。

「詳しい事はわからねぇ。だけど、結局は、その草薙ってのが居なければ万事解決。そうなんだろ」

「石割、そんな簡単な話じゃ…」

「確かに、そうかもしれないね。元々この村に人が入り込むこと自体が特殊なんだ。無理矢理居座ろうとしてるから、ここに置くことを考えていたが、出て行ってもらうのも手かもね」

 散花はあきれ顔で耳無を見る。さっきまで話していたこととはまるで違う。よくもまぁ、こんなに適当なことを並べ立てられるものだと感心していると、石割が素っ頓狂な声を上げる。

「そうだろ、そうだろ。たまには俺の考えも的を得るってもんだろ」

 満面の笑みで語る石割に、誰一人として訂正を入れない。正確には「的を射る」なのだが、それよりもすでに始まってしまっている思い込みを解くことを散花は考えていた。

「石割、それは早合点だって…」

「いやー、でもねー。相手は刀を持ってるんだよ。あたしや散花じゃ怖くて物も言えない。こんな時に、力に屈するしかないのか、と話していたんだが…どうしたものかねー。刀を持った相手に立ち向かう、勇気のあるものはおらんかねー」

 耳無の言葉は棒読みで、ところどころ堪えきれずに笑いをかみ殺している。さすがに気付いてほしい。そんな散花の淡い願いを石播は平然と踏み抜いた。

「刀がなんだってんだ。そんな力に物を言わせて、俺らの平穏な日々を奪う。そんな太ぇ輩は、俺が成敗してやる」

 いっそ緩慢に見える動きで、拳を天に指す石割。完全に乗せられていることに気づきもせず、太陽を見上げるその姿は、いっそ清々しくもあった。

「だからよ、散花…俺がもし、草薙の野郎を追い出して、村の平和を守ったら…その、あの…。所帯を持ってくれないか」

石割の告白に、散花はわざとらしくため息を吐く。と、言うのも、この告白が九十八回目のそれだったからだ。過去の例を挙げてみると…「散花の好きな花を取ってきたら所帯を」「裏の掃除をするから所帯を」「天気がいいから所帯を」最後に至っては、理由ですらなかった。

「またかい。そういうのそろそろ…」

「いいや、答えは、草薙を追い出してからだな」

「おぉ、石割ならやってくれると思ってたよ」

 耳無は先ほどから石割を焚き付けるために口を挟む。石割が暴走したら止まらないことは充分に承知しているはずなのに、だ。

「当たり前だ。それじゃ、言ってくる。散花、吉報を待っていてくれ」

 大地を踏みしめ、ずんずん進んで行く石割。その後ろ姿に開いた口も塞がらずにかける言葉もない散花だった。

正確に言うと、石割の告白を散花は一度たりとも断っていない。適当にあしらっているせいだが、それよりも石割の方が勝手に空回り、一人で落ち込み、「まだまだお前を養う資格はない」などと言い、石割の方から取り下げているのだった。

さて、今回「弥生を追い出す」という過去最高難易度の条件を自ら付けた石割だが、結果は果たして…。

さて、石割を焚き付け、散花の頭痛の種となった男、耳無はというと、暢気に腰かけに座り、標と並んで散花が食べていた白玉団子を食んでいた。

「耳無あんたどういうつもりだい」

「ごめん。白玉がおいしそうだったから、つい。悪気はないんだよ」

 白玉なんかどうでもいい。散花は口だけ笑いながら耳無に諭すように言った。

「耳無さん、あなたは、なんで、石割を焚き付けたのか。納得のいく説明をしてもらおうかねぇ」

 一言一言を強調し、笑みを浮かべながら迫る散花に耳無はうすら寒いものを感じているようだった。しかし、やってしまった事は戻らない。白玉団子を食べ続けながら、散花に答えた。

「草薙さんの性格と腕を知るために石割をぶつけておくのも良いと思ってね。確かに石割は馬鹿だが…いや、馬鹿だからこそ、こういう出会い方の方が仲良くなれるかなってね」

「だからって、石割が斬られたらどうすんのさ」

 散花の言葉に耳無は顔をこわばらせ、冷や汗を流す。どうやらそのことは考えていなかった様子だ。

「今からなら間に合うから、石割を止めてくる」

「大丈夫」

 今までのやり取りを見守っていた標が、石割の進んで行った方向を眺めながらつぶやいた。

「あの人は、そんなに野蛮じゃない。そうだとしたら、私は手当なんかしない。それに…」

 標はさも弥生の事を知っているような口振りで話す。…昨日初めて会ったのではないのか。散花の頭に疑問が浮かぶ。そして続く言葉を待った。

「それに、白玉がまだ残ってる」

 標の言葉に、先ほどの石割との会話が、最期になることを覚悟した散花だった。

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