第6話

「うわぁぁぁ!助けてくれぇー!」


「嫌ぁぁぁ!」


 近づくたびに増える悲鳴に、隊員は皆不安と焦りを露わにする。普通に歩けば10分はかかる道を、物の1分で駆けつけた。


 そこに広がっていたのは、嵐が通り過ぎ去った後を思わせるほど崩れている建物と、地面にへばりついて血を流している人間と、その人間の首筋に噛み付いているデーモンのペアの大群だった。


「なっ……!」


「なんで、こんなにも鬼が…?」


 隊員は唖然とした表情で、目の前の光景を見つめていた。


 本来、鬼は群れを作らない。個人でいるのが当たり前だ。にもかかわらず、今、目の前にいる鬼は行動を周りに合わせている。


 状況が飲み込めない隊員は、最初こそ立ち尽くすだけだったが、


「全員、任務ミッションスタート!」


 咲梨隊さくりたい隊長の耀祐ようすけの声を合図に、一斉に四方八方に駆け出した。


 結庵ゆいあは走りながら腰の剣を抜き取り、距離が近づいている鬼に向かって振る。


「はぁぁぁっ!」


 弧を描いた刃は鬼の首と胴体を綺麗に切り分ける。


「ガグァァッ!」


 繋がりを失った鬼は血を噴き出して倒れる。


 鬼が噛み付いていた人間も地面に横たわり、息を吹き返す。


 結庵は走りを止めずに突き進む。くれないの瞳に鋭い光を宿らせて。


 そして近くの鬼を、ステップを踏むような軽やかさで切っていく。まるで、通り道の障害物を破壊するように。


 やがて、彼女は自身の視界に鬼が見えなくなったことを確認して足を止める。


 そうして振り返ると、自分が来た道の鬼は全ては塵と化し、襲ってくる対象がいなくなった人間だけが倒れていた。ふぅ、と一息ついてから、結庵は再び走り出す。


 一方、咲梨隊の他の隊員も成果を上げていた。


 将真しょうまも剣を手に、襲いかかってくる鬼を直立態勢のまま、物ともせずに切り裂いていく。


 この場にいるほとんどの鬼は、あまり知能がない、いわば単純な鬼だ。奴らは真正面から襲うことしか出来ない。そんな奴を殺すのは簡単だ。


 だが、これほどにも群れを作れるならば、それなりに強い鬼は、やはりいた。


 そいつらは手のひらをかざして術式を使い、火や水を出す。決まった形のないそれらをこねくり回して、将真に向けて放つ。が、将真は空いている左手で盾を生み出し、難なく攻撃を避ける。


 そして、鬼が魔力を一度ゼロにした瞬間、踏み込んでその体を真っ二つに裂いていく。あっという間に、将真の周りの鬼は塵になる。


 将真の紫眼しがんには、また新たな鬼が映し出される。ただ爪を突きつけて走ってくる鬼に向かって、将真も正面から駆けていった。


 また、宮美みやびは剣を持っていなかった。手ぶらの状態で鬼を待ち受ける。チャンスだとばかりに、鬼は橙眼とうがんの宮美を標的にする。彼女を正面から襲おうと、なんの疑いもなしで突っ込んでいく。


 そんな彼らに手のひらを向けて、宮美は両手をかざした。そして唱える。


「〈緑化・成長グリーニング・クローズ〉!」


 すると、宮美の声に誘われて、黒いアスファルトの裂け目から小さな木の枝が出てきて、空へ伸びていく。と同時に幹が太くなっていき、あっという間に大樹の枝となる。まるで、何十年分の成長を一気にしたかのように。


 そして、枝は蔓のようにくねくねと蠢きながら、走る鬼を絡めとった。


「ッッッ!」


 腕、足、胴体に巻き付いた枝は、鬼をキツく締め上げていく。


「ッガァァァッ!」


 苦しみもがきながら、鬼達はなんとか枝を解こうとする。が、太いそれは取れることなく、むしろ増えていく。


 とうとう身動きが取れなくなった鬼に、宮美はトドメを刺していく。もう何本かの枝を地面から出させ、先端を鋭く尖った形に作り上げる。その鋭利な先を鬼の胸めがけて伸ばした。


「グガァァァッ!」


 心臓を貫かれた鬼は叫び声を上げ、鮮血を噴き出す。真っ赤な液体は鬼の胸からほとばしり、その量が増えるほど鬼は生力を失っていく。


 やがて、胸を刺された鬼はぐったりとうな垂れ、目を二度と開かなくなる。


 同じ方法で、宮美はどんどん鬼を削っていく。彼女の前には、血の海が広がっていった。


 そして、隊長である耀祐は1匹の鬼と向け合っていた。腰に刺さった剣の柄を握った状態で、目の前の生き物と睨み合う。


 銀髪に白眼はくがんの姿で。


「お前が、指導者リーダーだな?」


 その質問に対して、鬼は微かな笑みを浮かべた。顔を上げて見下すような角度を作った時、額のツノがキラッと光りを反射する。真っ黒に青色の模様が入ったツノだった。


「ああ、そうだよ。そう言うテメェも、この戦いの指導者だろ?」


「そうだ」


 耀祐は表情ひとつ変えない。一言一言が冷静で、冷ややかであり威圧的だ。それに対し、鬼は面白そうに笑う。


「だったらこんな話なんかしてねぇでさっさと戦ったらどうだ?その剣でも抜いてよぉ」


「俺は無意味な戦いをする気はない」


 耀祐の言葉に、鬼はピクッと動かそうとしていた指を止めた。


「となると、話し合いでもして解決しようってかぁ?」


「できるならそうしたい」


 真面目に頷く耀祐を、鬼はハッと鼻で笑う。 


「んなこと叶うと思ってんのかよ、隊長さん!」


 そう言い終わらないうちに、鬼は地面を蹴っていた。とてつもない速さで、耀祐との距離を一気に縮める。


 そして、右手を耀祐に伸ばし、手のひらに水の弾丸をいくつも作り出す。


「やはりこうなるか…」


 対して、襲ってくる鬼を冷静に見つめながら耀祐は呟いた。鬼よりも少し遅れて踏み込み、空を駆ける。


「ならばこちらも剣を抜くまでだ」


 そして腰の剣を鬼に向ける。月の明かりで仄かな銀色を帯びる刃が、鬼の頭部に伸びる。しかし。


「んなの意味ねぇよ!」


 耀祐の剣が鬼を斬るよりも、鬼が弾丸を放つ方が早かった。


「〈水化アクア攻撃アタック〉!」


 途端、鬼の掌から小さな弾丸が発射する。それらは銃弾ほどの勢いで耀祐に襲い掛かる。


「ッッッ!」


 耀祐は盾を展開すべく片手をかざしたが、それよりも弾丸が迫るほうが速い。そのスピードはどんどん増していき、また弾丸の量も増える。


「ッッッくっ!」


 耀祐は奥歯を噛んで手を下ろした。そんな彼の体を青い弾丸が覆い尽くした。米粒ほどの水玉が耀祐の体に纏わり付き、自由を奪う。


 全身が青に染まった耀祐を見て、鬼は笑い声を上げた。


「ハハハハハッ!動けないだろ、攻撃できないだろ?」


 背中をのけぞって、鬼は笑い続ける。


「これでお前はあっさり殺されちまう」


 だが、その余裕はあっという間に消え去った。


 耀祐の体から、ジジッと機械にも似た音が鳴り出す。そして次の瞬間、バチンッッと派手な音を出して、閃光が飛び出た。その白い電気は、耀祐の周りの水の弾丸を刺激する。すると、水玉はあっという間に気体となり、空気中に散ってしまった。


「なっ!」


 あまりにも唐突な状況に、鬼は唖然とする。


 元々は弾丸だった白いモヤの中から、涼しげな表情をした耀祐が出てきた。彼の体は電気を帯び、時折、火花がところどころで散っている。


 傷ひとつついていない耀祐に、鬼は動揺を隠しきれなかった。


「な、な、なんでお前はそんなダメージを受けてねぇんだ?」


「何、簡単なことだ」


 耀祐は薄く笑った。さっき鬼が見せたものとは違う、何処か冷酷で恐怖さえ感じさせる笑みを浮かべる。


「たかが、水の玉だ。あんなもの、電気分解すれば一瞬で気体になる」


「クッッ!」


 鬼は悔しげに顔をしかめた。


 そうだ、こいつは電気使い。水を蒸発させるなんて朝飯前じゃねえか。


 戦う相手を間違えたことに、今更ながら嘆く。攻撃を消しかけてこない鬼に、耀祐は煽るように言った。


「もうギブアップか?なら、これで終わらせてやろう」


 耀祐は剣を空高くまで掲げた。彼は目を閉じて唱える。


「〈電化ダンダー攻撃アタック 閃光の大龍フラッシャードラッヘ〉!」


 途端、剣先からいくつもの閃光がほとばしり、無数のそれらは合わさって一つの個体となり、月夜に昇る龍の形に。月光に晒された閃光は、月と同じ淡い銀色で夜空を透かしていく。


 龍は、空から戦場を見下ろす。そして、鬼の姿を捉えると、白い瞳を真っ赤な、それこそ炎のような色に染めた。


 龍は鬼に向かって口を大きく開き、獲物に噛み付く勢いで下降する。


 鬼の瞳が電撃の龍を映し出す。このままでは、自分は確実に龍に呑まれる。しかし、鬼の体は金縛りにあったかのように動かなくなった。動けと脳が命令することすらはばかられ、鬼はただ空を見上げている。


 そして龍と鬼はぶつかった。


「グァガァァァッッッ!」


 鬼の体に、凄まじい電撃が走った。龍は鬼に当たった途端散り散りにバラけ、強力な電気だけを鬼の体に残していく。


 幾重もの閃光を受けた勢いと、龍が降りてきた勢いをまともに受けた鬼は、その場から弾き飛ばされる。空中を力なく飛ぶ姿は、焼け焦げた肉の塊のようだった。


 鬼は何十メートルも先で地面に叩きつけられる。先ほどまで鬼がいた場所は、黒く焼け焦げて窪んだり、抉れていた。


 派手な術式と力を使ったため、辺りの家から舞い上がった砂埃が周囲を包んでいた。


 また、激しく焼かれたアスファルトからも煙が立ち込める。


 香ばしい匂いを漂わせている煙の中で、鬼の意識は戻った。ぼんやりとした視界が鮮明になっていき、五感も戻ってくる。


 そうだ、俺、人間にやられて……。


「がはっ!」


 鬼は勢いよく起き上がった。ハァハァッと荒い息を吐き、自身の体を見る。


 ほとんど黒焦げている肌、傷ついて血が流れている足、痛みが走っている腕。まともに攻撃を受けてしまったからか、ひどい怪我だ。もうこれでは戦えない。


 人間の力を甘く見ていた。


「くそっ!が人間なんて強くないって言うから…」


 そんなことは大嘘だ。人間は、あの男は強かった。凄まじく強力な術式を持っていた。あんなのは見たことがない。


「話が違うじゃねぇかよ」


 鬼は毒づいた。


 だが、今はあいつを憎んでいる暇はない。戦えない体となった今、鬼ができることは逃げるだけだった。


 立てない足の代わりに、腕の力だけで地面を這い進む。辺りは煙に巻かれて見えない。でも、それは相手も同じはず。だったらチャンスだ。


 鬼は必死に手足を動かした。ズリ、ズリ…と体を引きずるたびに、足の皮は悲鳴をあげて破れる。腕には体重がかかって痛み出す。それでも命懸けで鬼は地面を進む。


 しかし、何メートルか前進したところで、コツンと手に何かが当たった。


「?」


 黒くて、硬いような柔らかいようなもの。


 何だ?と顔を近づけようとした時、丁度煙が晴れてきた。そのおかげで、自分が何を触っていたのか見えて来る。


「ッッッ!」


 それは人間の足だった。鬼の顔から冷や汗が噴き出る。そして、恐る恐る顔を上げた。靴、太もも、腰、胸ときて、最後に顔が露わになる。


 そこにいたのは、結庵だった。彼女は冷ややかな目つきで鬼を見下ろしている。


「あっ…」


 靴の持ち主が女だったと分かった時、鬼は自分がどんな体勢なのか改めて考え、焦った。鬼の視線は、結の、丁度太ももと短パンの付け根に注がれる。


「……」


 鬼は黙り込んで、動きを固める。対して結は眉をひそめた後、右足を振り上げた。そして。


「へ・ん・た・い!」


 強烈な蹴りを、鬼の顎にお見舞いした。ガツンッと骨が折れ、鬼の体は後方へ飛ばされる。


 ようやく進んだにも関わらず、鬼は耀祐の攻撃を受けた時よりももっと遠くへ飛んでいった。


「グガァァ!」


 脳が揺れて目の前が暗くなり、一瞬意識が吹っ飛ぶ。強い衝撃が顎に当たったことで、脳震盪を起こしたのだ。


 鬼が再び目覚めた時、結庵はすでに鬼の目の前にいた。紅色の瞳に自分が映っていることを確認した鬼は、自嘲するように細く笑い、言う。


「殺せ」


 そんな鬼を、結庵は静かに見つめていた。


「殺せよ」


 鬼は目を瞑ってもう一度言う。今度の声は結に届いたのか、彼女は腰から剣を抜いて鬼に歩み寄った。そして、両手で柄を握りしめ、切っ先を鬼の心臓に向ける。


「さようなら」


 言うなり、結庵は腕を振り上げて勢いをつけ、鬼の心臓に剣を刺そうとした。


「やめろ」


 突如として聞こえた声に、結は腕の動きを止めた。鬼の胸の数センチ上で剣先を止めたまま、顔だけを横に向ける。


「何故ですか、隊長?」


 表情を変えず、結庵は尋ねた。彼女の声色に乗せられた感情を感じ取った耀祐は答える。


「別に情けをかけているわけじゃない。ただ、そいつを捕虜とするだけだ」


「捕虜に?」


「ああ。これほどの群れを作るなら、そいつの上にもっと強力な鬼がいる。その情報を聞き出すために、そいつは必要だ」


「…分かりました」


 結庵は剣を腰に収め、鬼の額に人差し指を伸ばした。


「これぐらいにしといてあげるよ」


 トンっと鬼に軽くぶつけた結庵の人差し指から、小さく銀色の火花が散る。その小さな電気は、鬼の頭に吸い込まれるように流れていった。


 パチンっと渇いた音がした時、鬼の目は閉じられ、その体から力が抜けていった。ぐったりと横たわる鬼から手を離した結庵は、ゆっくりと後退する。


「それで、この鬼を連れて行くんですか?」


「ああ、そうだ」 

 

 耀祐は頷き、処理部隊を呼んだ。彼らに状況を説明し、鬼を運ぶよう命じる。


 結庵は後ろを振り返った。そこには、瓦礫となった建物と、倒れる人々と、その人たちを看病する数々の部隊がいた。鬼はもうどこにもいない。


「任務終了か」


「そうだな」


 2人は並んでしばらくその光景を見つめた。とりあえず、ここ最近問題になっていた鬼はいなくなった。後の始末は他の部隊にまかせれば良い。


「ああーっ、終わりましたね」


 宮美が伸びをしながらやってくる。彼女には、服だけでなく髪の毛にまで真っ赤な液体がこびりついていた。その正体は、深く考えずとも分かる。


 さらに、その背後には鬼の串刺しの山。何も知らない人から見れば、相当シュールな光景だろうな。


 ……ったく、なにが「治癒女神」なんだか。言うならばあれだ、「死神」だ。あっちの方が絶対にあってる。


 なんてことを言ったら、宮美に殺されそうな勢いで詰め寄られるから黙ってるけど。


「先輩の電撃、すごかったですよ!」


「あーはいはい、ありがとね」


 興奮気味の宮美に対して、結庵は生返事で返す。その反応に宮美はムスッと頬を膨らませた。そんな彼女を見て、結庵は笑いながら髪を撫でる。


「お疲れ様です、隊長」 


 将真も耀祐に労いの言葉をかけていた。


「将真もよく頑張ったな」


 耀祐に褒められ、将真はどこか嬉しそうだった。任務が無事終わって和気藹々としている彼らの無線に、真莉紗まりさの声が入る。


『みんなお疲れ。後は他の部隊に任せるから、みんなは戻ってきてね』


「了解」


 無線機に指を当て、声を揃えて言った。


 そして咲梨隊の隊員は、戦場だった地を後にして歩き出した。頼れる彼らの背中を、眩い朝日の一筋が照らしていた。

 

 

 

 

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