第5話


 「このあたりかな…」


 退院してから数日後。大学への連絡やスマホを買いなおすなど諸々のことを終わらせた俺は、紙片に書かれていた住所に向かっていた。


 「にしても、肌寒くなってきたなぁ」


 事故に遭ったのが9月のことで、今やもう10月。湿気が強いうえに、しつこいくらいの残暑を誇る日本でも、さすがに秋の気配がしてきた。


 地図アプリに従って歩いていくと、ただでさえ少ない人通りがどんどん少なくなっていく。


 人通りが少ないのは俺が住んでいるのが田舎ということに加えて、今が平日の真昼間だからだろう。


 歩いていくと見えてきた公園にも、誰もいない。


 忘れものだろうか。小さめの薄汚いサッカーボールが転がっている。


 この時間帯にしたのは特段、論理的な理由があるわけじゃない。ただ、なんとなく人に見られたくないと思っただけだ。


 手元で光る地図アプリは、目的地が近いことを示していた。そのことに少しだけ緊張しながらも歩みを進めていく。


 公園の脇を通り過ぎ、大通りの上にかかった橋を渡ると、道の両側に官舎らしき建物が見えてきた。


 両方とも人は住んでいないのか、荒れていた。


 レンガが敷き詰められた道も、ひどくガタついている。


 左手の官舎はあまり古くはないようだ。小豆色の壁はそれほど傷んでいるようには見えない。とはいえ、人が住まなくなって久しいのか、カーテンのついている窓は一つもなく、ベランダの手すりは塗装が剥げて白く見えた。


 右手の官舎は、左手のものに比べてずいぶんと大きい。最近のマンションと比べてもそん色ないほどの大きさだ。


 しかし、年季の入り方は左手のものとは一線を画している。


 何しろ、もとは白かったであろう壁は真っ黒に汚れきっており、窓についている手すりや非常階段は錆びだらけで、崩れかかっている所もあった。


 (うわあ~、マジでここ?)


 信じがたいことに、目的地はこの右手の官舎らしい。


 いや、まあ古びた建物であるということはまだいい。問題はそこじゃない。


 「思いっきりバリケードあるじゃん」


 さすがに近隣住民も、このほったらかしにされた官舎を危ないと感じているのだろう。ここまで荒れ果ててしまえば、動物だって入り込むだろうし、ホームレスなんかにとっては格好の住処だ。


 (さすがに、やめといたほうがいいかな…)


 一瞬、帰ろうかとも思った。


 今すぐ家に帰って、化け物からもらった紙片を粉々にして捨て、布団をかぶってしまえば、楽になれるだろうか。


 感覚が鋭くなったことだって、別に不便があるわけじゃない。


 「でも…、気になる、よなあ」


 今でもはっきりと思い出せる。


 蛇に似た鱗と、闇の中でこちらを見つめる黄金色の瞳。


 不思議な声と、それが作り出す奇妙な親近感。


 「…うん、行こう」


 口に出して気合を入れると、俺はさっと周りを見渡し誰もいないことを確認すると、バリケードの脇に設けられた扉に手をかけた。


 扉にはもちろん、「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙がされていた。


 鍵がかかっているかとも思ったが、意外なことにあっさりと扉は開いた。驚いて内側のドアノブを見てみると、その部分だけが真っ黒に錆びついていた。


 (どうなってるんだ…?)


 不思議には思ったが、いつまでも扉を開けっぱにしておくのもまずい。


 人が来る前に俺は素早く扉を閉めた。


 バリケードの内側は予想通りというべきか。雑草が生い茂り、中には草どころではなく木になりかけているような勇ましいものあった。


 運動靴で来てよかったと思いながらも、俺は官舎に向かっていった。


 


















◆◆◆


 


















 (地元でもこういうところはあったけど、規模が違うなあ)


 この辺一帯はもともと、森林が広がっていた地域らしい。そこを一気に開拓したものだから、古い建物は駅の近くであろうとも基本的に大きくなっている。


 俺が通っている大学も無駄に大きい施設が目立つ。


 まあ、俺は実験とかない学部だから大きかろうが小さかろうが、どっちでもいいんだが。


 膝に届きそうな雑草たちを踏み分けていくと、開いたままになっている官舎の扉が見えてきた。


 重そうなその扉はもちろん錆びついているのだが、その奥で何かが光ったように見えた。


 訝しく思いながらも進み、官舎の中に入った。中は日光が入ってきているとはいえ薄暗く、どこか寂しい雰囲気をしていた。


 ロビーのようなその場所はガランとしており、ソファのような家具類は一切ない。左手にエレベーターの扉があり、その隣に打ち付けてある掲示板には黄ばんだ紙が一枚だけ貼ってあった。


 右手の奥には階段があり、あの辺りからさっきの光は見えたような気がした。


 (エレベーターは、まあ動いてるわけないか)


 とりあえず階段を上がろうと思った瞬間、なんの前触れもなくは聞こえてきた。


 ”やあ、君は夏目仁くんかね?”


 「っ!、そう、ですけど」


 例の、シュー、シューという音だ。


 この前聞いたものよりもいくぶんか低く、濁っているようにも聞こえた。


 ”着いてきたまえ”


 声がそう言うと同時に、官舎に入る前に見た光が階段の踊り場のあたりに瞬いて見えた。


 目を凝らしてみると、踊り場にいたのは一匹の蛇であった。


 


 


 


 
















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