第5話「休日返上、大捜査線」
まだ明けきらない空は、紫色が霞んで見える。
エリンを伴って外へ出ると、僕は思いっきり伸びをした。
春早い空気はまだ冷たく、夢見がちな身体が目覚めていく。
「日曜日に、こんな早く起きたのなんて、いつ以来だろう」
「なあ、総ちゃん。午後からにしないか?」
エリンが頭の上で、眠そうに言う。
その甘言に乗せられそうになる。
「早く解決しないと、あの娘は記憶の全てを失うぞ」
門から声が聞こえた。
鉄格子を開けると、門柱にウェルバルトが背中を預けて立っていた。
昨日と同じ『道士』のコスプレだ。
「おはよう」
僕は挨拶したが、ウェルバルトは片目を開けただけで右の方へと歩き出した。
「記憶が無くなるってどういうこと?」
彼女に並びながら訊いた。
「気になって、昨日ワシの先輩に意見を求めてみたのじゃ」
「へえ、先輩ね……」
「マンデーシープは記憶の塊。基本的に触れただけで、データのやりとりが発生するというのじゃ」
僕はエリンを見上げた――が、見えない。
出来るだけ、上へ向ける。
やっとあごの下辺りが視界に入った。
「エリンはそんなことないみたいだけど?」
「そいつのことも報告したが、ぜひ先輩も見てみたいとおっしゃってた。しゃべるだけではなく、眠るシープも珍しいらしい」
「ウェルバルトの先輩なんだから、きっと凄い年寄りなんだろうね」
方向性の違う話題を振ってみた。
ウェルバルトが横目で睨んだ。
「そんなことを本人の前で言ったら、ぶっとばされるぞ」
「へ……へえ――」
ウェルバルトは身震いしながら言った。
どうやら本気で恐れているようだ。
逆に興味がわく。
「話を戻すぞ。昨日、宇道にモロフはくっついていた」
「うん」
「一度憑くと道筋が出来る」
「つまり、今もモロフは宇道さんと一緒――という可能性があるのか」
ウェルバルトが頷いた。
「既に記憶の操作がされていてもおかしくないのじゃ」
宇道さんに会った本大蔵町駅から、下り電車に乗る。
日曜の早朝だ。
人目を気にしなくて良いのが幸いであった。
小さい『道士』を引き連れた僕はどう映るんだろう。
本大蔵町駅の一つ前に大きい駅があるため、乗客のほとんどはそこで降りてしまう。
到着した車内に乗客は少ない。
席はまばらに散っているが、空いているからこそ目立つ服は注目を浴びる。
ちらちらと視線を感じる。
決して膝の上のエリンではないのは確かだ。
「なんじゃ?」
僕の視線に気付いて、ウェルバルトが訊いた。
「ウェルバルトの個人情報って訊いてもいいのか?」
「女にプライベートを訊くもんじゃないぞ」
「だよねえ――」
エリンが僕の膝に横たわり、心地良さそうな寝息を立てている。
「事件が終わった後に、転校してくるなよ」
「ん?」
「よくあるじゃないか。別れた後に、『あいつ、どうしてるんだろ』と思ったら、転校生として再会。で、変な部を作って、一緒に活動する――なんてね」
ウェルバルトが薄く笑った。
「それはないから、安心せい」
「そうか――無いのか……」
「残念そうじゃの」
「ちょっとね」
この事件が終わったら会うことがないというのは、正直言えば寂しいな――とは思えていた。
――付き合いが続いてても問題あるけどね。
「おぬし、母親と二人暮らしじゃったか――」
唐突にウェルバルトが言った。
男にはプライベートは無いのか。
――いや、無いよね。
僕は普通に答えることにした。
「父さんは小さい頃に失踪しちゃって」
「そうか――」
「全く覚えてないんだけどね。そのゴタゴタの時に、この町にいたのだけは覚えてる」
「前は別の所におったのか?」
「東京の方で暮らしてた。あの家はおばあちゃん家で、当時はまだ生きてたんだ」
「亡くなられたのか?」
僕は頷いた。
「中学に入って直ぐ。家を引き継ぐ形で引っ越してきたんだ」
その時に知ったのだが、おばあちゃんは父さんの母親だったのだ。
母さんと仲が良かったし、僕にも優しかったから、普通に受け入れていて気付かなかった。
家の相続も特に揉めなかったと聞いた。
「こんな古い町によく来る気になったな」
「前にいた時に、優しかった覚えがあって――」
「父親がいなくなった頃……か」
「近所に僕と遊んでくれるお姉さんがいたんだ」
これは母さんの受け売りだ。
女子高生のお姉さんが帰ってくるのを、玄関先で待っていたのよ――と、幼いストーカーぶりをお母さんは笑って言うのだ。
――その変態性には全く覚えがない。
だが、心の平穏を保てたのは、そのおかげだったのだと、僕は思っている。
「そのせいかな。ここが優しい町だって思えるのは――」
しみじみ言った時、エリンが目の前に浮かんでいた。
「うわっ」
「総ちゃん――?」
「はい――?」
エリンは何も言わず、じっと見つめている。
その視線の強さに、目を逸らてしまう。
「そろそろ駅だ。降りるぞ」
ウェルバルトは言うと、不思議そうな顔で立ち上がった。
恐らく僕も同じ顔をしていただろう。
当のエリンは何も言わず、また僕の頭の上に戻った。
本当に、何だったのだろう……?
僕の疑問が片付く暇もなく、電車は降車駅へと着いた。
駅間は長いが、たった二駅だ。町の印象はそれほど変わらない。
高いマンションや、デパートは本大蔵町駅より多いが、駅から離れた所にあり、妙な空間があった。
朝の澄んだ空がそこから高く見えた。
中学の時に、友達の一人が航空機ファンで、ここにある航空自衛隊の航空祭に行こうと誘われていたことを思い出した。
約束は果たされないままであった。
「なんか覚えがあるよ、この辺」
エリンがはしゃいでいる。
おかげで僕は物思いから覚醒した。
「そうなんだ」
エリンは頷くと、右を見て、
「こっちは全く違うけど、あっちは知ってるよ」
と、僕の前を通り過ぎて、左へ飛んでいった。
再開発中の右側と比べ、左側は繁華街でありながら古臭さを感じた。
エリンは町並みを味わうようにフラフラと飛んでいる。
「あいつもマンデーシープ。誰かの記憶の塊じゃからな」
「はぐれシープ?」
「――というより、特殊シープじゃな」
ウェルバルトが言いよどんだ理由は分かる。
「つまり、エリンの本体は……」
「もう、この世にはいない――ってことじゃろう」
そうなってしまうのだ。
エリンが勢い良く、戻ってきた。
僕は顔にぶつかる前に、そのピンクの身体をキャッチした。
「ねえねえ、あっちに植物園ある?」
「植物園?」
「あるぞ。小さな園芸店みたいのがな」
答えたのはウェルバルトであった。
「そうそう、それ」
エリンが嬉しそうに答えた。
そのまま顔をそちらへ向けたまま、じっと見ていた。
きっと良い思い出があるのだろう。
「また今度、来ようよ」
「うん――」
僕の提案にエリンが頷いた。
歩き出したウェルバルトを追う。
歩道橋へ向かう。
目的地は渡った先の新興住宅街だ。
エリンが後ろ髪を引かれるように、後ろをちらちらと見ている。
ピンクの『羊』の横顔は、優しげな表情を浮かべていた。
誰かの記憶――。
改めて、僕はエリンにそれを意識させられた。
歩道橋を濃くなってきた太陽が照らし始めていた。
* * *
それから、数分後。
僕たちは目的地にたどり着いた。
「ここだね」
メモを見るまでもなく、表札には筆書体で『宇道』と彫られていた。
「萬田総助――」
「ん?」
「呼び出せ」
「――――!」
僕は家を見上げた。
手の位置に呼び鈴がある。
伸ばせば鳴らせる。
だけど――
「どう考えても無理――」
「なぜじゃ?」
ウェルバルトが、断る理由が全く分からない――というように訊いてきた。
「ただの同級生が、朝早く訪ねて来るっておかしいでしょ」
「仕事じゃろ」
「僕のじゃない」
「同じじゃ」
横で腕を組んだまま言い切った。
この問答は譲る気がないらしい。
観点を変えて、攻めてみる。
「君の背中のマンデーシープを見せて――なんて言えるか? うん、これは悪い奴だから、封じて連れてくね――なんて……」
「ワシは言えるぞ。だから、おぬしもそのまま言えばよい」
「簡単に言うな……?」
――エリンがいない。
辺りを見回してみると、上方から声がした。
「総ちゃん、女の子はいないようだぞ」
ふわふわと二階辺りから、下りて来る。
「何してるの。君だって狙われてるんだから、一人で動かない」
「わたしが狙われてる? 何で?」
「え?」
「しょうがないぞ。シープには、記憶は積み重ならないのじゃ」
ウェルバルトが小声で言った。
確かに思い当たる節はある。
だけど、何かが引っ掛かった。それでは説明のつかないことが、エリンにはある。
エリンが頭に乗った。
たいして重みがないから、いなくなっても気付かないのだ。
「あら?」
ドアが開いていた。
僕はしゃっくりと返事を併せたような声を上げてしまった。
「咲のお友達?」
宇道さんの母親のようだ。どこか面影が似ている。
パジャマにカーディガンを羽織っただけの姿だから、新聞を取りに来たのだろう。
「あ――……と――」
僕は直視して良いのか――まずそこに迷いがあって、うまいことを語れずにいた。
「すいません、朝早くから。咲さんは、いらっしゃいます?」
横からよそいきの声が聞こえた。
ウェルバルトであった。
表情もそれに合わせた顔付きをしている。
そうしていると、年齢印象ががくんと下がる。
――っていうか、女って恐い。
「ごめんなさい。咲はついさっき出かけたの」
「出かけた? どちらへ?」
エリンの寝息が、頭の上でしている。
――好い気なもんだ。
「友達の家へ行くって……」
「友達って?」
「確か、佐原崎さんかな」
ちらっとウェルバルトが僕を見た。
その意味は『知っているか』だろう。
「佐原崎香澄?」
「そう。その子」
佐原崎は、中学が一緒だから知っている。
僕はウェルバルトへ頷いた。
「分かりました。じゃあ佐原崎さんの家に行ってみます」
「こんなに早起きじゃなかったんだけどね、あの子」
宇道さんの母親がふと言った。
「他に変わったことはありませんでした?」
「そういえば――昨日の晩御飯は、あの子の好きなグラタンだったんだけど、ほとんど手をつけなかったわね」
あまり聞きたくなかった情報であった。
人格が変わってきている可能性があるからだ。
ウェルバルトが、宇道さんの母親に笑顔を見せた。
「ありがとうございました。失礼します」
返事を待たずに、ウェルバルトが歩き出してしまった。
「もし会えたら、夕飯までには帰るように言ってもらえます?」
「分かりました」
僕は答えてから頭を下げ、ウェルバルトを追いかけた。
「モロフじゃな」
元のエージェントに戻っている。
――切り替えが早い。
ウェルバルトの横顔も引き締まっている。
一気に年齢が上がって、見た目と雰囲気のギャップが戻っていた。
「どうした?」
「いや。普通に話しできるんだなって、思って」
「ワシは普通じゃ」
憤慨するウェルバルトと共に、僕らは駅へ急いだ。
* * *
三十分後、本大蔵町駅へ戻ってきた。
「どっかですれ違ったんじゃの」
「電車同士でね」
バスロータリーとは反対の方へ。
「佐原崎は僕と中学が一緒で、学級新聞を作る時に行ったことがある」
学区ぎりぎりの位置だ。
記憶を元に、迷うことなくたどり着いた。
こちらは古い町並みが売りの町内において、比較的新しい住宅街だ。
暮らしの必需品である自動車を、駐車できるスペースが必ずある。庭も広く、真っ直ぐ伸びた道路には、はみ出すような緑が覗き見える。
佐原崎の家はその通りの中ほどにあった。
壁の白い二階建てで、玄関先までせり出した屋根や、出窓など、中学の僕は、その家に、どこか立体的な印象を抱いていた。
今見ても変わらない。
レンガ造りの門柱に表札とインターホンがあった。
僕は何気にボタンを押していた。
色々と油断があったことを、この時点では全く気付いていなかった。
きっと宇道さんの自宅訪問が終わって安心しきっていたのだろう。
「あれ? 萬田くん? どうしたの?」
インターホン越しの佐原崎の声でやっと我に返っていた。
訪ねてきた理由を考えていなかった。
宇道さんと会えた時の言い訳も頭になかった。
――やばい、何て答えよう?
思いつく間も無く、佐原崎がすぐに玄関から現れた。
四段ほど石段を上がった所のドアが開いて、素朴な顔立ちの佐原崎が現れた。
離れ気味の目が見た目の年齢を三歳ほど下げている。
柔らかそうな白いカーディガンは彼女によく似合っていた。
路上まで降りてきた佐原崎が怪訝な表情を浮かべた。
それで更に思い出す。
――ウェルバルトがいたんだ。
「何かわたしに用?」
ここまで来たら、訊かないわけにはいかない。
「宇道さんがここへ来てるって聞いたんだけど」
「咲ちゃんが目的?」
途端に佐原崎のまなざしが疑い度100%になった。
「何か用なの?」
興味津々に佐原崎が訊いてきた。
黒目がちの目が、じっと僕を見ている。
「ワタシが彼女の定期を拾ったんです」
ウェルバルトがまたよそいきの声で言った。
「へえ」
「警察に届ければよかったんですけど、今日使うかも……って困っていたら、萬田さんが知り合いだからって――」
まだ佐原崎の目は疑い70%だ。
「僕一人で追ってたらおかしいでしょ。今だって怪しいと思われてるんだからさ」
「うん――」
――10%は下がったか?
「分かったわ。定期はわたしが預かっておく。帰りにここへ寄ってもらうから――」
「え?」
――まずい。
僕の目が泳いだ。
流れた視線が佐原崎の頭の後ろで止まる。
彼女の後頭部にエリンが浮かんでいた。
ウェルバルトは平然としている。
エリンが佐原崎の頭に乗った。
「うんうん――ここへは最初から来てないようだね。三島って先輩の家に行く口実らしい」
――記憶を探ってる?!
「三島先輩の家は、二丁目の神社の近く――」
ウェルバルトが僕を見た。
おかげで金縛りにならずに済んだ。
佐原崎に気取られる直前で回復した。
「遠くない。ここから五分ほど――」
「なんのこと?」
佐原崎が怪訝な声を上げた。
エリンの声は普通の人には聞こえないらしい。
「行くぞ」
ウェルバルトが裾を翻した。
「エリン、今の記憶は消しておけ」
「ええ?」
僕は、ウェルバルトからエリンへ視線を向け直した。
既にエリンは佐原崎から離れて、ふわふわと追ってきた。
「行くよ、総ちゃん」
通り過ぎざまにエリンが言った。
僕は視線だけでエリンを追う。
先を行くウェルバルトと二人を視界に収める。
急に二人を遠くに感じた。
妙に距離感がある。
――記憶を消させた?
僕にはそれがいけない行為に思えた。
確かにその方が都合はいい。
それは分かる。
――だけど――……
「萬田くん? この辺に何か用?」
佐原崎だ。
本当に記憶が消えている。
僕が呼び出したことも忘れてしまったようだ。
なら、僕も合わせるしかない。
「今日は天気がいいなって思って」
そうね――と、佐原崎が空を見る。
「デートのお誘い?」
「いやいや滅相もない。散歩中だったんだ」
道の先でエリンが振り向いている。
「また今度ね」
もう居た堪れなくなって、挨拶すると彼女から離れた。
既にウェルバルトはいなかった。
背中に視線を感じたまま、通りを歩み抜けた。
道を折れた所で、ウェルバルトと合流する。
エリンもその上でふわふわと浮かんでいる。
「良いのかよ、さっきの?」
不条理な行動に対して、僕の声が尖っている。
ウェルバルトは意に介せず、平然と答えた。
「問題ない。エージェントが一緒なのだ」
「バイトのくせに?」
「権限は一緒じゃ」
僕はエリンを見上げた。
「いつ打ち合わせたんだ?」
「総ちゃんがあの子を呼び出してる間に」
インターホンで話している時に、目の端で何かしてる――とは思っていた。
「シープはそれほど記憶を溜めておけない。直前でないと指示が消えてしまうのでな」
――そんなものか。
「それより、三島の家に行くぞ。どっちだ?」
宇道さんを追うのが先だと、僕は自分を無理やり納得させて、大通りの向こうへ歩き出した。
後ろをついてくる気配を感じながら、住宅街を進む。
――本当にマンデーシープは記憶をいじれるんだ。
この辺りは戦後に造成され、佐原崎の家がある区域よりも町並みが新しい。
道も整然として、かなり広めであった。
三島佳親先輩は、元々は佐原崎の知り合いだ。
彼女を通して僕も知り合った。
学級新聞の記事のため、佐原崎は市内の文化財を紹介することを提案した。
たいした案もなく、文化財の意味をよく知らなかった僕は賛成した。
それで取材と記事の担当が僕と佐原崎になった。
実は、全十二回の記事のうち、半分はこの辺りで済ませている。
国指定や、県指定なら有名どころが多いが、市指定は地味で知られていなかったりする。
あえてそういう文化財を選んだ――というのが建前。近場で済ませてしまおう――が本音。
とはいえ、ちゃんと取材したのだ。
その時に協力してくれたのが三島先輩であった。
子ども会や自治会の資料を見せてもらったりしたのだ。
メガネを掛けた、線の細い人であった。
よく笑い、年下にも優しかった。
宇道さんが告白されたと聞いた時、素直に諦められたのは三島先輩だったからだ。
あの人なら仕方ない――と……
区分けの綺麗な町並みに忽然と現れる石の鳥居。その奥に社。ここも記事にした文化財だ。
通り過ぎる。
朝と呼ぶには弱くない太陽が遠慮なく僕を照らす。
先輩の家までにもう一つ文化財を見ることができる。小さな古墳跡で、下手をすると見逃す。その先に神社があって、その近くだ。
あと一、二分、というところだ。
後ろにはエリンがいる。
記憶を消すことができる。
――先輩の中から、宇道さんを消すことも可能だ。
一瞬、目の前が暗くなった。
僕は一体なんてことを考えてたんだ。
――エリンのせいだ。
手を額に置いた。指先が冷たく、思考を鎮めるのにちょうど良い。
自分の心の闇を誰かのせいにするなんて、どうかしている。
ウェルバルトに引きずられるように、日曜に駆け回っているのは、その記憶を守るためだというのに。
数度深呼吸して落ち着かせる。
――しかし……
エリンと触れ合っていても、本当に大丈夫なのだろうか。
マンデーシープは記憶を奪うぞ――ウェルバルトの言葉は、彼女のコスプレのせいで、信憑性が低かった。
その時は大丈夫と言ったが、自分の記憶は大丈夫という保証がどこにあるのか。
いじられたら?
今の記憶は本物か?
忘れていることを忘れていたとしたら、記憶を喪失していても気付かないのではないか……
途端に足元が不安定になる。
「どうした、総ちゃん?」
「うわっ!」
エリンが目の前に浮かんでいた。
いつの間にか僕は足を止めていたようだ。
ウェルバルトが通り過ぎて、振り向いた。
二人とも不思議そうな顔をしている。
「何でもない」
誤魔化すようにエリンを追い越し、ウェルバルトも早足で追い抜いた。
二人に対しての認識が僕の中で揺らいでるなんてこと、あえて言うことではない。
――その気持ちを押さえ込めば、同じ接し方が出来るはず。
そう思うことで無理やり心に平穏を満たす。
道は公園へたどり着いていた。
古墳まではもう少し、先輩の家はまだ先だ。
午前の公園は父子率が多い。
僕は足を止めた。
二つあるブランコの一つに、高校生くらいの男子が、塞ぎこむように乗っている。
「どうした?」
ウェルバルトが並んだ。
「先輩だ――」
「あれか」
僕は公園へ入った。
広場を横切ってブランコの横へ立った。
躊躇は一瞬――
中学の時の知己ではあるが、時々駅で会っても気付かれないことが多い仲だ。
声を掛けて大丈夫かな――という躊躇いだ。
「先輩、どうかしましたか?」
三島先輩が顔を上げた。
縁無しのメガネの奥で、暗い表情の目が僕を認めた。
なんでもない――と、小さく言った。
また頭を下げて、組んだ両手に額を乗せた。
「あの……宇道さん、来てませんか?」
「咲ちゃん――?」
声が掠れている。
少しだけ頭が上がった。
「来たよ。あいつ、他に好きな奴が出来たから、お付き合いできないって……」
「え?」
「もしかして……」
三島先輩の顔が更に上がった。
表情は暗いまま僕を睨んだ。
「え? え?」
三島先輩がゆらりと立ち上がった。
妙なプレッシャーを発しながら一歩僕に近付いた。
「お前か? お前のことか? 咲ちゃんの好きな奴って――」
「いや、いや」
鬼気迫る空気に、僕は言葉が出なくなった。
「こやつにそんな甲斐性あるわけなかろう」
「何?」
三島先輩の矛先がウェルバルトに向いた。
――やばい。
その矛自体を無くそうと、僕は頭をフル回転させた。
思考は結論を出すことはなかったが、言葉だけがまず先に出た。
「先輩!」
とりあえず、こっちを向かせた。
再び、冷えた鬼の表情で僕を見た。
――やっぱり目が怖い。
僕は必死に声を張り上げた。
「宇道さん、先輩と付き合うことになったって、すごい嬉しそうでした」
「じゃあ、何で断るんだよ!」
「だから、僕が確かめてきます!」
僕らの声が止まると、公園に静けさが降ってきた。
「お前――――」
「宇道さん、どこへ行きました?」
「――確か、学校へ行くって」
「分かりました」
僕は礼を言うと、公園の出口に向かった。
ウェルバルトの足音が続いてくる。
「お前、確か……香澄のダチだっけ。何でそこまで?」
三島先輩の声が背中へ届いた。
「成り行きです」
と、先輩に振り向いた。
これは本心だ。
――決して、罪悪感からではない。うん、きっと。
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