第3話「過去の漂う町」

 そっと校門を出る。

 道路に、姿はない。

 遠回りになるが、僕は裏門から出ることにした。

 少し行った所に、未舗装の砂利道が民家と民家の間に通っている。

 私道だと思うが、この際は自分の安全が優先。

 目をつぶってもらう。

 ざりっ、ざりっと、足音を鳴らし、家並みに沿って歩いていけば、駐車場へ抜ける。

 そこから先で普通の道へ入るのだ。

 視界の中に人影はない。

 今のうち――と、歩を進めて駐車場へ入った時、

「待っていたぞ」

 後ろから声が聞こえた。

 振り向くと、ウェルバルトが立っていた。

 朝と同じ、黄色い道士服が目に痛い。

 背中を預けていた民家の塀から離れた。

 僕が歩いてきた方からは見えない位置だ。

「意外とずるい」

「戦略的と言ってもらおう」

 思いっきり息切れしていた。

「走ってまで先回りしなくても……」

「何のことやら」

 涙ぐましい努力だ。

「さ。ワシと来るのじゃ」

「僕なんかじゃ、役に立たないって」

「役に立つ、立たないではなく、責任を果たすか、果たさないか、だ」

 ウェルバルトは当然というように言ったが、僕には覚えがない。

「僕に責任なんかあったっけ?」

「ワシの獲物を逃がしたじゃろ」

「エリンのこと?」

 肯定はしないが否定もしない。

 知らなくても問題はないが、知らないままでも気持ちが悪い。

「エリンがなんか悪いことをしたの?」

「知りたいじゃろ」

 勝ち誇った顔が見上げてくる。

 こうなっては素直に付き合った方が良さそうだ。

 ため息をついた。

 一応の抵抗だ。

「分かった。お願いします」

「よろしい」

 ウェルバルトが歩き出した。

 僕の家とは逆方向だ。


 昔ながらの家並みが続く通りを真っ直ぐに進む。

 今にも倒れそう――という古さではなく、歴史を重ねた建物が並んでいるのだ。

 実際、江戸時代から建っているという蔵もある。

 今の技術を使い、今風にリフォームではなく、改修に改修を重ねて、永く住もうとしているのだ。

 時代劇に出てきそうな平屋の屋敷で、居間が床暖房になっていたり、台所にはIHヒーターがあったりする。

 五分も進むと県道にぶつかる。

 上りと下りの二車線しかないが、歩道と車道をブロックの縁石が分ける数少ない道路だ。

 この辺ではかなり有意義に働いている横断歩道を渡れば、いわゆる駅前に入る。

 三階建て以上のビルやマンションなどが増えてくる。

 バブル期の名残のように、中途半端な新しさが逆に古臭い空気を満たしている。

 商店街からデパートの脇を抜ければ駅へと出る。

 本大蔵町駅だ。

 こちらもかなり古めである。

 かろうじてエスカレーターはあるが、エレベーターまではまだ設置されていない。

 駅ビル風ではあるが、テナントが微妙なせいか、いまいち盛り上がっていない。

 上りの電車で一つ先に大きな駅があり、たいていの物ならそこで揃うので、買い物ならそっちまで皆足を伸ばしている。

 ウェルバルトはバスロータリーへ入ると、空いているベンチへ座った。

 ベンチは駅を背にし、今歩いてきた道向きに置いてある。

 バス待ち用のベンチだから当然といえば当然。バスが見える向きだ。

 僕も同じベンチへ座る。

 三人掛けだから迷ったが、結局、両隣に隙間があるけど、誰も座れない――という微妙な位置に腰を下ろした。

 何か言われるかな――と、横目でウェルバルトの顔を見る。

 特に気にした様子はないようだ。

 というか、ウェルバルトをまじまじと見るのはこれが初めてかもしれない。

 ――やっぱり、年齢不詳だ。

 童顔だし、肌も瑞々しいので若そうだが、そうじゃないと言われれば、そうかもと思ってしまう。

「見えるかね」

 唐突に言われ、彼女の顔の何かと思って、皺を探してしまった。

 ウェルバルトの視線が道路に固定されていたので、自分の勘違いにすぐ気付いた。

 例の『羊』のことを言っているのだ。

「結構いるね」

 こんな人が溢れ、自動車の往来も激しい場所なのに、ふわふわと漂っている。

 エリンとは違う、いつも見る『羊』――マンデーシープだ。

 風船のように風に流れていく。

 自動車に弾かれ、ピンボールのように離れていく。

 そこに意識はなさそうだ。

 ここもエリンとは違うところだ。

「何なの、これ?」

「人の記憶じゃよ」

 当然という口調で言うが、全く持って当然ではない。

 何で記憶が羊になるのか――

 この疑問は詮無い。

 羊ではなく、マンデーシープが記憶なのだ。

 そう思えば少しは理解できる……ものでもない。

「記憶が何で浮かんでるんだ?」

「おぬしだって子供の頃の想い出を忘れたりするじゃろうが」

「忘れた記憶が人から離れて、マンデーシープになるのか……?」

「微妙に違うな」

 珍しく真面目な顔付きになった。

「人は覚えていたいことをランク付けする。大事なことほど覚えていたいもんじゃろ」

「うん、まあ――」

「そういう事柄は全て頭に保管されていく」

「マンデーシープじゃなく?」

「それがランク付けじゃ」

 僕らの目の前をふわふわと『羊』が通り過ぎていく。

「まだまだ研究が途上段階だが、その境界線は『意識』と『無意識』ではないかと言われておる」

「――意識的に覚えていたいと思うことと、無意識に覚えてしまうことの差?」

 ウェルバルトが頷いた。

「例えば――家族との数多い思い出の一つ。恋人との普通な日常の一日。同級生との放課後のひと時。これらは大事な記憶だが、大切な物だと気付いて保管する人は少ない」

「それが『無意識』……」

「ランクが低い記憶はあっという間に消滅するらしいからな。頭で残しておかないと決めた事柄には、その人には大事な思い出だってあるのだ」

「消滅させないためにマンデーシープが生まれたってこと?」

「自分の心を保つために記憶していくシステムを確立したのだよ」

「誰が?」

「もちろん、人だよ」

 彼女は『人』を強調した。

「生きていれば、そういう記憶はいくらでも積み重なる。つまりマンデーシープはどんどんと膨らんでいくのだ」

「僕にもそんな記憶が……」

「うむ。おぬしの背中にもちゃんと付いておるぞ」

 ――背中か。

 そこまで確認したことはなかった。

「頭で覚えていられないことがマンデーシープに保管されていたとして、頭に無い以上、思い出されることはないんじゃないの?」

「トリガーがあるのじゃよ」

「引き金……きっかけか」

「例えば、祖母との思い出が無意識でマンデーシープになってたとして、その記憶には関連付けられたトリガーが仕掛けられている。祖母の匂いだったり、祖母と出かけた時の景色だったり――」

「引き出されるのか」

「記憶力の良い人ほど多く抱えられるが、一般的には年齢を重ねるごとに、昔の記憶は薄れていく」

 見てご覧――と、ウェルバルトは中年の男性を指差した。

 線が緩んだ太めのスーツでメガネのサラリーマンだ。ビジネスバッグ片手に、携帯をいじりながら遠ざかっていく。

 灰色のスーツの背中から、マンデーシープが離れて浮かんでいた。

「あれは記憶が薄れている状態。あれが切れると、あの人から無くなる記憶があるということじゃ」

 ――記憶が無くなるなんてこと、あるのかな?

 座ってから二台目のバスが発車して行った。

 思いついた疑問を言語化してみる。

「ふとした瞬間に浮かんだ思い出はマンデーシープの仕業だってことだよな」

「まあ、間違っておらんよ」

「あの人からマンデーシープが離れた後、そこにあった記憶は引き出されることは無いはずなのに、思い出された時は復活しているってこと?」

 ウェルバルトは腕を組んだ。

「つまり――……あの時どうしてたっけ? あ、そうそう、こんな感じだったかな? うん、そうだ。こうだった、こうだった。きっと、あの時はこうだったに違いない――という記憶のことかい」

 実にわかりやすい。

「そう」

 僕は苦笑を浮かべた。

「それは後付けの想像じゃろう。繰り返し描き直している内に、記憶と思い込んで保存してしまった偽物だ」

 ――なるほど。同級生との思い出に時々食い違いがあったりする時は、このせいかもしれないな。

 ウェルバルトを肯定してみる。

「無意識に創り出したマンデーシープを意識する人はおらず、無意識の記憶の有無さえも意識することはないのじゃ」

「記憶のボタンの掛け違えも、食い違いも、歩み寄りで解決してしまうからね」

「それに失敗すると、心の平穏を失うがな」

 ふと、ウェルバルトの声に作った響きが消えていた。

「せっかく人の心が自らを救うために産み出したシステムだというのに……」

 僕は横目で彼女の様子を見ようとした。

「あのおっさんはマンデーシープを離してしまっても、失くしたことにさえ気付かないのじゃ」

 いつもの憮然としたウェルバルトであった。

 彼女も横目で僕へ視線を振ってきた。

 おもちゃのような碧眼が僕を睨むので話題を戻してみた。

「その切り離された記憶がこれ?」

 僕は近くに漂ってきたマンデーシープを指差した。

「『はぐれシープ』と呼んでおる。こやつらは基本的に害はない」

「やっぱり害はないんじゃないか」

 僕の言葉にウェルバルトが片眉を上げた。

「順番に説明しておるのだ。『はぐれシープ』だけならエージェントはいらんわい」

「ああ。そういうことね」

 一応の納得を口にしてみる。実際はよく分かっていない。

 ウェルバルトにはバレているようだ。半目で睨んでいる。

「こやつらは記憶を映像として持っているだけで、特に悪さはしない」

 電車が入ってきた風が駅から吹いてくる。マンデーシープたちがそれに煽られ、駅舎から遠ざかった。

「あれは浮遊型。大別できる二種のうちの一つじゃ」

「もう一つは?」

「憑依型じゃ」

「憑依ってことは誰かにくっつくってことか」

「こやつらは人ではなく、物や場所にしか憑かん」

「物や場所にくっついた所で問題はないんだろ」

 ウェルバルトがじっと僕を見ている。

 その視線の意味は……

 ――よく分からん。

「おぬし、幽霊を信じておるか?」

「幽霊?」

 ――やっぱりオカルトか。

 信じるか、信じないかと言ったら、

「ある程度は」

 と答えてしまう。

「小さい頃からこんなのを見てたら、何でも有りだよね」

 他人には認識されないものが自分に分かる。不可思議な現象を受け入れてきた身としては、お化けのみならず、UFO、UMA、何でも信じられる。

 だけど便宜上、控えめな答え方ではあった。

「それが?」

「例えばじゃ。自分の記憶にないものを見たら、人は霊現象にあった、と言うんじゃなかろうか」

「ん?」

 ――話の流れからすると、

「こいつらのせい?」

 ウェルバルトが頷いた。

「物――……そうじゃな。自動車を買ったら助手席に人の気配が。目の端に知らない女性が乗っていた」

「憑依型の『はぐれシープ』がその車にいたってこと?」

「助手席に女性を乗せた誰かの記憶が映し出されたのじゃよ」

 その理論に則れば、確かに霊現象は全てこいつらで説明がつきそうだ。

 病院や深夜のオフィスなど、そこに『はぐれシープ』がいて、他人の記憶を映し出せば、立派な幽霊騒ぎになる。

「あ――でもさ」

「ん?」

「助手席に乗る女性の記憶が、自転車とかにひっついちゃうと、座った状態で自転車と併走しちゃうよね」

「憑依型は印象的な物に憑く性質があるのじゃ」

 ――なるほど。

 自動車の記憶を持つシープは自動車に引き寄せられる。結果、それに関連した記憶がオカルト的状況を起こすのだ。

「浮遊型はそこまで強い印象を持ってないので定住しない。磁場により記憶が再生されてしまうだけじゃ」

「もっと分かりやすく言ってくれ」

 ウェルバルトがめんどくさそうに近くの浮遊している『羊』を指差した。

「こいつが8チャンネルの周波数を持っていたとする」

「うん」

「この場所が同じ8チャンネルの周波数があった時、こいつの記憶がここに映し出されるのじゃ」

「記憶が再生される……?」

「夏なのにコートを着た女性が目撃されたとか、小学校にボロボロの服を着たおじさんの幽霊が出るとか、全く曰くのない現象がそうじゃ」

 僕の目の前を『8チャンネルの羊』が通り過ぎる。

「姿が黒かったり、音だけだったりするのは、微妙にチャンネルが合ってないのじゃ」

「それだと、全てのお化け騒動がこいつらのせいになっちゃうぞ」

「わしは『そうだ』と言っておる」

 ウェルバルトは自然に口にした。力説していない分、本当らしく聞こえる。

 ぼくは反論できる材料を探した。

「人ならざる者を見たっていう話を聞くけど、それはどう説明するのさ」

 ちょっと弱いと自覚しつつ訊いた。

 ウェルバルトが、それは全部作り話だ、と言うのを期待していた。

「八尺様とか、シシノケ、ヒサルキ、クネクネ、それにテケテケやオラオラとかか」

 ――何か違うのが混じっている気がする。

「あれも全部そうだ」

 言い切った。

「誰の記憶だよ……」

「マンガ、アニメ、ホラー映画とかさ」

 僕は絶句した。

 ――そんな記憶を取っておくなよ。

 言葉を継げずに開いた口が塞がらずにいると、

「アホ面もほどほどにしとけよ」

 同情混じりに言われた。

「ウェルバルトはそんなマンデーシープを回収してるんだよな」

「だから『はぐれシープ』は対象じゃないと言うておろうが」

 ――そういえばそうだ。

「こやつらは害がないからな」

「ないか?」

 僕は抗議を込めた。

「ないのじゃよ。こやつらはな」

「じゃあ、なんだよ」

「そうじゃな――」

 ウェルバルトは少し考え込んでから続けた。

「記憶には感情を伴う。……意味が分かるか?」

「楽しかった想い出とか、悲しかった出来事とか?」

「そうじゃな。そういう記憶もマンデーシープとなるが、こいつらは簡単に離れたりはしない」

「分かる気がするよ」

「では……それらが離れるのはどういう時か、分かるか?」

 嘘のように青い瞳が僕を見た。

「記憶喪失した時とか――」

 ウェルバルトは首を横に振った。

「死んだ時じゃよ」

「え――?」

「人が亡くなる時、通常は記憶であるマンデーシープも同時に喪失する」

 なるほど。当たり前といえば当たり前だ。

「稀に消えることなく、本体から離れるシープがおるのじゃ」

「どうして?」

「見解は様々だが、残ろうとする意思――というのが有力だと思っている」

「生きていたい――ってことか」

「そこまで、ロマンチストではない」

 ウェルバルトが薄く笑った。

 ちょっとだけ、バカにされた感じがする。 

「そいつらは『特殊シープ』と分類されるがな、問題なのはその意思じゃ」

 ウェルバルトは刀をとって、近くのマンデーシープへ振った。

 刃を模した五円の連なりがしなって、桃色の身体に巻きついた。

 五円玉の穴を赤い紐が通っているのは分かるが、形状を変える仕組みまでは見抜けない。

「残ろうとするから、ただ浮遊をせず、ただの憑依で済ませず――」

 『羊』が暴れている。

 だが、五円玉は外れなかった。

「『特殊シープ』は映像だけではなく感情を伴っているせいか、人に近付くのだ」

 一瞬、エリンの姿が思い浮かんだ。

「一例じゃがな、人に取り憑き、記憶を改ざんして、自分の言いなりにした奴がいた」

 ウェルバルトは柄を引っ張った。

 マンデーシープが傍まで来る。

 必死に逃げようとしているようだ。

「他のシープを取り込み、記憶を増やすことで、知識に改変した奴もおった」

 ウェルバルトは法衣のポケットからコインを取り出した。

 百円ほどの大きさだが、特に絵は彫られていない、まっさらな見た目であった。

 手元で暴れるシープへ、そのコインを押し付けた瞬間、『羊』の姿は消えた。

 というより、コインに吸い込まれたように見えた。

「その例に挙げたシープは、このようにエージェントたちの手で捕まえられた」

 ウェルバルトはコインを見せびらかすように、僕に見せた。

 膝に置いた金銭剣は元の刃状に戻っていた。

「ただの記憶として漂っているものと、意思を持って漂っているものを区別する能力が、ワシにはあるのじゃ」

「へえ――」

 今のマンデーシープがそうだったのだろう。それはそれで凄いと思うが、彼女の自慢の度合いがいまいち分かりづらい。

 僕の反応に気付いてか、ウェルバルトが半目で睨んだ。

 どういう態度を示せば納得したのだろうか。困っていると、ウェルバルトは憮然とした表情でコインをポケットへ仕舞った。

「ワシが思うに、この町はシープが多い。そういう危ない連中もたくさんいるじゃろう」

 その言葉で僕は察した。

「エリンのこと?」

 ウェルバルトは頷いた。

「今まで、マンデーシープが口を聞いた例はない。『特殊シープ』のみならず、恐らく進化型じゃろう」

「そんなに悪い奴じゃないぞ」

「おぬしが分かるものでもあるまい。プロに任せておけ。そう言っておきたかったのじゃ」

「そうかなあ……」

 話してみて合わない人――というものは存在する。

 それは、相性と言い換えられる。

 エリンは、僕にとって相性が悪くない。

 まだ友達とは言えないが、始末すべき悪い奴だと言われると、好い気はしない。

「この町は歴史が古い」

 唐突にウェルバルトが切り出したが、僕は話しに乗った。

「そうだね」

「人の記憶も数多く漂っている」

「生きていた人が多いってことは、死んだ人が残した記憶も多く彷徨っているってことか」

「新興住宅では発生件数が少ないから、そういうことになるじゃろうな」

「ウェルバルトがこの町に来た理由はそれ?」

「まあ――――そうともいえない」

 妙に歯切れが悪い返事だ。

「不穏な動きが多いとは聞いておるのじゃ」

「へえ」

「あら、萬田くん――」

 後ろから声を掛けられた。

 僕は驚いて、立ち上がった。

 声には覚えがあった。

 こんな所で名前を呼ばれるとは思わなかったことが驚きなのだ。

 振り向くと、手の届く位置にショートヘアーの女子が立っていた。

 大きな丸い目が僕を認めると、にっこりと笑った。

「宇道さん……」

 彼女が宇道咲だ。

 宇道さんが、もう一歩近付いてきた。

「まだ家に帰ってないの?」

「うん。ちょっとね」

 確かに彼女はもう私服だ。

 薄い水色のカーディガンと、膝上十五センチの黒いスカートは、ふんわりとしたイメージを与える。

 首に掛けたヘッドホンを含め、彼女のイメージにピッタリの装いだ。

 宇道さんの大きな目の中で瞳がちら――とウェルバルトへ向いた。

 ――そりゃあ、気になるよね。こんな格好の人。

「この人は、知り合いのコスプレイヤー」

「何じゃと?」

 宇道さんは会釈をしたが、残念そうな視線をウェルバルトに向けていた。

 本人も気付いたようだが、さすがに文句はつけなかった。

「宇道さんは――おでかけ?」

 彼女の家は電車で二つ先の駅だ。

 着替えて、戻ってきたのだから、おでかけなのは確かだ。

「先輩の家に行くの」

 少し恥ずかしそうに言った。

 へえ――と僕は全てを察し、動揺を隠すのに必死だった。

 宇道さんはバスロータリーの時計を見て、

「じゃあ、行くね」

 と僕の横を通り過ぎた。

「ばいばい――」

 背中へ言ったが、聞こえたであろうか。

 目の前の県道を右の方へ歩き、遠ざかっていく。

「何じゃコスプレイヤーとは。失敬な」

 宇道さんを見送っている僕に、ウェルバルトが憤慨した。

「ほとんど、そうじゃないか」

「オンとオフを切り替えた、見事な仕事着じゃ」

「オンが激しすぎるんじゃないの」

「おぬしこそ恋煩いか?」

 痛い所を攻めてきた。

 宇道さんの背中へ視線を投げる。

 県道から道を逸れていく所だ。

 彼女が言う『先輩』を僕は知っている。

 その細道を抜けて線路を越えた、向こうのブロックに住んでいる。

「いや。そこまでもいってないよ」

「ほう」

 話を聞こうじゃないかという姿勢で、ウェルバルトがベンチに座り直した。

 ――改めて言うようなことではないんだが……。

「好みのタイプだったんだけど。この前、先輩に告白されたって、嬉しそうに話してるのを聞いてさ」

「彼女はOKしたのか?」

「訊いてない。だけど――」

「あの様子では成立したのじゃろうな」

 僕は頷いた。

「片思いになる前に終わった――って感じだ」

「あれは性格が手厳しそうじゃから、それで良かったかもしれんぞ」

 ――慰めてくれてるのか?

 優しくされても困るから、悪態で返してみる。

「見た目重視なんだよ、僕は」

「おぬし、まだまだじゃの」

 と、戻ってきた。

 何がまだまだなのか、訊き返そうと思った時、宇道さんの様子がおかしいのに気付いた。

 いや。様子は普通だ。

 自分でも分からない。

「どうした?」

「宇道さんにくっついてるのって、他のマンデーシープ?」

「なぬ?」

 ウェルバルトが立ち上がって、僕の視線に合わせようとした。合うわけない。

 結局、ベンチに乗った。

 目を細めているのが、顎の下から見える。

「よく見えんな。ワシはシープ確認視力3.0なのじゃ」

「3.0が良いのか悪いのか……」

「何でそう思ったのじゃ?」

 ベンチの上からウェルバルトが訊いてきた。

「宇道さんのマンデーシープの尻尾が長ぁぁく別の方へ伸びていたから――かな?」

「確かにそれはおかしいの」

 ウェルバルトが腕を組んで頭を傾げた。

「まだ記憶を繋げたまま、他人に憑依するなんて聞いたことが無い」

「やばいの?」

「とりあえず追ってみるぞ」

 ウェルバルトがベンチを飛び降りた。

「僕も?」

「何かあったらどうする! 行くぞ!」

 ウェルバルトが走り出した。

 一応僕も並走する。

「何か――って、僕は別に宇道さんはどうでもいいんだけど」

 多少、強がりも入っている。

 未練が残っていると思いたくないからそう言った。

 それなのにウェルバルトは、

「バカモノ! ワシにじゃ!」

 と怒鳴った。

 ――何だ、それ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る