第39話 約束
その後、海辺を巡る二キロ程度の散歩コースがあったので、四人でそれを歩いた。
歌弥ななは、俺たちの奇行に険しい顔をしながらも、完全に拒絶するつもりはないようで、文句を言いながらも一緒についてきた。
海辺の散歩は気持ちよくて、陳腐な表現をするならば、この空と海の広さに比べれば、俺の悩みなんてちっぽけだよな、という気分になった。
散歩コースの終わりに、海の見えるホットドッグ屋があり、四人で食事をした。
綺麗な景色を眺めながらだったこと、体を動かした後だったこと、そして何より、歌弥さんが一緒だったから、とても美味しく感じられたし、楽しくもあった。
食事を終えたら、続けて海浜公園内の散策。花の丘や展望台、林間の散歩コースもあったので、ゆっくりと巡っていった。
気づけば時刻は午後四時前。
午後五時が閉園時間なので、最後にどこかもう一カ所くらい見て回ろうかというところで。
「少し、星香さんと二人で話をしたいんだけど」
歌弥ななが言い出した。
断る理由はなく、他の二人も了承したので、俺と歌弥なな、二人で抜けて歩き出す。
場所としては、ちびっこたちが戯れる広場周辺。先ほどまで、そのすぐ近くにある休憩所にて皆でアイスを食べていた。
「……俺に話って?」
「まぁ、星香さんが姉とそれなりに相性がいい人らしいと言うのは、一緒に過ごしていて思いました」
「それは良かった」
「姉も、星香さんと一緒にいると、とても楽しそうです。正直……雰囲気も、すごく明るくなったと思います」
「……そうなのか? 俺といるとき、いつもあんな感じだけど」
「姉が専業作家になるってことで大学を辞めて以来、何度か電話で話したことがありますけど、そのときにはあんなに明るくありませんでした。
もちろん、暗い感じでもありません。普段はのんびりして、いつでも酔っぱらっている感じなのは、変わりません。
でも……どこか、心から今の生活を楽しんでいるような雰囲気が感じられなくて、何か気負っている様子でした。自分で選んだ道なんだから、自分の力で頑張らなきゃいけない、泣き言を言ってはいけない、家族にも頼っちゃいけない……」
「……そっか」
俺の前では、そんな風には見えなかった。純粋に明るい人のように感じていた。
「姉のこと、少し心配だったんです。今日会って、様子をしっかり確認して、もし、姉がどこか苦しそうにしていたら……実家に戻ってきなよって、話すつもりでした」
「そっか」
「でも、その必要はないみたいです。姉は、変に気負っている様子はなくて、ごく普通に楽しげでした」
「……うん」
「星香さんは、あんな破天荒な姉のこと、本当に好きなんですよね?」
「うん。好きだよ」
好意的に見ている、とかじゃなくて。
単純に、好きだ。それは、もう確かなこと。
「……姉が大学一年生だった頃の話です。姉には、同じ大学の彼氏がいました」
「……うん」
「その彼と、どうして別れたか、聞いてますか?」
「いや、全然」
「……私が勝手に色々話すのは良くないかもですけど、一つだけ。
姉は、別れるときに彼に言われたそうです。『お前、何考えてるかよくわかんねー。気持ち悪いよ』」
「……そう」
歌弥さんは常識外れで破天荒な部分がある。一般的には理解しがたいこともしている。俺が芽吹とキスすることを容認するのも、その一つ。
それを気持ち悪いと感じる人も、いるよな。
「私も、実のところ姉が何を考えているのか、よくわからないんです。小説内ではかなり猫を被っているので、その内容が格別に破天荒ということはありません。
でも、実際に会って話してみると、たまに、私の常識から外れた言動もしてて……。
もちろん、まっとうなこともちゃんと言っているので、全く意味がわからないとかではなくて、ところどころ、理解できないところがあるんです」
「……うん」
「星香さんは、姉のこと、理解できていますか? 突飛で変な言動をしていても、それを受け入れることができていますか?」
「理解は……どうだろう。俺、今でも歌弥ゆゆさんがどういう人なのか、完全には掴めてない。けど、ああいう常識はずれなところ、好きだよ。
歌弥ゆゆさんも、確かに言ってた。個性や多様性を尊重するのって、口で言うほど簡単じゃないって。
俺もそう思うよ。個性や多様性を尊重するって、言い換えれば異物を受け入れるってことだ。自分と違うものを、人は簡単に受け入れられない。遠ざけたり、否定したりする。
俺も、簡単に個性や多様性の尊重なんて言えない。
でも、歌弥ゆゆさんについては、全部丸ごと尊重したいし、受け入れたい。
恋愛感情としての好きだけじゃなくて、一人の人間として、歌弥ゆゆさんって人が好きなんだ。
破天荒で、常識はずれ。けど、だからこそ、俺みたいに落ちぶれた人間をさらっと受け入れてくれた。君はバカだけど、バカでいいじゃんって言ってくれた。受験失敗なんてたいしたことじゃないって言ってくれた。
俺は、歌弥さんが好きだよ。すごく、好きだよ」
俺が二度の受験失敗で落ち込んでいたからこそ、歌弥さんの魅力に気づけたのだとしたら。
受験失敗も悪くなかったと、思ってもいいのかもしれない。
遠回りしたからこそ得られたものがあったのだと、思ってもいいのかもしれない。
「……そうですか。あんな姉でも、ちゃんと、好きになってくれる人がいるんですね」
しみじみと呟いて、しばし無言で歩く。
それから。
「私が姉の傍にいても、たぶん、ダメなんです。姉の全部は、私には受け止められません。姉のことは好きですし、尊敬している部分もたくさんありますけど、やっぱり、わからない部分もあるんです。
専業作家になるにしても、どうして大学卒業まで待てなかったのか。
どうして、星香さんみたいに頼りがいのない人を選んだのか。
社交的で、明るいくせに、どうして、本当は他人と一緒にいるのが辛いとか言い出したのか。
本当に、わからないことだらけです」
……歌弥さんって、他人と一緒にいるのが辛いのか? 俺も他人の範疇? それとも、有象無象の他人と一緒にいるのが辛い、という意味か?
「……わからないことがあるのは、仕方ないだろ。他人のことなんて、どれだけ一緒にいても完全には理解できないだろうし」
「それは、そうですけど。私には、姉のすごく大事な部分が理解できていないって感じるんです。だから、ダメなんです。
……ねぇ、星香さん」
「うん」
歌弥ななが立ち止まり、すがるような目で、俺を睨む。
「……姉のこと、本当に預けて大丈夫なんですか? 姉と気が合うだけで、全然頼りがいがある感じがしないんですけど、本当に姉を支えられるんですか?」
こんな必死な問いを投げかけられたとき、大丈夫だって胸を張って言えたら良かったのに。
現状の俺は、収入もなければスキルもない、無職の十九歳。
こんな日が来るって知っていたら、俺は、もっと必死に自分の将来とか、考えていたのかな……。
「今の俺が何を言っても、ななさんを安心させられないって、わかってる。
肩書きも実績も、なんにもない。
俺にできることなんてたかが知れてるけど、一個だけ、約束する。
俺、必ず歌弥ゆゆさんを幸せにする。一生だって、支えてみせる。
俺は、歌弥ゆゆさんのために、生きてみせるよ」
勢いだけの言葉。こんなこと、誰にでも言える。大した価値なんてない。わかっているよ、そんなこと。
それでも、今の俺にはこれしかない。決意表明くらいしか、できない。
情けないし、みっともない。
すごく……悔しい。
受験で落ちたとかよりも、ずっとずっと、悔しい。
「決意表明だけなら誰でもできますけど。具体的には、どうするんですか?」
「……来るとき、ななさんに色々と言われて、考えはしたんだけど。
まぁ、現実的な話、俺はとりあえず来年受験をして、大学に行って、卒業して、どっかに就職するしかないんだよ。当面はそれが目標で、受験勉強は、もう一度してみようと思う。今までと少し違った形にはなるだろうけど」
「……そうですか。わかりました。そうするしかないのだったら、そうしてください。
まぁ、今は通信制の大学でもそれなりにしっかりしたところもあるみたいですし、専門学校という選択肢もあります。色々視野に入れて、考えてみてください」
「……うん。わかった」
「姉は決して超人でも、不屈の人でもありません。高校時代に付き合っていた人と別れたときには、一週間泣き暮らすくらいの普通さも持っていました。
だから……本当に、頼みますよ」
「……うん」
「……ちなみに、ですが」
歌弥なながポケットからスマホを取り出す。歌弥さんとの通話中、と表示されていた。
「姉、全部聞いていましたから。約束、ちゃんと守ってくださいね」
ふん、と素っ気ない態度できびすを返し、歌弥ななが道を戻っていく。
……やれやれ。別に聞かれて困ることは何も言っていないが、油断ならない子だ。
「……俺、変なこと言ってないよな?」
少しだけ不安になって、でももう言わなかったことにはできないと、溜息一つでその不安も押し流した。
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