第38話 ラブアンドピース

 海の最寄り駅に到着。そこから徒歩十分で海浜公園があり、入り口からさらに十五分ほど歩くと、砂浜のある海辺にたどり着く。

 視界一杯に海が広がり、水平線も見ることができる。突き抜ける青空と、きらきら輝く水面がとても綺麗だ。

 ただ、浜辺に入ることはできず、海沿いに設えられたら遊歩道から景色を眺めるのみ。海に入りに来たわけではないので、これだけでも十分だ。 


「どうだい秋夜君! 今日は天気もいいし、綺麗な海でしょー?」


 電車を降りて以来、歌弥さんはずっと俺と腕を組んで歩いている。歌弥ななはそれをよく思っていなかったが、あえて引き離そうとまではしなかった。


「……本当に、綺麗ですね」

「あー! またそんなこと言ってー! 前に教えたでしょー? こういうときはなんて言うのー?」

「え? ……ああ、あれですか」


 歌弥さんが何を言おうとしているのか、察しがついてしまう。改めてああいうことをいうのはとても恥ずかしいのだが……。


「さぁさぁ、彼女が君の言葉を待ちわびているよー? 何も言ってくれないのかなー? ん? ん?」


 こんなことを言われたら、恥じらいなど捨てるしかない。


「この青い海よりも、歌弥さんの方が綺麗です」

「んふふー。よくできましたー」


 歌弥さんが俺の頭を撫で撫で。


「お褒めに与り光栄です」

「お? 前と返しが変わった? ふふーん、いい傾向だよ」

「……出会った日から、三週間くらいは経ちましたから」


 出会った日には、撫でられたとき、子供扱いするなと返した気がする。

 今はそんな返しをする気も起きない。俺は子供だ。十九歳になっても、小中学生からさほど成長していない。


「そっかそっか。

 ……こんなこと、あえて言う必要もないかもだけど。やっぱり、一人きりとか、緩く友達と過ごすだけじゃ、人間ってあんまり成長しないみたいなんだよねー」

「……それは、わかりますよ」

「お勉強してるだけじゃ見られない世界、少しは見せてあげられてるかなー?」

「少しどころか、世界が一変してますよ。あのとき俺を拾ってくれて、本当にありがとうございます」

「あたしこそ、いつもお世話してくれてありがとねー。秋夜君のおかげで部屋は綺麗だし、美味しいご飯を食べられるし、寂しくもないし!」

「でも、俺……ななさんにも言われましたけど、一人の人間として全然なってなくて……情けないです」

「ま、今はね。稼ぎもないし、スキルもないし、精神が強いわけでもないし」

「……情けないです」

「で、も。ねぇ、初めて会った日にも言ったし、電車でななとも話してたでしょー? 君はバカなんだから、『俺の人生マジ崖っぷち、ウケるー!』くらいに思って笑っておけばいいんだよー。ほらほら、リピートアフターミー。『俺の人生マジ崖っぷち、ウケるー!』」


 なんという自虐をさせるのか。見方によっては虐待だぞ。

 だが、しかし。

 歌弥さんの隣でなら、そんなことをしてみるのもありかもしれない。

 ちょうど、海も近いことだし。

 一度大きく息を吐いて、それからもう一度大きく吸って。

 広い海に向かって、他の通行人なんか気にもせず。


「十九歳無職! 受験も二回失敗した! 収入ないしスキルもない! 『俺の人生マジ崖っぷち、ウケるー!』」


 バカみたいに叫んでみた。

 バカなんだからいいだろって、自虐的に思った。


「あっはっはっは!」


 隣の歌弥さんだけ、バカ笑い。他の通行人も、芽吹も歌弥ななも、ぎょっとしているのに。


「歌弥さん、笑いすぎです」

「いやぁ、秋夜君も言うようになったなぁ、って」

「やけくそになるくらいしいか、できることないんで」

「その意気だよ。今までため込んできた色んなもの、少しずつ吐き出していかないとねー! そんな秋夜君に、とても陳腐な言葉を授けよー」

「……なんですか?」

「この空と海の広さに比べれば、君の悩みなんてちっぽけなもんさー」


 陳腐すぎて、苦笑しか出てこない。


「あー! その冷たい反応は何事ー? せっかく彼女が励ましてあげてるのにー!」

「……とてもありがたく受け止めております」

「全然ありがたそうじゃないじゃーん! もー、罰としてあたしに続いてねー。ラブアンドピース! ラブアンドピース!」


 俺がさっきそうしたみたいに、歌弥さんが海に向かって叫んでいる。なんだこれ、滅茶苦茶恥ずかしい。


「ほらほら、彼女を一人にしないでよねー! ラブアンドピース! ラブアンドピース!」


 どうやら、俺が続かないと終わらない仕様らしい。

 覚悟を決めろ。歌弥さんの隣にいたいのなら、これくらいでめげてはいけない。


「ラブアンドピース! ラブアンドピース!」

「ラブアンドピース! ラブアンドピース!」

「ラブアンドピース! ラブアンドピース!」

「もーやめてー! 恥ずかしすぎるから! 何やってんの二人とも!」


 歌弥なながとめてくれたので、ラブアンドピースコールを中断。


「ななも一緒にやるー?」

「やらない! っていうか、何をどうしたらこんな状況になるわけ!? 意味わからなすぎて他人のふりして逃げたくなったんだけど!」

「恥ずかしがりだなー、なな。誰もあたしたちのことなんて見てないってー」

「滅茶苦茶見られてるから! 特にお姉ちゃん、どピンクの頭だけでも目立ってるんだから、これ以上目立たないで! 動画撮影されて拡散でもされたらどうするの!」

「大丈夫ってー、酔っぱらいがバカやってるって思われるだけー」

「だったらせめて酔っぱらってるときにやってよー! シラフでそんだけはっちゃけてるとか、同じ人類とは思えないよ!」

「あはは!」

「笑い事じゃないから!」


 歌弥ななの顔にもはや悲壮が浮かんだところで。


「ラブアンドピース! ラブアンドピース!」


 何故か芽吹がラブアンドピースコール。


「芽吹さんまで何やってるんですか!」

「なんか、楽しそうだなーって」

「全然楽しくないです! 恥ずかしいだけです!」

「恥ずかしいだけのことをやるのも、大学生の青春っぽくてよくない?」

「よくありません! 芽吹さんはまともな人だと思ったのにー!」


 俺たちに振り回されて、歌弥ななが可愛そうに思えてきた。申し訳ない。


「ああ、もう! でも、なんかお姉ちゃんが星香さんと一緒にいる理由、ちょっとわかりました! よく姉に付き合ってられますね!」

「……俺、好きな人の色に染まりたいタイプ」

「染まらないでください! 将来結婚したとして、お姉ちゃんみたいな人がもう一人親族に増えるなんて困ります!」

「……そのときは、ごめんな?」

「謝らないでいいので、謝らなくていい人になってください!」

「……なれればなる」

「それはならない人のセリフですー!」


 全力で叫ぶ歌弥なな。その様子がおかしくて、申し訳ないと思いつつも、笑ってしまった。歌弥さんも、芽吹も同様だ。


「何を笑っているんですか! 私が変なこと言ってるみたいじゃないですか! 変なのはそっち三人ですからね!? もう! 私は先に行くので、ラブアンドピースでもなんでも、好き勝手叫んでてください!」


 歌弥ななが俺たちに背を向けて足早に去っていく。

 追いかけた方がいい? と歌弥さんの様子をうかがったら。


「妹からも許可が出たし、三人で一緒にラブアンドピースを叫ぼうかー?」

「……いいですけど」

「やっちゃいますか」


 そういう流れになって。


「「「ラブアンドピース! ラブアンドピース!」」」

「やーめーてー!」


 俺たちの謎のコールと、歌弥ななの絶叫が海辺に響きわたった。

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