第35話 歌弥なな
両親に自分は無事であるという旨のメッセージを送ったら、ぼちぼち朝食の準備をする。三人分の食事を用意するのも慣れたもの。
なお、芽吹は食費とサービス料を歌弥さんに支払っている。俺は歌弥さんの家事代行というより、二人にとっての家事代行になりつつある。
三人での食事を終えたら、各自私服に着替える。今日は三人で海に行こうという予定を立てているので、その準備だ。
ふと、歌弥さんのスマホが鳴る。誰かから電話らしい。
編集者さんかと思ったが、土曜日に連絡がくることはほぼないらしいので、たぶん別の人。
「あれ? なな? 今日は身内から電話がかかる日なのかな?」
歌弥さんがスマホの画面を眺めて首を傾げる。
歌弥なな。歌弥さんの妹で、十八歳の大学一年生だと聞いている。
「ちょっと出るねー。……もしもーし。なな?」
『……お姉ちゃん。今、家にいる?』
スピーカーにしているので、音声は俺と芽吹にも聞こえている。
「いるよー。それがどうかしたー?」
『……近くにいるんだけど。ちょっと行っていい?』
「んー……ちょっと待ってー。二人とも、どーおー? 呼んでも大丈夫ー?」
「俺は構いませんよ」
「はい。むしろ会ってみたいですね」
「おっけー。あ、なな? 来てもいいってよー」
『……今の、誰?』
「同棲相手と友達だねー」
『……同棲相手? お姉ちゃん、彼氏いるの?』
「んー、まぁ、そのようなものはいるねー」
そのようなもの……。まぁ、彼氏じゃないしな。
『そのようなものって何?』
「彼氏と思ってていいよ。うん、彼氏彼氏」
『……まぁいいや。今から行くから。十分くらいで着く』
「りょーかーい」
通話が終わり、歌弥さんが俺と芽吹に言う。
「ごめんねー。ちょっと待たせちゃう」
「構いませんよ」
「大丈夫です」
そして、十分ほどして。
「お姉ちゃん何その髪!? ピンク!?」
玄関先で歌弥さんと対面した妹さんは、開口一番に叫んだ。……妹さんには見せていなかったんだな。あの髪。
やってきた歌弥さん妹は、歌弥さんに負けず劣らずの美人さん。グレー系のカーディガンとスカートが、控えめで柔らかい印象。ミディアムの髪に緩くパーマをかけていて、色はアッシュベージュ。手には小さなポーチ。女子大生らしい女子大生、という感じだ。
「どーおー? ピンクアッシュ、可愛くないー?」
「可愛いっていうか……派手……。え? 何なの? 彼氏の趣味?」
「うちの彼氏は黒髪好きだよー。あたしが勝手にピンクにしてるだけー」
「……高校生じゃあるまいし、お姉ちゃんが自分の髪を何色に染めようと勝手だけどさ。似合わないこともないとは思うし……単に派手だなってびっくりするだけで……」
「そかそか。まま、とりあえず中に入りなよー」
「……失礼します」
妹さんが入ってきて、俺と芽吹を見てぺこりと頭を下げる。
「初めまして。歌弥ゆゆの妹の歌弥ななです。年齢は十八で、今年から大学生です」
「初めまして。俺は星香秋夜」
「初めまして。わたしは芽吹千花だよ」
歌弥ななの視線が俺を向く。
「あなたが、姉の彼氏ですか?」
「ああ、うん」
「社会人……ではなさそうですね。大学生?」
歌弥さんと芽吹の前ではあまり意識しないけれど、他の人に訊かれると少々辛いものがあるな。
「……いいや。ただの無職」
「……え? ただの無職……? 今、何歳ですか?」
「今十九で、十月に二十歳になる」
「……十九歳、無職。バイトは?」
「してない」
歌弥ななの目が険しくなる。なんだこのクズ、と視線だけで訴えている。
「……お姉ちゃん、こいつ、何?」
「あたしの彼氏だってー。路頭に迷ってるところを拾ってきたのー」
「……犬猫じゃないんだから、拾ってきたのー、じゃないでしょ! 十九歳で学生でもフリーターでも社会人でもない男なんて、絶対関わっちゃいけない相手じゃない! そんなの彼氏にしちゃダメ!」
遠慮ないな、この子……。龍成よりもずけずけものを言う子だ……。
自分の弟相手じゃあるまいし、うるせえな、などと吐き捨てるわけにもいかない……。
「なな」
ぺちん、と歌弥さんが妹の頭を叩く。
「な、何!? 私、何か間違ったこと言った!?」
「間違ったことは言ってないね。でも、間違ったことじゃなければ何でも言っていいわけじゃない」
「……だ、だからって! 家族が変な男と付き合ってたら、目を覚まさせなきゃいけないでしょ!?」
「ななの言うこともわかるよ。でもね、それは相手の肩書きだけを聞いて判断することじゃない。
相手がどうして十九歳にして無職なのか? どういう人柄なのか? この先どんな人になりそうなのか?
そういうのも全く考えず、頭ごなしに否定するのは違うでしょ?」
……歌弥さんがとてもまっとうなことを言っている。いや、歌弥さんが意外と根は真面目でしっかりした人だというのは知っているのだが、真剣に妹と向き合う姿はどこか新鮮だ。
「それは……そう、かも、だけど……。ミュージシャンになりたいとか、作家になりたいとか、そんなこと言ってる人じゃないでしょうね?」
「秋夜君はそういうのじゃないよ。色々あって、今はただの悩める十九歳。何者にもなれていないけど、何者かになろうと足掻いているところ。変な夢を追いかけて知らず知らずに破滅の道を進んでいるわけじゃない。
ななから見たら、男性として全く魅力がないのも無理はないと思う。だけど、あたしは秋夜君にちゃんと将来性があると思っているし、これからどうなるかを想像するとわくわくしてる。
ななが、始めからしっかりした男の子を好むのもわかってる。彼氏ならこれくらいできてくれなきゃ嫌っていう理想がちょっぴり高いのも知ってる。
でもね、あたしは別に、始めからしっかりした男の子じゃなくてもいいの。あたしと付き合って、どう変化していくかを見てみたい。その方が面白いって思ってる」
歌弥さんが、妹を真剣に見つめる。妹が少々気圧された顔をしたところで、歌弥さんはふわりと笑う。
「……というわけで、そんな心配しないでいいし、秋夜君を敵視しないでいいよー。ねー?」
「……わかった。お姉ちゃん、相変わらず口は上手いんだから……」
「へへー? 作家に口喧嘩で勝とうなんて思っちゃダメだよー」
「ふん。別に、お姉ちゃんの言うことは納得したけど。けど! 星香さん!」
「あ、うん?」
先ほどよりは敵意少な目だが、歌弥ななが俺をぎろりと睨む。
「あなたに、お姉ちゃんが言うような将来性とか魅力があるのかどうか! 私には、見届ける義務があります! 私、今日明日は暇なんで、様子を見させてもらいますからね!」
「あ……うん」
今日明日、行動を共にするということか? こっちの予定が合わなかったらどうするつもりだったのだろう? と思わないでもない。今回は、問題ないのだが。
歌弥ななはふんすと息を吐いた後、芽吹に向き直る。
「えっと……それはそうとして。芽吹さんは、姉のお友達ですよね? 破天荒な姉がおそらく色々とご迷惑をお掛けしていると思います。ごめんなさい」
芽吹には、急にしおらしくなってぺこりと頭を下げた。
「あ、ううん、全然そんなことないよ。むしろ、ゆゆさんには助けられてばっかりで。私、十九歳のくせに今年から大学生で、一人暮らしも始めて、色々とわからないことだらけだったの。でも、ゆゆさんのおかげでスムーズに大学生生活を始められて助かってるんだ」
「……本当ですか? うちの姉、しっかりしているんだからぽんこつなんだかよくわからないところがありまして……。生活能力とか崩壊してますし……。大学中退する前は何度かここにも来てたんですけど、そのときは部屋の中がものすごく散らかってて……」
「ああ、それは星香君が全部やってるよ。家事全般こなして、ゆゆさんをサポートしてる」
「……そう、ですか」
歌弥ななが、ちょっとだけ見直した感じで俺に視線を向ける。
「……姉がお世話になります。本当に」
「俺にできるの、それくらいだから」
「……ですね。無職の上に家でも何もしない人だったら、ガチで追い出しているところです」
「……まぁ、そうだな」
「優しそうな人だとは、思います。
優しいだけの人が、姉の彼氏として相応しいとも思っていませんけど」
「……どうも」
よほど姉のことが心配らしい。歌弥さんは普段のほほんとしているから、微妙に信頼されていないのかな……。この中で、一番しっかりしている人なのに。
歌弥ななが俺に厳しい視線を向ける中、歌弥さんがポンと手を叩いて提案。
「んじゃあ、挨拶も終わったところで、予定通り海に行こっか? ななもおいでよ」
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