第33話 寂しい

 芽吹が入学式などを終えて帰ってきたのは午後四時過ぎで。

 俺と歌弥さんが、休憩したり別のことをしたりしつつも、何度目かの交わりに及んでいたときだった。


「ほわぁ!? な、何事!? 二人とも、そ、そういうことはまだしてないんじゃなかったの!?」

「あ、おかえりー。二人きりになったらむらむらきちゃったんで、やっちゃったー」


 俺と交わっているとき女の顔をしていたのに、歌弥さんがもうのほほんとした表情になっている。変わり身が早すぎる。


「や、やっちゃったって……。人が入学式とかオリエンテーションに臨んでいるときに……けしからん! けしからんよ!」

「ごめんねー。けど、ちょっと待ってて。今、いいところだからさー」

「そういうのは、わたしが帰ってくる前に済ませておいてよねー!」


 芽吹が荷物を部屋の中に放置し、足早に外に出て行った。


「いやぁ、見られちゃったね?」

「……タイミング、悪かったですね」

「次はわたしもって、千花ちゃんは言い出すと思うよ?」

「……そのときは、そのときです」

「千花ちゃんともしちゃうのかな?」

「歌弥さんは、それを臨むんでしょう?」

「臨むっていうか、しちゃえばいいと思うよ」

「……本当に変わってますよ」

「そんなあたしだから好きなんでしょ?」

「ええ、そうですよ」


 芽吹の登場で一時とまっていたけれど、最後まで続けた。

 致した後には事後処理をして、服を着たり、換気をしたりした。

 狭い室内にこもっていたどこか淫猥な空気が抜けて、爽やかな空気が入り込む。


「それにしても、秋夜君、初めてを終えただけでも少し雰囲気変わったかなー? 千花ちゃんに見られたら、もっと慌てふためくかと思った。俺たちやってますけどそれが何か? みたいな顔だったから驚いたよー」

「……今まで保ってきた一線を越えて、些細なことがあまり気にならなくなりました」

「そっかそっか。……秋夜君、少しばかり、いい顔をするようになったじゃないの」


 歌弥さんが俺の顔をくいっと引き寄せて、軽いキスをしてきた。

 数秒だけの軽いもので、キスが終わったら、歌弥さんはふふと愉快そうに微笑んだ。


「まっすぐな秋夜君より、少し歪んでいる秋夜君の方が、あたしは好きだよ」


 それからまもなく、芽吹が再び戻ってくる。


「……もう、終わりました?」


 おそるおそる入ってきて、俺たちが服を着ているのを見て、安堵の溜息。


「……お二人さん。別にやるなとはいいませんけど、わたしの見えないところでしてくださいよ」

「いやぁ、秋夜君がどうしてもむらむらが収まらないって聞き分けが悪くてねー」


 最初に誘ったのは俺ではないが、そういうことにしておけばいいかな。


「千花ちゃんもする? あたし、少し外を散歩してこようか?」

「わたしはしません! したくないとかじゃないですけど……今は、まだ」

「そう? ま、したくなったら言ってよ。あたしが外に出てもいいし、さんぴーでもいいし」

「さ、さんぴーって……っ。歌弥さんは破天荒すぎです!」

「あたしはそういう女なのさー。あ、でもね、秋夜君。あたし、これでも一応ある程度の線引きはあって、秋夜君が知らないうちに余所で男を作るとかはしないから安心してねー。案外一途な女なのだよー」

「……そうですか。安心しました。あ、芽吹さんはスーツ着替えるよな? 俺、少し向こういっておくよ」


 生活スペースと廊下はドア一枚で隔てられている。歌弥さんは俺の前でも平気で着替えるが、芽吹はまだそれを恥ずかしがる。着替えのときは俺が席を外すのが常だ。


「い、いいよ。別に。見たければ、見ても、いいんじゃない? 星香君はもう、歌弥さんとそういう関係になっちゃったわけだし、し、下着姿くらい、なんとも思わないでしょ?」

「……なんとも思わないわけじゃ、ないんだが」

「だ、だとしても、いいよ。ささーっと着替えるだけだし。全然、全然、わたしは気にしないよ!」

「……そう、か。じゃあ……」


 良いと言われれば、あえて席を外す理由もない。

 とはいえ、あえてじろじろと芽吹の着替えシーンを覗くのもどうかと思うので、スマホを手に、最近人気のWEB小説を漁ってみる。


「……そこまで関心がない風にされるのも……うーん……」

「千花ちゃん、ちょっと焦っちゃってるねー? もうしちゃった方がいいんじゃないのー? あたしはとめないよー?」

「あ、焦ってるとか、別に別に、そういう、そういうのじゃなくてですね! 二人がそういう関係になったからって、わたしが除け者になるとか思ってませんし? 全然全然、焦る意味なんてないんですよ!」

「そーおー? ならいっかー」

「そうですそうです。わたしは、別に、そんな……」


 妙に早口のまま、芽吹はごそごそと服を脱ぐ。

 なお、芽吹はほぼこの家に同居しており、私服やパジャマも一式揃っている。下着以外は俺が洗濯を任されることもある。


 着替えを済ませた後、芽吹は今日の入学式やオリエンテーションについて語った。俺は少し置いていかれている気分を味わったものの、気にしてもしょうがないと自分に言い聞かせた。

 教養科目の講義選択や、サークル選びについては、主に歌弥さんが相談に乗っていた。


「楽な講義を選ぶのもいいけど、せっかく授業料払ってるんだから、興味のある分野を学んだ方がいいとは思うよー。

 サークルについては、活動内容よりも人が大事じゃないかなー? ぱっとわかることじゃないかもだけど、人間関係が歪んでるサークルには行かない方がいいねー。逆に、人間関係のいいところだと、どんな活動でも楽しいねー。

 就職のためにボランティア活動サークルみたいな奴をやる人もいるけど、そういうことしなくても就職はできるし、本当にやりたいことじゃなければやらなくていいと思うなー。大学生活は短いから、打算、計算より、自分のしたいことを優先するといいんじゃないかなー。

 あと、お酒は注意ねー。まだ二十歳未満とはいえ、新歓とかで飲む機会もあるかもしれないけど、飲まなくていいと思ってるなら一切飲まないことをお勧めするよー。お酒なんてただの毒だよー。そんで、無理にお酒を勧めてくる奴、なんとなく飲ませる雰囲気にしてくる奴は全員敵だと思っておいてー」

 

 歌弥さんの言葉に、芽吹はふむふむと頷いていた。


「わたし、サークルについては、ザ・青春! って感じの奴がいいんです! なんか良さそうなのありますかね!?」

「それは実際に見てみないとわからないと思うよー。

 軽音とかはそれっぽいけど、逆に青春っぽすぎるところは変なことさせられることもあるらしいから注意ねー。合宿で一発芸やらされるとかさー。陽キャな先輩が後輩女子を食い荒らしてるとかも普通にあるから、やっぱりこれも注意ねー」

「大学って、怖いところですね……」

「そーそー。特に、高校時代に遊んでなくて、恋愛もしてなくて、勉強ばっかりで、世間のことをよく知らないまま育っちゃった人には危険が一杯だよー」

「わたしのことじゃないですか! うう……歌弥さん、しばらく大学でわたしに付き添ってくれませんか? 急に怖くなってきました……」

「まぁ、そこの学生以外でも案外進入は簡単だもんね。慣れるまでは多少力を貸してもいいよー」

「ありがとうございます!」

「ちなみに、大学で友達はできたー?」

「いえ……それが、入学式以前に既にSNSで知り合ってる人たちもいたみたいで……そういうことをしていないわたしは既に出遅れ感が……。しかも、わたしって一浪してるからほとんどの子と年齢違うんですよね……。誰とどう接すればいいのかわからず、孤独な一日を……」

「あららー。まぁ、いきなりそれで固定ってわけでもないだろうから、気が合いそうな人に話しかけてみるしかないねー。大学生って、自分から積極的に動かないと途端に孤立するから、気をつけてー。最低限、過去問を入手できる人脈は必要だよー」


 そんなやり取りを聞いて、やっぱり俺は置いていかれているなー、という気持ちになった。

 芽吹と再会したときには大きな差を感じなかったのに、これからどんどん差は開いていく。それが寂しくないと言えば、嘘になる。

 だけど、今の俺にはどうしようもない。

 何かしら別の形で追いつけるように、頑張るしかないよな……。

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