第30話 置いて

「千花ちゃん、男の子は寝ているときにはこんな感じなんだよー。生理現象って奴ー」

「へ、へぇ……こ、こんな感じ……なんですね……」

「やらしい夢を見ているとかじゃなくて、自然とこうなるんだってさー」

「そうなんですね……。その……大きい、ですね……」

「特別大きいわけでもないよー」

「……これ、本当に……入るんですか?」

「最初はきついけど、ちゃんと入るよー」

「……全然、想像できません」

「まーねー。だんだん慣れてくるから、安心してー」

「……はい」


 そんな会話を夢うつつで聞いたような気がするが、単なる夢だったかもしれない。

 ともあれ、気がついたら正午を過ぎていて、また随分とだらだらした朝というか昼を迎えてしまったものだと呆れた。

 歌弥さんと生活を始めて、確実に生活リズムは狂っている。

 まぁいっか、と思う面もある。歌弥さんが何度も言うとおり、俺は少し緩く構えていいのかもしれない。

 相変わらず歌弥さんは俺をなかなか離してくれないうえ、芽吹もそれに感化されてかしばらくくっついていたけれど、最終的には歌弥さんが空腹を訴えたことで、起床することとなった。

 俺が準備して、三人で食事をした。

 ごく自然に芽吹も一緒にいて、こういうことが今後は当たり前になるのかもしれない。


「……わたし、本当に一人暮らしできるかな? ずっとここに住み着いちゃうかも……?」


 芽吹はそんなことを言っていて、歌弥さんはそれを歓迎していた。

 毎晩二人の女性に挟まれて眠るって……俺の生活、爛れすぎだろ。

 ぎりぎり一線を越えていないことが救いだろうか? 実のところ、そう長く我慢できるとは思っていないのだが……。

 食事をしたら、歌弥さんはまた執筆に励んだ。一週間で十万字くらいは書くペースというが、それが一般的に見てどれくらいの量なのかはわからない。

 俺は歌弥さんの書く小説の原稿チェックを始めて、芽吹は俺の隣で小説を読み耽った。芽吹としては、大学が始まる前に色々と周辺を探索したいい気持ちがありつつも、俺たちと一緒に過ごしたい気持ちが勝ったらしい。また、お出かけするなら三人で行きたいとも言った。


 そうするうちに一日が過ぎる。

 受験勉強に励んでいたときとは全く違う、和やかな一日だ。

 進路について完全に忘れてしまったわけではないものの、もうひたすら受験勉強に励んでいた頃には戻れないだろうという予感はあった。

 大学に行きたいという気持ちは、実のところない。就職には必要なことだと理解はしているから、なんだかんだで行くことにはなるかもしれないとしても。


 自分のやりたいことはなんなのかと、考える時間も設けた。

 ただ、俺の好きなものって、マンガとかゲームとかくらいで、本当に狭い世界で生きてきたのだなと実感するばかり。

 歌弥さんを幸せにできる人になれたらいいなと、そんなあやふやな結論に至るだけった。

 そんなことをするうちに二日が過ぎて、木曜日。

 今日は芽吹が入学式なので、朝からスーツ姿で出かけていった。緊張した面もちながらも、春の日差しがよく似合う、爽やかな笑顔だった。 


「おやおや、置いていかれてるー、って顔をしているねー」


 芽吹が去った後、ベッドに腰掛けている歌弥さんが俺をからかうように言った。なお、歌弥さんはまだ桃色のパジャマ姿だ。俺は一応、私服に着替えている。

 若干、体が重いのを感じつつ、歌弥さんの隣に座り、ぼやく。


「……ちょっと置いていかれている感じはします」

「まぁまぁ、そう暗い顔しなさんなってー。秋夜君も、あたしのパートナーとして日々成長しているよー。家事代行も、作家活動のサポートも、すごく助かってるよー」

「そうですか? 原稿チェックは慣れてきましたけど、他の作品を読んでポイントをまとめるとか、上手くできているかどうか……」

「それも慣れだって。今まで小説を大量に読むことはなくて、ポイントをまとめることもしてこなかったんだから、すぐにできるようにはならないよー。あたしだって、作家として商業デビューするのに三年以上かかってるんだよー? すぐにできた方が、こっちとしては嫉妬しちゃうよー」

「……ですかね。まぁ、どうにか、早くちゃんとしたサポートができるように努めます」

「ありがとー。頼りにしてるー」

「ただ、わかっちゃいますけど、これって歌弥さんと一緒に暮らしていくためのスキルではあっても、世間的にはあまり価値のないスキルなんですよね……」


 学歴にも職歴にもならず、他人からすると無価値なスキル。


「まーねー。余所では使えないスキルだねー」

「歌弥さんの助けになるなら、それはそれで嬉しいです。これだけやればいいわけじゃないよなって思うだけで」

「そんな悩ましい顔するなら、あたしと結婚して主夫になるー? あたしはそれもありだと思うよー?」


 本気なのか、冗談なのか。にへら顔からはいまいちわからない。

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