第23話 したいこと

「のほほんとしてますけど、怖くないですか?」

「怖くないわけじゃないねー。あたしでも、普通に大学通って、就職した方が良かったんじゃないかって思うときはある。

 ただ、ね。

 あたしは今の自分が好きだし、今の生活が好き。あんまり見えないかもだけど、全身全霊を掛けて、必死に生きてるって感じがする。

 大学卒業して、どっかに就職していたら、味わえなかった充実感がある。

 安定した生活を得るよりも価値のある、幸せな生活をしているって、思っているよー」


 にへら。

 そんな笑い方をする歌弥さんだけれど、やはり一人の大人としての芯を持っている。それを見せつけられると、少しへこむ……。


「歌弥さんに訊くことじゃないですけど、俺、大学に行った方がいいですかね?」

「行った方がいいよー。それは確か。大卒か大卒じゃないかで、選べる進路は全然違う。実体として、大卒も高卒も社会人としての力量に大きな差が出ない分野はたくさんあるのに、日本ではそうなってる」

「ですよね……」

「ただ、秋夜君は、一旦そういう考え方から離れた方がいいねー」

「そういう考え?」

「こうすべきだ、というのを最優先にする考え方。そうじゃなくて、自分はこうしたい、というのをしっかり見極めないとね。

 自分はこうしたい。そのときのメリット、デメリットはこうで。

 でも、現実的にはこうすべき。このときのメリット、デメリットはこうで。

 その二つを比べて、自分の進路を選ぶの。

 秋夜君は、自分はこうしたい、の部分が欠けてるから、ふわふわした感じになるし、ずっと迷い続けてしまうんだと思うよー」

「……なるほど」

「こういうの、『自分のしたいこととかよくわかんないけど、とりあえず勉強だけしてきた』って人に起きやすいことだろうね。


 学校って、勉強さえできていれば安心、大丈夫、みたいなところがある。先生も親も、よしよし、って褒めてくれる。


 けどねー、本当はそれだけじゃダメなんだ。勉強ができるだけじゃ、自分の人生は生きられない。自分が何をしたいのかをはっきりさせて、そのために必要な勉強はこうだ、って考えないといけない。


 成績が学年一位だとか、全国何番以内だとかも、本当はあんまり価値がない。そんな学力を必要とする学問分野や就職先は、ほとんどない。学校の勉強は、必要な分だけやって、あとは本当に学びたいことのために時間を費やす方がいい。


 こんな話も聞いたことがある。『高校時代には理系だと思っていたけど、大学に入って、自分は理系でも文系でもなかったと気づいた』って。

 高校の数学や物理は得意だった。でも、本当に数学や物理が好きな人は、問題集を解くだけじゃない。最新の研究を自分で勝手に調べて、それを学んでいる。学校で学ぶ分野ができるくらいで調子に乗るのは、勘違いもはなはだしい。


 そういうことだから、秋夜君は自分を見つめ直してみたら? 学校から離れた今は、自分が本当にしたいこととか得意なことを見つめ直すチャンスだよ。

 そんで、明確な目標がないなら、大学なんて入れるところに入って、とりあえず卒業しておけばいい」

「……そうですか」


 歌弥さんの言葉が身に沁みる。俺は、考えるべきことを考えてこなかったと痛感する。


「……自分のしたいことって、どうやったら見つかるんですかね?」

「一応の手法はネットで検索すれば出てくるね。楽しいと思うもの、昔好きだったことを書き出すとか。あとは、色々と試してやってみる」

「……なるほど。俺は、そういうことをやらなきゃいけないんですね」

「そーそー。焦んなくてもいいよ。秋夜君は真面目すぎだから、先に気持ちを緩めることから学んだらいいとも思う」

「……わかりました。色々、ありがとうございます」

「どう致しましてー」

「……にしても、歌弥さんってすごい人なんですね。さらさらっとそういうことが言えて」

「ふっふー。お主、あたしを見くびっておったなー? さっき、学問に全く興味ないって言ったけど、作家は生涯勉強だからねー。人の心理も、社会情勢も、色々なものを学び続けないといけないのさー」

「面白いものを作れるだけじゃなく、学びも力も持っているなんて、素直に尊敬しますよ」

「そう? そう? あたし、かっこいい?」

「ええ、かっこいいです」


 にまー、と歌弥さんが微笑む。その緩い表情に騙されてはいけない。歌弥さんは、思っている以上のやり手だ。


「まぁまぁ、あたしからの堅い話はこの変でおしまーい。あとは二人でいちゃいちゃしていればいいよー」


 歌弥さんがこちらに背を向けて、執筆を再開する。

 小さな背中が、とても頼もしく感じられる。


「……そっか、星香君は、こういう人だから、惹かれちゃうんだね」


 むぅ、と唇を尖らせる芽吹。元々くっついていたのに、より一層俺との接触を増やしてくる。


「芽吹さん?」

「わたし、星香君を独り占めできるとは思ってないし、するつもりもない。でも、自分に少しでも気持ちを向けてほしいって、思わないわけじゃないから」


 わざわざ腕も組んでくる。離してくれる気配はない。

 ふりほどくことも一瞬だけ考えて、結局、芽吹のことはそのままに、俺は読書に戻った。

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