第21話 無理

 芽吹とのキスが終わって、俺は気まずい雰囲気から逃れるように昼食の準備を始めた。

 特別なものを作る能力はないので、適当に肉と野菜をぶちこんだ焼きそばだ。歌弥さんは本当にたいていものを美味しくいただく人なので、俺が何を作っても文句は言わない。

 芽吹も一緒に食べるというので、三人分用意した。


 俺が食事を用意している間に、歌弥さんと芽吹は二人で色々と話をしていて、その主な話題は高校時代の俺のことだった。

 特段語るべきことも何もないと認識していたのは俺だけで、芽吹は俺についてのささいなことを語っていた。

 学校ではよく勉強していたこと、勉強ばかりしているのが少し怖いと思われていたこと、話してみると暗くもないけど遊びの少ない人だと思われていたこと、それなりに成績は良かったがトップでもなかったこと、女子からは特別な興味を持たれている様子はなかったこと、その他俺の交友関係。

 なんでそんなに俺のこと知ってるんだよ……と少し呆れてしまった。俺は芽吹のこと、ほとんど知らないのに。


「千花ちゃんは昔から秋夜君のことが好きだったんだねー。自覚はなかったみたいだけどー」


 三人で座卓を囲み、食事をしながら歌弥さんが言った。


「や、そ、そんなことは、全然、全然、ないのですよ! 好きっていうか、単に、目標が同じだったから、仲間意識を持っていただけでして! さっき星香君を好きと言いましたけど、あれは人として好きという意味でありましてですね!?」

「キスの後に、人として好き、なんて言葉は出てこないよー」

「いえいえいえ! わたしは恋愛感情ぽんこつなんで、そういう言葉が出てきてしまうのですよ! だ、だってわたし、星香君を独り占めしたいとか思ってないですし? むしろ、星香君と歌弥さんが上手くいってくれればいいと思っているくらいですし!?」

「千花ちゃん、だいぶこじれてるねー。禁欲生活が長すぎて理性も感情もバグっちゃったー?」

「それは……なくはない、かもですけど……でも、本当に、星香君を奪うつもりはないです。本当に!」

「いっそ三人で暮らすー? あたしはそれでもいいんだよ? あたしも秋夜君を独り占めしたいと思ってるわけじゃないしさー。たまにキスとかエッチできて、夜は添い寝ができれば十分だよー」

「爛れておる……爛れておるよ! 星香君!」

「うん……まぁ、俺もそう思う」


 恋愛感情を介さず、ただ性的な行為ができたり、添い寝できたりすればいいというのは、実に爛れている。

 救いがあるとすれば、ただ快楽を求め合っているわけじゃないということか。

 俺は歌弥さんの人間性に惹かれるものを感じているし、歌弥さんだって俺に娼夫みたいな真似をしてほしいわけではないはず。セフレほどドライではなく、性的な交わりも持つ友達……くらいの、恋人一歩手前の関係を求めているのかもしれない。

 恋人という関係は重すぎて嫌。もう少し気安い関係がいい……とか?


「ま、秋夜君、エッチはしてくれないんだけどね。あたしが誘っても乗ってこないしー」

「え!? そうなんですか? 若い男女が一緒に暮らしていて、そういうことをしないんですか……?」

「うん。キスまでしかしてないよー」

「……星香君、もしかして、そういう機能に不具合のある人……?」


 芽吹が気遣わしげに俺を見る。


「……そんなことはないよ」

「そーそー。ちゃんと毎朝元気一杯だよー」

「げ、元気、一杯……っ」


 平然としている歌弥さんに対し、芽吹は顔が赤い。そういう反応も、可愛いとは思う。


「千花ちゃん、今日は泊まってく? 三人で川の字になって寝ようか? 秋夜君がどうなるのか確認できるよー?」

「……ちょ、ちょっと確認してみたい気も……」

「千花ちゃんも『壊れたい』って言ってたことだし、アブノーマルな領域にちょちょいっと足を踏み入れるのはいいと思うよー?」

「そ、そう、ですね。わかりました。わたしも泊めてください!」

「いいよー」


 え、本当に芽吹も泊まることになったのか? 本当に?


「……歌弥さん、気軽に請け負ってますけど、シングルベッドで三人寝るのは無理がありますよ。幅も、耐荷重も」

「幅は目一杯くっつけばいけるってー。あたしが秋夜君に抱きつくでしょ? 千花ちゃんも秋夜君に抱きつくでしょ? うん、いけるいける! あたしも千花ちゃんも軽いから、重さもなんとかなるなる!」


 耐荷重の方はかなり危うい気もするが……何かしら下にものを詰めて補強すればいけるか……。いや、それより、俺は二人に挟まれて眠るのか?


「……本気で言ってるんですよね?」

「あたしは本気だよー。今夜が楽しみだねー」

「……芽吹さんも、それでいいのか? まだ引き返せるぞ?」

「だ、大丈夫! アブノーマルなことしようとしてるのはわかってるけど、それにむしろドキドキしてるっていうか? わたし、実は結構悪い子だから! 大丈夫!」

「……無理して悪い子になろうとするなよ」

「……やだ。ちょっと無理はしたい。もういい子ちゃんでいるの、やだ」

「……そう」


 アブノーマルといっても、添い寝をするだけの話。決定的に芽吹の今後を左右する何かをするわけでもない。

 変わりたい気持ち、俺にもわかる。色々なものを取り戻したい気持ちもわかる。

 本当に危ういことをする気はなくて、ちょっとだけ火遊び気分を味わいたい……。そんな気持ちを尊重しよう。


「いいねー。若さがほとばしってる感じがするねー」

「……歌弥さん、他人の人生をドキュメンタリー映画みたいに楽しむのは性格悪いですよ」

「あたしが性格いい人だなんて、いつから勘違いしてたのー?」

「……してないです。そういう人だって知ってました」

「じゃ、そうゆうことー」


 なんで俺、歌弥さんに惹かれてるんだろ? 変人の部類なのにな。


「よーし、ご飯も食べたし、あたしはそろそろ執筆再開するねー。二人は自由に過ごしてていいよー。あ、でも、その前に」


 歌弥さんが俺の隣に来て、体をすり寄せてくる。


「あたしにもキスして?」


 にへら。

 芽吹の後だと、歌弥さんが女の顔をしていなくて、好奇心旺盛な少女の顔をしているのがよくわかる。

 大人なのか、子供なのか。初めてのキスでは、もっと女の顔をしていた気がする。

 一瞬だけ芽吹の顔を見て、その顔に拒絶の色がないのを確認。むしろ、他人のキスシーンを生で見られることに興奮している様子。芽吹は芽吹で、いい性格しているらしい。


「……歌弥さんって、誰かに恋愛感情を持ったこと、あるんですか?」

「む? あたしが恋を知らない冷血女に見えるのー? 普通にあるし、彼女だったこともあるし、処女でもないよー」

「そうですか」


 この人を振り向かせるには、普通の男ではいけない。

 わかっていることだけれど、何度も自分に言い聞かせないと、普通の恋愛関係になれるかもだなんて、勘違いしてしまう。

 ちょっとむくれ顔の歌弥さんにキスをする。

 薄い唇が少しだけ香ばしい。色気のない話、ほんのりとソースの味がする。口の中を探ってみても同様。


「キ、キス、してる……っ」


 芽吹が妙に驚いている。さっき、芽吹もしたんだけどな?

 歌弥さんとの長いキス。それが終わったとき、目を開けた歌弥さんは、ほんの少しだけ、妖艶でうっとりした顔をしていた。

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