第13話 真面目

 昼ご飯はちゃちゃっと済ませた。座卓もあったので、二人で向かい合っての食事だ。歌弥さんのにへら顔が見られたのは良かった。

 そして、その後に、歌弥さんは渋々という感じで言う。


「あたし、今日は執筆するから、秋夜君は好きに過ごしといてー。ゲームしててもいいし、漫画とか小説読んでてもいいし」


 そういえば、歌弥さんは作家なのだ。毎日遊び回れる立場ではない。


「じゃあ、歌弥さんの書いている小説とか、原作をしている漫画を読みたいです」

「本棚に入ってるから適当に取っちゃってー」

「わかりました」

「あ、お風呂入るなら入っていいよ。昨日は入らなかったし。洗濯は任せたから、今日どっかでやっといて」

「わかりました。……ちなみに、歌弥さんはお風呂入らないんです?」

「あたし、臭い?」


 歌弥さんが体を寄せてくる。いい匂いしかしない。


「……全然」

「じゃあいいや。夜にでも入ろー」

「……毎日はお風呂に入らない人ですか?」

「毎日入ると光熱費もったいないじゃん? この仕事してると人に会う機会も少ないし、二、三日に一回でいいやー、ってなってるの」

「……まぁ、歌弥さんがそれでいいなら、いいですよ」

「不潔な女め、とか思ってる?」

「いえ、そこまでは」

「会社勤めとか、毎日学校行ってるとかじゃなければ、お風呂なんてわざわざ毎日入らなくてもいいのさー。それで病気になったこともないし。人間、多少の不衛生さは全然平気なようにできてるのだよー」

「……かもしれませんね」


 要するに、歌弥さんはお風呂が好きではない、ということか? そういう話でもない?


「あ、エッチなことする前にはちゃんとお風呂入るから、安心してねー?」

「そういう心配してませんから!」


 ともあれ、俺は風呂に入らせてもらった。朝には掃除もしたし、体を洗いたかった。

 他人の家で風呂に入るのは、これまた新鮮な体験だった。友達の家に泊まったこともないので、初めてのことだった。

 風呂から上がり、持ってきていた服に着替える。着ていた服は洗濯機に放り込んだ。


「あ、洗濯するなら、あたしの下着とかは洗濯ネットに入れて洗ってねー」

「……え」

「あ、洗濯ネットって知らない? 洗濯ネットに何を入れるかも知らない?」


 そういう話ではなくて。それもあるのだけれど。

 歌弥さんがとてとてと歩いてきて、洗濯ネットを見せてくれる。メッシュの袋だった。そして、洗濯機の中から……ライムグリーンのブラジャーを取り出す。

 女性の、下着……っ。お店に陳列されているものではなく、歌弥さんが使用済みの……?

 意識すると無闇に体温が上がる。


「ブラジャーとか、金具がついてる奴はネットに入れてー。あと、今はないけど、ストッキングとかも。まぁ、細かいことは検索してー」

「わ、かりまし、た」

「んー? あたしの下着を見て興奮してるのかなー? あはっ。下着でどぎまぎしちゃうなんて、若いなぁ」

「……若いですよ。ええ」

「洗濯きっちりしてくれれば、多少別の用途に使ってても気にしないから。んじゃっ」

「んじゃ、じゃないですよ。もう……」


 オープンすぎるだろ。羞恥心、仕事をしろ……。

 そもそも洗濯機の使い方もよく知らなかったが、これも検索してどうにかした。

 人が生活する上では初歩的なことなのに、こんなことも知らないのだなと驚きもした。

 洗濯機を回し始めたら、一旦放置して、俺は本棚の前に立つ。

 この部屋にある本棚はやたらと大きい。縦幅は俺の身長くらいある。その中に本がぎっしり詰まっていて……その一角に、『日色』という作者の本が並んでいる。いわゆるラノベなので、文学的な素養のない俺でも気軽に読める。


「これ、なんで同じ本が何冊もあるんですか? 自分で自分の本を買って売り上げに貢献してるんです?」


 デスクに向かい、ノートPCを操作している歌弥さんに尋ねた。


「ちーがーうー。そんな面倒なことしないってー。それは献本っていって、作者に本が無料で送られてくるのー。作者の知り合いに配る用なのー」

「あ、なんか聞いたことくらいはあるかもです」

「欲しければ一冊あげるけど……ここに住み着くなら関係ないかなー」

「……かもですね。っていうか、俺……いつまでここにいていいんですか?」

「好きなだけいればいいよー、って言いたいところだけど……」

「だけど……?」


 意外とすぐに追い出されるのだろうか? 一瞬身構えた。


「あたしの同意なく勝手に出て行くの禁止ねー。秋夜君の都合だけで動かれるのはヤー」

「……なるほど。わかりました」


 俺には行く当てなどないのだから、自分の都合で出て行くなんてことがあるとは思えない。

 むしろ、いい加減出て行けヒモニート、と追い出される未来しか想像できない。

 そんな日が、いつか来るのだろうな。俺が穀潰しを続けてしまったなら。

 働くのか、大学進学を目指すのか。考えなくて良くなったわけでは、ないのだ。


「あー、なんか小難しい顔してるー。将来のこととか不安にでも思ってるの? そういうの忘れなよー。好きなだけここにいていいからさー」

「……そういうわけには」

「秋夜君」

「……なんでしょうか」


 デスクは本棚の隣にある。歌弥さんが俺の方を向き、くりっとした瞳でまっすぐに見据えてくる。


「君、もっと不真面目になりなさい。真面目に生きる、真面目に悩む、真面目に頑張る……。そういうの、往々にしてただの逃げだよ。

 真面目に何かに取り組んでたら、結果が良くないものだったとしても、真面目にやったんだから仕方ない……って言い訳できる。周りの人も、あれだけ頑張っていたんだから仕方ないね、って納得してくれる。

 けどね、良い結果は、真面目だろうと不真面目だろうと、上手くやったらついてくる。

 あたしは別に、秋夜君にクズ人間になれって言いたいわけじゃない。真面目に生きて、悩んで、頑張って、それだけで満足する人間になっちゃダメだよー、って言いたい。視野を広げると、色んな道が見えてくるよ」

「……はい」


 歌弥さんの言いたいこと、全部がわかるわけではないと思う。

 でも、わかる部分も、胸を刺す部分もあって。

 歌弥さんの言う不真面目さを身につけたいとも思った。


「高校生くらいまでに求められる頑張りってさー、机に向かって必死にお勉強することじゃん? それだけやっとけば偉いと思われるところもあるじゃん? でもねー、本当はそれだけじゃダメなんだよー。

 誰かと遊ぶことも大事だし、恋愛にうつつを抜かすのも大事だし、趣味を楽しむのも大事だし、教室や自分の部屋を出て色んなものを見るのも大事。

 真面目にお勉強だけ頑張ってれば何もかも報われるわけじゃない。いい大学行って、いい会社入れば幸せってわけでもない。高校生までに見えていた世界に、自分の求める幸せがあるとも限らない。

 秋夜君、そういうのもうわかってるでしょ? 今まで通りにやってたって上手くいかないよ。そして、意識的に変えていかないと、自分って変わらないもんだよー」

「……そうですね。本当に」


 言いたいことを言って満足したか、歌弥さんが執筆に取りかかる。

 とても真剣に取り組んでいるようだけれど……時折、ふふと笑うこともある。

 自分で書いた話で、自分が笑っているらしい。

 作家がどういう人なのかは、俺には掴みかねる。ただ、お仕事中ににやにやと頬を緩ませる姿を見ていると、お仕事のイメージがかなり変わる。

 俺の想像する仕事は、退屈なこと、苦しいことを必死にこなす……という感じ。ニュースを見ても、SNSを見ても、仕事は辛く苦しいものだと主張していることが多い。

 でも、歌弥さんにとっての仕事は、そういうものではなさそうだ。

 こんな仕事の仕方もあるんだな……。

 世界が広がっていくのを感じながら、俺は本棚の本に視線を戻した。

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